2017年9月1日金曜日
福田若之「春はすぐそこだけどパスワードが違う」(『自生地』)・・
福田若之『自生地』(東京四季出版)、帯の背に「圧倒的な、初句集」とあり、帯表には書店員らしい三人の惹句が配されている。さらに句作品の構成、内容などを含めて装幀、造本まで,みごとな一冊である。
つづめて言うと、幾つかの特徴的な著者偏愛の語彙を見出すことが出来る。たとえば、消しゴム、かまきり、コノタシオン(小岱シオン)などである。
「もしうわたしが三人いたら、ひとりを仲間はずれにするだろうなって思う。 四人でも」と、彼女、小岱シオンは言った。
夢に着けば先客がみな小岱シオン
そして、
かまきりは言葉に似ている。
少し物、言いたげにかまきりの首
というふうに書かれて自生地の物語は始まり、巻尾の、
孵る。それは、二度と戻れない仕方で帰るということだ。別の自生地に。
やわらかいかまきりのうまれたばかり
で閉じられ、終り、開かれる。
俳句にもようやく、現代仮名遣い、口語を駆使した作品世界をもつ句集が出現したのではなかろうか。加えて、一句独立という近代的な俳句の教条からは、いささかスタイルを異にしている。従って読むほうも、掌編小説でも読むような気分で読み進めると楽しめるだろう。古風に言えば句文集、いや新俳体詩風とでも言っておこうか。
〈文〉の思考とは別の、〈句〉の思考ということについて考えている。だが、句は、一見するとそれ自体がひとつの文字をなしているように見えることがある。
また別の鯨かがやく海上に
宙は無い。∴鮟鱇の宙吊りは無い。
明確に数えなかったが、句数は1000句を超えているだろう。これも掌編の韻文集と思えばいい。世界はすべて切り取られてただあるに過ぎない。いや、それすらあやしいのかも知れない。
ともあれ、いくつかの偏愛語彙の句を以下にあげておこう。
かまきりの足がまた稼働しだした
かまきりをのむかまきりのほそい喉
塗りこめてかまきりの野を消し去る雨
かまきりは冬に葉書は灰になる
飢えもなくかまきりもどき喉黒く
かまきりもどきそのなきがらがなきがらめく
はじまりの小岱シオンの土偶に蚊
小岱シオンは轢かれ飛ばされ散らばる金
日々を或る小岱シオンの忌と思う
また別の小岱シオンの別の夏
福田若之(ふくだ・わかゆき) 1991年、東京都生まれ。
撮影・葛城綾呂、アゲハ蝶↑
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