2017年10月4日水曜日
黛まどか「南無大師遍照金剛夕焼けぬ(「黛まどかの四国歩き遍路・同行二人」より)・・
東京新聞夕刊にほぼ3ヶ月連載されていた「黛まどかの四国遍路・同行二人」がめでたく結願した。
威張るわけではないが、信仰心もなにもない愚生は、遍路などという苦行には縁なく過ごしてきた。とはいえ、一度歩き遍路をしたことがある、しかも約一時間程度ですべてを歩き通せる、高幡不動尊の小山にある札所めぐりだ(笑)。
黛まどかに最初に会ったのは、たしか第一回か第二回の加藤郁乎賞(第一回授賞は手島泰六)の折りだったのではなかろうか。まだ飯島耕一、辻井喬も健在だった。加藤郁乎は崇教真光(すうきょうまひかり)の信者にして、位も上位の人だったように思う。郁乎はごくたまに「手かざし」をすることもあった。俳句評論のご婦人方には、その「手かざし」をされた方も多くいらっしゃるだろう。
その加藤郁乎賞の第一回受賞式の出席者に、俳人は愚生より他にいなかったようにおもう(いや仁平勝はいたかもしれない)。郁乎没後は加藤郁乎記念賞として引き継がれている。
それにしても「同行二人」の遍路の様子は、身心ともにタフでなければ到底完遂できるものではないと思わせた。歩いているうちに金剛杖の先はめくれて花のようになるのだ。
連載の最後は以下のように結ばれている。
(前略)結願の果てに行き着いたのは、空と海のあわいだった。数えきれない一期一会はやがて線になり、円を描いて一つの真理に到達した。巡礼者には肩書も名前さえも要らない。ただ、「お遍路さん」と呼ばれ、施しを受け、襤褸(ぼろ)切れのようになりながら歩き継ぎ、生まれ変わる。祈り、供養して歩くことは、自分自身の魂の救済にほかならない。白衣は死装束(しにしょうぞく)であり、産着であった。
「あっ、”花”だ!」。ユリウスの声に杖(つえ)の先を見ると、土にまみれた小さな”花”が咲いていた。
南無大師遍照金剛夕焼けぬ
ユリウスは遍路の途中で会った年齢は親子ほども違う青年であるという。
ともあれ、連載終了前の一日一句を紹介しておこう。
結願の道に拾へる落し文 まどか
月光に白衣の乾く柚子の花
方丈ににぎやかな声樟若葉
泉湧いてしきりにこぼす鳥の声
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