衣川次郎第三句集『青岬』(角川書店)、集名の由来について著者「あとがき」には、
岬は人生を顧みるのには絶好の場である。港の突堤に立つのも好きだが、先が開ける突端は様々なことを考えさせる。
三陸の岬や浜は、今祈りや鎮魂の場ともなっている。東日本大震災は多くのいのちと財産、生活の場を根こそぎ獲っていった。人生観を変えざるを得ないほどの衝撃をもたらした。『青岬』は残されたものの希望という意味を込めて名付けた。
とある。そしてまた、
生活を基盤とした存在感のある俳句、庶民の生活感覚を大切にし、平明で抒情、・俳味のある句を心がけてきた。社会的なことに取り組んだのも、現実がそのような状況だと思えるからだ。
という。言えば『青岬』の句群はそうしたことの証左であり、それを証明していると思う。
また、俳号の由来は、妻の故郷だという。高野ムツオの跋文には、「私の俳句は破壊、喪失してしまった故郷東京と精神的な故郷となった衣川に根を持っています。私の原風景がここにあります」。と平泉近くに生れ育って東京で学生時代を過ごした私も即座に頷いた。
と述べている。そして「無骨ながらも繊細な感受」を指摘しているが、その詳細な部分は直接、本句集にあたっていただくとして、愚生は、衣川次郎の詠むいくつかの尻に、赤城さかえ「秋風やかかと大きく戦後の主婦」の「かかと」のたくましさ、生命力、精神力の強さに通じるような部分を感じるのだ。例えば、以下の句、
獣みな尻持ちいたり年つまる 次郎
尻なぜかなつかしくなる秋の暮
泉汲むいのちあるもの尻をもつ
なかなかにたくましい尻なのである。何事に処するにしても下半身は重要である。
ともあれ、以下にいくつかの愚生の好みの挙げておこう。
土筆など煮るから歳を尋ねらる
沖縄忌海に出口のなかりけり
流木に家屋の記憶つばめ来よ
押しくらまんぢゆう貧しい子から出された冬
春泥に育ち春泥に転ぶ
ほたる手に妻の壊れてゆきつつあり
春の河馬見過ぎて妻とはぐれけり
きのふとは違ふ足音敗戦忌
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