2018年12月31日月曜日

表健太郎「億年や北斗に並ぶ七機械」(「LOTUS」第41号)・・

 

 「LOTUS」第41号(発行人・酒巻英一郎)の特集は「見出された俳句 表健太郎✖佐々木貴子」。両名とも第5回芝不器男俳句新人賞奨励賞受賞作百句に、各選考委員より、祝詩(城戸朱里)と祝句(西村我尼吾)をいただき掲載。また論考は表健太郎にはカニエ・ナハ「デュシャン以来の」と酒巻英一郎「ヘルメスの諧調ー表健太郎秀句頌」、佐々木貴子には松下カロ「ユリウスのゆくえ 佐々木貴子へ」に志賀康「律動と生命ー佐々木貴子百読感」、いずれも正鵠を射た批評である。加えて両名の特別作品30句が並ぶ充実した特集となっている。さらに両名による書翰がしたためられている。まず「佐々木貴子から表健太郎」の中に、

 作品の全てではないけれども、「自転車」の連作や「遥かな教室」「金平糖の夕あらし」「人が消える夏祭」などの句から、不思議と子供時代を過ごした昭和の景色が浮かぶ。自ら「あわいの世界」に迷いこんでいあったあの頃。(中略)とりまく世界を愛していた子供時代。生活の即物的なものに囲まれながら、ふと放心し脇を向けば精霊(スピリット)の横顔に触れるような、空想に満ちた幸せな時代だった。

 と、そして「表健太郎から佐々木貴子へ」では、

 詩人は誰しも自らの経験を言葉に紡ごうとします。けれどそうした作業の過程には、大抵、”大人になってしまった自分”が入り込んでいるものです。この「大人」と上手く付き合うのか、悲しみを抱き続けるのかで、言語表現の在り方は自ずと変わってくるのではないかと思っていて、私は貴女の句群に、後者の葛藤を感じたのでした。

 と記している。ともあれ、「LOTUS」に新人を超える力量の俳人が登場しことを読者に確信させる内容となっていよう。ともあれ、同誌より以下に一人一句を挙げておこう。

  昇天の大抱擁を待つ機械         表健太郎
  とん・とくん月のふたつのふくるるを  佐々木貴子 
  七つ星ながるる砂と血と蜜を       九堂夜想
  月消えてひたすら夜が降る夜なり     熊谷陽一
  鷹一羽刻の標として翔びぬ        三枝桂子
 
  みづからを
  呼ばれて匹如身
  秋の宵               酒巻英一郎 

  つみぶかくこぶしをつつむたなごころ  鈴木純一
  漏電は続き祝詞はとめどなく      曾根 毅
  とよみきのみなこをろこをろにあやにかしこし
                    髙橋比呂子
  さわると沸騰する鳥を配りに来る    古田嘉彦
  たそかれやほのかに匂ふやまとうた   松本光雄
  ほおじろのみこはらむとやくにつうた  無時空映
  我が回廊瞑想に入る冬山河       丑丸敬史




★閑話休題・・井口時男「まゝよ痴愚沖いと遠く霧(き)らふとも」(「鹿首」第13号)・・・


 「鹿首」第13号(「鹿首」発行所)、前掲「LOTUS」の松下カロつながりで言えば、「ユリウスのゆくえ 佐々木貴子へ」はその作者と作品を論じて出色であったが、本誌の井口時男句集評「少年の日の井口時男へー『をどり字』に寄せて」も見事な論であった。タイトルに挙げた井口時男「まゝよ痴愚沖いと遠く霧(き)らふとも」の句には「己が名によるアナグラム」の前書が付されている。それにしても、愚生に気がかりなのは、前号から「鹿首」に有賀真澄の名が見えないことである。編集人・研生英午は、連載評論、俳句に健筆をふるっている(正月のおせち料理も立派に作っているらしい・・)。思えばかつて『攝津幸彦全句集』(沖積舎)を攝津幸彦の一周忌までに出版するために刊行委員会を立ち上げ、その提案を逸早く沖積舎・沖山隆久に進言したのは彼だったと思う。研生英午のその発案がなければ、攝津幸彦全句集の進行は、もう少し遅れていたに違いない。そして、その校正を引き受けたのは、当時、それを職としていた倉阪鬼一郎だった。もう22年前のことだ。

  稜線沿に追ふ日輪や影ながき     英午



2018年12月30日日曜日

小林春代「瑠璃色の実を食ひけもの化かし合ふ」(『大田螺』)・・



 小林春代『大田螺』(現代俳句協会)、懇切な序文は宮坂静生。中に著者の句を評して、

  ことばが鋭角的なので、ぐいぐいと読み手に迫る。迫力がある。しかし、どこか自嘲に遊びがある。いうならば自分を貶めて楽しんでいるようだ。(中略)
 自嘲とは余裕がないとできないものである。自分を底へ貶めて底から這いあがる芸を見せる。そんな巧さがある。

