2018年1月2日火曜日
遠山陽子「初氷われより落ちし鱗散る」(「弦」第40号)・・
「弦」は遠山陽子の個人誌である。主要に三橋敏雄の検証・顕彰に費やされてきた。先般の『三橋敏雄全句集』(鬣の会)の監修の折りには、『しだらでん』以降の句を拾い出す際に三橋敏雄作品初出の記録では随分と助けられた。本号にも佐藤文香「私のなかの三橋敏雄」、高野公一「永遠の春」、我妻民雄「無季幻想」、遠山陽子「三橋敏雄を読む」(3)などで、それぞれの三橋敏雄像が描かれている。
その中で佐藤文香が、「何か敏雄について話し足りないという方は、是非お声をかけて下さい。そのときにはちゃんと録音機を持って伺います」と語っていたが、もっとも難攻不落?と思われる三橋敏雄夫人・三橋孝子自身は声を掛けてこないと思うが、三橋敏雄のまだ語られていない部分、作品、人、その在り様についても一番詳しいと思われる。もしインタビューなり、その機会があれば、愚生は是非同行したいほどだが、たぶんおひとりでの訪問に、その可能性が無いでわけではなかろう、と思う。
本号「あとがき」に触れられていることだが、
髙橋龍さんが、足のお悪いなか、資料を集めて重厚な文章をお書き下さった。原民喜の俳句について俳壇で論議されたことはなく、これは貴重な一石となろう。
と記されているように、高橋龍「原民喜の俳句ー『原爆被災時のノートより』」は、資料的にも優れたものである。幾つかの句を抜粋してみる。
原民喜の俳号は杞憂。
草の花草の実となり日はすずろ(昭15)
暗き春見知らぬ街に帰り来ぬ(昭20)
「原子爆弾」
短夜を倒れし山河叫び会ふ
日の暑さ死臭に満てる百日紅
人の肩に爪立てて死す夏の月
吹雪あり我に幻のちまたあり
山近く空はり裂けず山近く
ともあれ、遠山陽子「湯婆」よりいくつかの句を以下に・・・
芭蕉敏雄陽子申年永遠の春 陽子
号泣のあとの呆然春の雲
不如帰とうに捨てたる母を恋ひ
首を巻く遺品の真珠いなびかり
シロバナタンポポ、撮影・葛城綾呂↑
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