2018年6月7日木曜日
染々亭呆人「逸翁の少女歌劇や雪月花」(『すゞしろ日記』参に因んで)・・
山口晃『すゞしろ日記』参(羽鳥書店)に因んで言うが、愚生のはるかなる人生の先輩俳人に、染々亭呆人という蕪村愛好家がいる。その染々亭主人の便りを、本人に無断で引用すると、
長谷川櫂『俳句の誕生』読了しました。
3年前、日本画家の山口晃さんが「小林秀雄賞」を受賞し、その授賞式の挨拶で、
「小林秀雄先生のご著書を、初めて読まさせていただいたのですが、こりゃ『屁理屈の王様』ですね」と言って、喝采を浴びたのですが、長谷川櫂のこの本は「屁理屈の皇太子」ですね。古今と新古今の差異を、「禅」がその思想的背景にあって、親鸞の悪人正機の思想もその文脈にあるのだとは、小林秀雄並みのハッタリで、人を驚かすにもほどがあろうというもの。そんなに古典や禅の思想に深い造詣があったはずはない(田中善信)、芭蕉を偶像化するのも、どうでしょう?一茶を無教養の人というのも、どんなものでしょう。蕪村にいたっては、他人(辻原)の評釈で済ませて、蕪村は古典主義の俳句最後の人であったと・・・。
などと痛快に記されている。愚生には、到底このような眼力の持ち合わせてがないのであるが、呆人先生はなかなかに厳しい。ある時は、「写生などとたわごとを 俳句でいうな」と書いて寄越したり、熊谷守一に触れては、「子規が庭を見続けて十年。モリカズ三十年。モリカズの庭の池のカエルも飛んだり、跳ねたりしないで、ぞろぞろと這いまわっていました」と便りにあった。
話を『すゞしろ日記』にもどすと、小林秀雄の「屁理屈の王様」のくだりは、「UP版すゞしろ日記」第104回にある。9コマ目あたりに「改めて読んで思うのは、『こりゃへりくつの王様だぞ』、実に面白いのだが、若いうちに此れを読んだら、アテられて大変だろう」とあって、次のコマには「『へりくつ』とは失礼だが、先行研究に頼らず、自前で何事かを述べようとすれば、少なからずそうなる。パイオニア精神の表れる所か。(フォローフォロー)」とある。もとはといえば東京大学出版会のPR誌「UP」(あっぷではなくゆうぴいと読む)に連載されたものなのである。
マンガといえばマンガなのだが、文字も多い。
山口晃は群馬県桐生市育ちとあって、本町五丁目糸屋通り沿い、古民家を移築した「芭蕉」という店は、洋食屋ながら心の店だという。愚生、はて、どこかで思い当たる・・と、少し考えたら、確か山田耕司が「ギャラリー大風呂敷」をやっているのもこの辺りだったのではないかと思った次第。愚生はまだ一度も訪ねたことはないが、かつて35,6年は以前のこと、森産業「きのこ会館」に争議組合(微生研)の抗議行動に支援参加して行ったことはある。もう一度、時間と資金が出来たら、今度はギャラリーと喫茶・大風呂敷を是非、訪ねてみたいものである。
山口晃(やまぐち・あきら)、1969年東京都生まれ、桐生市育ち。
撮影・葛城綾呂 ビヨウヤナギ↑
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