 という。集名に因む句は、

  大田螺幸せすぎて地震来さう     春代

 この他にも、「大」の言葉を冠した句は意外に多い。それが自ずとユーモアを加えて、句柄を大きくしているように思う。例えば、

  冬帝やチャイコフスキー大序曲
  大欠伸して不覚にも蠅捕ふ
  大蟻の迷ひ込みたる胸の谷
  山涼し大虎杖の奥にこゑ
  大鯉に戒名あるや肝試し
  大女の哀しみや竹皮を脱ぐ
  十国峠跨ぎ山姥大嚏
  麦秋の風鳴り火星大接近

 という具合にだ。それに付会(「おおね」と読んで)だが「大根抜くたびに人の名を忘れをり」を加えても悪くないだろう。ともあれ、集中より以下にいくつかの句を挙げておこう。

  余荷解(よにげ)屋てふ質屋ありけり燕の巣
  綿帽子中に蕪のやうな顔
  虎杖やマグマの上にわが祖国
  蟇の沼落としてみたきものに斧
  鬱の穴ひとつひとつにダリア植う
  田の神の山へ凩まつしぐら
  台風の緒に摑まつて逝く人も
  子の消えてわんさわんさとつくしんぼ
 
小林春代(こばやし・はるよ) 昭和27年 長野県岡谷市生まれ。



★閑話休題・・谷佳紀「あ、いけないという日があってカレーうどん」(「つぐみ」12月号より)・・


 先日12月19日に急逝との訃をうけた谷佳紀の最後の作品7句が「つぐみ」(編集発行・津波古江津)12月号に掲載されていた。作品下段のミニエッセイには、世間では立派に老人だが、電車で席を譲られると困るという話だ。ウルトラマラソンで鍛えていた身体だからだろう。電車に乗る時「席を譲るのは不要です」という看板をぶら下げようかと冗談で思ったりする、とあった。その人が心筋梗塞で急逝するのだから命は分からない。他には、外山一機の連載「『歩行)の俳句史」を楽しみに読んでいたが、8回目の今回で最終回。また、鶴巻ちしろの連載「鶴巻ちしろの折文箱」(36)は、まだ続く。
 谷佳紀の句をもう2句・・

   人生はひらひら赤蜻蛉は軽い     佳紀
   喧嘩してきて背高泡立草ばっかり



2018年12月29日土曜日

藤埜まさ志「人間紀の地層は瓦礫月冴ゆる」(『木霊』)・・

 


 藤埜まさ志句集『木霊』(角川書店)、横澤放川の帯文には、

  自然から人事に到るまでの熟成された洞察力とそれを一詩にもたらす活写力。

  木の精を噴きて大榾燃え始む  

  単に木精からの発想ではない。存在物の実相に見入っての至妙の一句。
  永らく「萬緑」の運営にも貢献してきた中村草田男門の代表作家である。

 と惹句されている。直接の師は、奈良文夫らしい。巻尾の句は、

      奈良文夫師逝去
   先生の巨き亡骸星冴ゆる

 である。著者「あとがき」には、

 『木霊(こだま)』は私の第三句集である。第二句集『火群(ほむら)』以降の平成二十五年後半から平成三十年前半の五年間の作品を収めた。(中略)
 これで『土塊(つちくれ)』『火群(ほむら)』『木霊(こだま)』と、土星、火星、木星が揃った。五星まで残るは水星と金星。その成就を果たして天命が許してくれるかどうか。
 この句集を、奈良文夫先生はじめ、生涯を「萬緑」に捧げてこられた諸先輩方と、「森の座」を中心となって支えておられる方々に、感謝をもって捧げたいと思う。

 と記してある。ともあれ、以下に、愚生の好みに偏するがいくつかの句をあげておきたい。

   慰霊行は天皇(すめら)の誠春の星     まさ志
   大小の無き万国旗青嵐
   枯木立付け火するかの大落暉
   「比丘尼ころがし」越えてなほ坂夏の雲
   帰還船名聞かず仕舞ひや秋の星
   巨人草田男全句一巻蜃楼(かひやぐら)
   軍馬その帰還は聞かず枯野原
   一つ碑に艦の忌友の忌南風吹く
   松の葉に耀ふ雫喜雨亭忌

 藤埜まさ志(ふじの・まさし) 昭和17年、大阪市生まれ。
   

2018年12月28日金曜日

佐藤郁良「つまらない海だ夾竹桃揺れて」(『しなてるや』)・・

 


 佐藤郁良第3句集『しなてるや』(ふらんす堂)、帯の櫂未知子の惹句の中に、

 彼は触れ得たひとびとを全て詩人に変える力を持っている。その魔力のおかげで、私も俳句という詩をあらためて考える機会を得た。こんな人を今までみたことがないし、今後もおそらくないだろう。

 と記されている。集名の由来については、著者「あとがき」に、

 句集名となった「しなてるや」は、古歌の中で「鳰(にお)の湖」すなわち琵琶湖に掛かる枕詞として用いられることばである。琵琶湖はここ数年、必ず年末に訪れている土地、私の最も愛する地のひとつである。そこで数々の句を賜ったことへの感謝を込めて、句集名とした。

