2018年5月24日木曜日
鈴木六林男「われわれとわかれしわれにいなびかり」(「香天」別巻1『香天を携えて』より)・・
「香天」は通巻51号で、創刊10周年である。慶賀申し上げる。最近の岡田耕治の傾向としては、毎号100句以上の句が発表されていて、正直にいうとすべてを読み通すことが困難である。愚生が若い頃は、俳句を作る時に、「報告にならないように」と教えられたものだが、最近の俳壇では岡田耕治に限らず、作った句を片端から発表する(報告)傾向にあるらしい。例えば今号の代表作品は「駅の牛乳」と題して、最初の句は、
高知六句
後ろから見て冬晴れの龍馬像 耕治
脱藩の道に出てをり若菜摘
ストーブと女が灯り朝の市
と続く。六林男ならさしずめ「日記にでも書いておけ」と言いそうな句である。三句目は「灯り」にわずかに計らいが見えるが、それも平凡?か・・・。こんな苦言を言いたくなるのも、愚生が年をとったせいか、妄言はなはだしいというべきかも知れない。許されよ!。岡田耕治の先輩筋にあたる久保純夫や土井英一には、愚生が二十歳代初めの頃、真っ当に厳しいことを言われたような記憶もある。でもそれはありがたい諫めの言葉だったと思って、今でも感謝している。
六林男は気難しい男だと言われていたが、会うとけっこう優しかった。愚生40歳代だったと思うが、現代俳句協会の幹事をやっていた時(当時は選挙で選出されていた)、組織の会員数1万人体制を目指していた金子兜太の活動方針にも真っ向から苦言を呈していた。小川双々子もそうで、幾度かその場面にも居合わせたことがある。「香天」は、常に六林男の句を雑誌に掲げているくらいだから、うるさい六林男の志のいくばくかは、今も継承されていると思いたいだけなのかもしれない。
いろいろ愚痴を言ったが、「香天」10周年以後の歩みは如何なる道のりになるのか期待して見たいと思う。
ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい(岡田耕治以外は愚生が山口県生まれなので、そのよしみで、ご当地の人の句を挙げる)。
われを射ちし米兵も夏痩せにけり 鈴木六林男
目的をもつ爆弾の去年今年
ぶらんこにずれはじめたる虚空かな 岡田耕治
きりぎりす鳴き終えてから飛び立ちぬ
曼珠沙華拒まれている赤さとも 浅海紀代子
初蟬やそれと分かるに間のありて 中濱信子
どこからも斜に見えて雪だるま 藤川美佐子
撮影・葛城綾呂 桑の実↑
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