2018年5月10日木曜日
髙橋龍「身の廻り日常(ひび)取り囲む核の黙」(『上屋敷』)・・
髙橋龍第15句集『上屋敷』(高橋人形舎・私家版)、集名の由来については、長い「あとがき」の冒頭に、
上屋敷(かみやしき)はわたしの郷里、千葉県葛飾郡流山町(現・流山市)の地名である。ただし、戸籍や公文書の大字や小字ではなく、地元の人の通称であった。
とある。もっともこの長い「ととがき」は実に洒落た読み物風な部分もあり、つい引き込まれてしまう。最後には、
満八十八歳。ボケも甚だしい。作品は昨年十二月から今年三月までの駄作。
平成三十年四月一日
と記されているが、その直前には、いかにも高橋龍らしい物言いが続いている。以下に引用しよう。
わたしのように七十年も俳句を作りつづけていると、それらの多くが自己模倣であることには、うすうす感づいていたが、それを類語反復と物々しくはっきり言われると返す言葉もない。
言葉=意味が迷信であることに気付けば、言葉の美しさは中身(指示表出)にではなく、岡持(自己表出)にあり、音声言語であれば形式に込められた語彙の音韻、形式を形作る韻律。視覚言語であれば、形象文字の場合、形態の微妙なちがい、あるいは漢字ひらがな片仮名の配列などに気を配る。現代俳句の推進者であった山口誓子の功績に、明朝活字の新鮮な働きは多分に感じられる。
傘寿だという。師友の忌日の句も多くなるのもしかたない。例えば、
検察は検閲の孫三鬼の忌 龍
品川区旗の台とぞ郁乎の忌
沖の捨鵜は稲羽上鵜(いなばうはう)と重信忌
帆を揚げる路傍のピアノ三橋忌
塹壕外套(バーバリーコート)にTAKAYA窓秋忌
ハバロフスクに山羊座の墜ちる鵞(わがとり)忌
もえぎ野に半鐘鳴らす折笠忌
鵞(わがとり)忌は、大岡頌司である。「鵞」という雑誌を出していたのだ。
ともあれ、本集より、句をいくつか挙げておこう。
アウシュビッツに死刑の紙型遺しある
性欲(むらむら)に空もむらむら雲の峰
ヒロシマは忌中の簾何時までも
初秋(あきぐち)は直前の未来死後(じきにまだまだあのよ)へも
「じきにまだまだ」は柳瀬尚紀の訳語
船上が戦場に雁渡り来る
木枯の果ては火星をめぐる風
撮影・葛城綾呂 ツルニチニチソウ↑
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