2017年5月2日火曜日

杉本青三郎「青春の影負う兄の青みどろ」(『青』)・・



 杉本青三郎『青』(現代俳句協会)は、視ようによっては青づくしの句集である。いたるところに青が顔を現わす。それを、前田弘は序に以下のように記している。

     寒林という太古の海の匂い

 句集の冒頭に置かれた一句である。寒林に一歩足を踏み入れた作者はそこに太古の海の匂いを感じた。間違いなくここは太古の海の底であったのだ。海の匂いと同時に海の青さも幻視した。句集『青』を通底する青である。

 愚生はといえば、ブログタイトルの句「青春の影負う兄の青みどろ」には、髙柳重信の、

    招きにまねく
    かの
    一髪の
    青みどろ    髙柳重信

の句の変奏として思う。髙柳重信は、最初は誰でも偶然に俳句形式に出合う、しかし、本当に大事なのは二度目に出合うこと、つまり改めて俳句形式を選び直すことが重要なのだ、と言っていた。高校一年生から句作を始めたという杉本青三郎にも30歳からの約5年間の句作を中断した時期がある(愚生は2、3年間だったような)という。彼もまた、あまたある表現ジャンルから俳句形式を選び直した。その選び直し以後を収めた本句集「あとがき」に

 本書は、主に一九九五年から二〇一五年までの約二十一年間の俳句から、三〇三句を選んだ、私の第一句集です。
 この間、ひたすら俳諧よりも詩情を求めて、句作をして来たつもりですが、目指す俳句は遠く、少しでも近づいて行きたいという気持ちが、空回りしたのでは、とも思っています。

と述べている。さらに最後には「第二、第三の句集に向けて進んでいきたいと考えており、これからも、俳縁を大切に、句作をしていきたいと切に思っています」と結んでいる。志やよしである。彼は「豈」と同時に、早くより「歯車」同人であり、最近出たばかりの「歯車」375号には、田島健一句集『ただならぬぽ』の書評では「俳句表現の自由」と題して健筆をふるっている。
ともあれ、句集よりいくつかの句を挙げておこう。


  遅日なり何も考えない訓練     青三郎
  水が水運ぶよろこび春の川
  羽抜鶏独り歩きが止まらない
  麦の秋すぐ駅につく縄電車
  滴りの休み休みも休まない
  落蟬の空のかなたを受け入れる
  露草の露に始まる海の青
  水澄みて至る所に水の傷
  短日のからだ青空から帰る
  市民革命のない国の文化の日
  コンビニが水槽になり冬が来る
  中流に上中下あり枇杷の花
  神の旅遅刻する神叱る神

杉本青三郎(すぎもと・せいざぶろう)、1958年、鳥取県生まれ。





  

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