2018年1月3日水曜日
野口裕「大家族主義の幻影鏡餅」(『のほほんと』)・・
野口裕句集『のほほんと』(まろうど社)、「あとがき」ふうの「終わりに」の冒頭に、
とある日、出勤途上の朝なのに夕暮れのように人通りの途絶えたアスファルトの真ん中をぞろぞろ歩いていると、「のほほんと生きる」と口を突いて出た。神戸に地震の起こるちょっと前の出来事だった。それからちょくちょく五七五が出来はじめた。句集名はそれを記念したい。客観的には忙殺と言ってよい日常であるが、主観的には「のほほんと」で首尾一貫しているつもりではある。
とあった。帯は北村虻曵。それには、
野口氏の句には、飾らない柔らかさと関西風のアイロニーがある。だが底には理学で鍛えた正確な論理が通っている。さらに俳句の伝統的修辞法も自在である。視覚にたよる句ではないからゆっくりかみしめる必要がある。(後略)
この世から染井吉野の無人駅 裕
愚生が面白いと思ったのは、「ぶっきら棒」の句が3句もあること。
身じろぎの奥にぶっきら棒の熱
きさらぎのぶっきらぼう蘇鉄の葉
春雨がぶっきら棒に水を突く
紙懐炉の句はそれ以上にあるが、ここでは2句のみを上げておく。
ごりごりと鉄粉固し紙懐炉
紙懐炉永久機関の夢を見る
北村虻曵が記しているように、たしかに「かみしめる必要がある」かもしれない。
ともあれ、以下に幾つかの句を挙げておこう。
眼前に人体脳裏に死者を置く
気配りの品切れ入道雲が湧く
枝葉花すべてに違う日の光
鳥帰る何かの予行だとしても
肉球のなきこの身ゆえ底冷えす
水中花水かどうかと傾ける
寒暁やものどもとてもものらしく
孑孑を面影づかみというものを
空蝉に蝉が入ってゆくところ
木枯らしが星をぐらぐら沸かしてる
野口裕(のぐち・ゆたか)、1952年、尼崎市生まれ。因みに、表紙絵はご子息の野口毅。
この句集、とてもいいです。市井に生きるという意味を、しみじみと感じさせます。
返信削除喪中につき、新年の挨拶を失礼いたしました。昨年中も色々お世話になり、有難うございました。本年もよろしくお願いいたします。
返信削除コメント有難うございました。