2017年9月23日土曜日
大道寺将司「癌囚と吾れ呼ぶ人や秋夕焼」(「六曜」NO.48)・・
「六曜」NO,48(「六曜の会」)は、先般5月24日に亡くなった同人・大道寺将司の追悼特集である。享年69。執筆者は獄中からの句稿の受け渡しの労をつねにとった太田昌国「君逝くか遠き彼岸の道なるを」と詩人の倉橋健一「霧深き海にかそけく骨を撒け」の二人と「六曜」発行人の出口喜子「大道寺さんと『六曜』」。いずれも愛情あふれる筆致だが、倉橋健一のタイトル?句?には、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が下敷きにあるように思える。「六曜」同人になるについての縁は、太田昌国が以下のように記している。
日本では死刑が確定すると、極端に厳しい処遇になる。「(死刑囚の)心情の安定のため」という名目で、面会や差し入れ、手紙のやり取りできる範囲が制限されるのだ。差し入れも間遠になる。仕方なく、拘置所に備えられている官本リストを見て、彼は子規の句集や俳論を手にしたようだ。見様見真似で万もの作句を試み、いくらか納得できる作品ができた九六年ころから、当時は存命だった母親宛ての手紙の末尾に、俳句を添えるようになった。それが、大道寺君と外部世界を結ぶ交流誌『キタコブシ』に載るようになり、第一句集『友へ』(ぱる出版、二〇〇一年)も出版されて、それを目にされた方が繋いでくださって、『六曜』との縁ができた。
そしてまた、
「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」
自らが担い、多数の死傷者を生み出した七四年八月三〇日の三菱ビル爆破以降の四三年間の日々、彼は片時もこの思いを忘れずに生きたように思える。その行為の過ちを批判した文章を私は何度か書き、それを彼にも差し入れた。その私にして、棺に最後の別れを告げるとき出てきたのは「お疲れさま」という言葉だった。私の母の死に際して寄せられた、母の友人の忘れ難き句をわが心として、君を送る。
とあった。追悼最終ページに大道寺将司作品が掲載されている。その中からいくつかを挙げておこう。
棺一基四顧茫々と霞けり 将司
解け易き病衣の紐や冴返る
地震(なゐ)止まず看護婦の声裏返る
新玉の年や原発捨てきらず
蜘蛛の子やいくさは人を狂はする
以下には、同号の「六曜」同人・自選集から一人一句を紹介する。
西隣東隣も燕来る 綿原好美
ひまわりの太首に棘空青し 岩男 進
三川の桜と語り昏睡す 岡本 匡
要塞の窓が切り取る夏の海 神田ししとう
頭から離れぬことば青葉闇 喜多より子
病葉や刺を残して落ちゆけり 佐藤富美子
サンプルに群がる女夏来る 柴野和子
チアガール大の字に跳ね夏来る 玉石宗夫
戦わぬための闘い将司の忌 出口喜子
頬をうつ雨の硬さや原爆忌 望月至高
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