2018年8月20日月曜日
富澤赤黄男「蝶墜ちて大音響の結氷期」(『虚子は戦後俳句をどう読んだか』より)・・
筑紫磐井編著『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(深夜叢書社)、副題に「埋もれていた『玉藻』研究座談会」とある。帯には、
「玉藻」誌上で昭和27年から7年あまり続いた連載、《研究座談会》での高浜虚子の全発言を収載。虚子晩年の幻の肉声を聞かれよ。
飯田蛇笏から金子兜太まで虚子による《戦後俳句史》初公開!
推薦ーー深見けん二・星野椿・星野高士・本井英
と惹句されている。第1部「『研究座談会』を語る」のメンバーは深見けん二・齋藤愼爾・筑紫磐井・本井英。主に、当時の研究座談会に参加していていた深見けん二に対して、当時の事情などの確認や、疑問点を質問し、それらに誠実に答えている深見けん二の貴重な証言が随所にある。第2部が「研究座談会による戦後俳句史」で、筑紫磐井は、虚子の発言を整理し、第1回座談会より、順次取り上げ、秋櫻子・誓子・青邨・風生・草城・蛇笏など、大正時代から、いわゆる人間探求派、新興俳句、戦後の社会性俳句までのあまたの俳人の評の虚子の発言を丹念にたどって、掲載している。例えば、研究座談会で語られた「虚子独自の俳句基準」としてまとめられているものに、
【虚子評価用語(現代語表示)】
①われらと同じ俳句(我らに近く同根からでた俳句・我ら仲間の句の中にあっても異様には感じない・我らの好む句等)
②われらと違う俳句(我らにとっては門外の句・表現法が我等仲間と違う・どこか感じにそぐわない・言葉が違っている等。ただし、「云わんとするところは同情が持てる」「此の句などは分からんことはない」などの条件がつく場合も多い。)
③問題ある句(俳句というのはどうかと思う・陳腐である・俳句を難しく考え難しく叙する・晦渋である・気取っている)
がある。例に挙げられた句については、例えば、ブログタイトルにした句、
蝶堕ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男
虚子 『結氷期』といふのはどういふんですか。
虚子 [こういうのは説明できたらつまらないということです(けん二)]面白い処があるんぢやないかといふ気もするね。
虚子 [草田男の句は季がある(立子)]草田男は理屈つぽい。
虚子 『蝶墜ちて』は理屈がなくていゝね。
について、正直な感想が述べられている。あるいは、金子兜太の句については、
(前略)縄とびの純潔の額を組織すべし
艦隠す青黒い森へ洋傘干す(中略)
虚子 思想を現はすといふのも面白い。それはそれでいゝ。
虚子 [十七音詩として認められるか](けん二)]認められます。但し十七音詩としてですよ。俳句ではないですよ。
艦隠す青黒い森へ洋傘干す
といふのは一寸分りにくいが、別に悪いとは思わん。
という具合である。なかなかに面白いので興味を持たれる方は、本著を一読して損はないと思う。著者「あとがき」にもあるが、平成23年から毎年刊行されている本井英主宰「夏潮」の別冊「虚子研究号」への寄稿「虚子による戦後俳句史」が元になって出来上がった一本である。最新の「夏潮」別冊「虚子研究号VOL.Ⅷ 2018」には筑紫磐井は「虚子における俳句入門体系」を執筆している。同号にはほかに井上泰至・岸本尚毅・黒川悦子・小林祐代・松本邦吉・堀切実・岩岡中正・星野高士・山脇多代・齊藤克実などがそれぞれ玉文を寄せている。
ともあれ、本書「まえがき」に筑紫磐井が引用した虚子の言(「玉藻」昭和30年4月号「研究座談会」第24回)を孫引きしておこう。
虚子 私は、よき俳句の批評は、よき解釈だと思つてゐる。この句は、どういふことを言ひ表してゐるのだと言へば、それが、もう、批評になつてゐる。俳句の面白味は、或程度説明してやらないとわからない。解釈をして始めてわかる人が多い。だが、その句が表現してゐる限界を越えて、説明するのは、よくない。世間には、往々、さふいふ句解がある。私は、昔から、ずいぶん批評もしたが、寸評といふこともした。寸評は、その句の面白味を端的に示唆するものだ。其寸評を得てその句は生きる。子規は悪い句を攻撃した。(中略)私は好い句を取り上げる。私が其句をよいとする理由は斯ういふ風に解釈するからだといふことを説明する。
撮影・葛城綾呂 アゲハ羽化最中↑
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