 とある。集中の次の「刃」の句に眼がとまった。

  薄き刃にぜいご抗ふ夏はじめ     郁良
  冬座敷刃のごとき一輪活け
  春浅し刃物屋の文字刃物めき
  
 これに「切る」、「剪る」を加えると、

  桑の実を盗みし色の爪を切る
  心配なほどに剪定されてをり
  中つ世の鑿跡粗し山滴る 

 また、たまたま手元にある「俳句界」新年1月号の作品6句欄に「自由時間」と題した佐藤郁良作品があり、「てのひらに練切の花冬ぬくし」「鴃舌をかいくぐりゆく年の市」の2句が本句集と重複して掲載されていた。同誌のタイトルになった句は、

  蕭条と枯野の自由時間かな  

 である。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  亡き人の夢ばかり見る菊枕
  鶴唳や夕空はいまむらさきに
  綿虫を壊さぬやうに近づきぬ
  眼を入れてより解け初むる雪兎
  葉桜や早弁の窓開け放ち
  薄氷の耐へたる鳥の重さかな
  臀呫なら野分に流れゆくも佳し

佐藤郁良(さとう・いくら)1968年、東京生まれ。


2018年12月27日木曜日

大牧広「かの人の敵は『九条』破芭蕉」(『朝の森』)・・



 大牧広第10句集『朝の森』(ふらんす堂)、その帯には、

   敗戦の年に案山子は立つてゐるか

 戦争体験の一証言者として/老境に安んじることなく
 反骨魂をもって/俳諧に生きる著者の/渾身の新句集。

と惹句されている。句集名に因む句は、

   夏しんと遠くめぐらす朝の森

によるが、元をたどると、「あとがき」の、
 
  なお、「朝の森」という平明すぎる書名は、今から六十年前に初めて「馬酔木」の句会へ出席したことによる。三句提出で「噴水や遠くめぐらす朝の森」他二句を提出した。 
 当時選者であった水原秋櫻子先生は、この「噴水」の句を特選で採って下さり、他の二句については「同じ作者とも思えないほどひどい」という句評をされた。(中略)
 水原秋櫻子先生が褒めて下さった「朝の森」、この言葉を現世にいる限り「生かしてみたい」、そんな気持での本集である。
 どうか、きびしくやさしく読んで下されば八十七歳の私にとって、こんなうれしいことはない。

 に辿りつく。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  声きつと初音のみなる避難地区
      自省
  としよりを演じてゐぬか花筵
  開戦日がくるぞ渋谷の若い人
  背に腹にしかと懐炉や生きてやる
  どの人も少し少し不幸や祭笛
  八月のちかづくにつれ足攣りし
  昭和二十年秋停電と長雨と
  さすらひの民まなうらに粥柱
  父とつくりし防空壕よ八月よ
  ひたすら立つ案山子の一生風が知る
  鳴けるだけ鳴いて秋蟬死仕度
  
大牧広(おおまき・ひろし) 昭和6年東京生まれ。



  谷佳紀第二句集『楽(らく)』(近代文芸社・2000年5月刊)↑

★閑話休題・・・谷佳紀「蜻蛉はすでに雨を散らした虹なのだ」(「海原」第5号より)・・12月19日に谷佳紀死去す、の報あり・・

 「つぐみ」の津波古江津からもたらされた訃報である。谷佳紀は「つぐみ」の同人であった。数日前に届いた「海原」第5号には「光の衆」の一人で5句が掲載されている。楽しみにしていた彼の新たな作品をもう読むことはできない。愚生が谷佳紀に最初に会ったのは、多賀芳子の自宅で行われていた碧(みどり)の会の句会だった。その頃は、同人誌から結社誌に衣替えした「海程」を辞して(その後復帰されたが)、原満三寿と「ゴリラ」を発行していた。その後、「ゴリラ」を確か20号で廃刊にし、その後は個人誌「しろ」を出されていた。ウルトラマラソンをやられていた。だから、痩身のわりには頑健だろうと思っていた。ほぼ30年前のことである。つい先日は、遠藤若狭男(71歳)の訃にも接した。愚生も古稀だから面白くない、いやな気分だ。
 余談だが、その「海原」に愚生も加えてもらっている遊句会の仲間の二人の句が「海原集」にあった。

   秋晴やディラン・レノンと平和浴  たなべきよみ
   夕暮の病(や)みし列島鳥渡る     武藤 幹



2018年12月26日水曜日

赤間学「被曝の町の泡立草と信号機」(『福島』)・・




 赤間学第一句集『福島』(朔出版)、著者「あとがき」に、

 私は大津波に襲われた東日本太平洋沿岸の港湾施設、津波用河川水門、揚排水機場などを主に建設してきた土木技術者です。東日本大震災によって、長年自分の手がけてきた建造物が一瞬にして崩壊するという大きな喪失感に襲われました。震災の後の、縁あって国の発注者支援技術者として復興・再生事業に従事しています。近年では特に印象深い福島について句作を重ねてまいりました。いくらかでも福島の「今」を詠めていれば幸いです。

とある。またその冒頭には、

 句集を編むきっかけは東日本大震災、福島第一原発事故に遭遇して、人類が、そして自然がどのように変わったのかを知りたかったからです。

とあった。第1章には、大震災以前、第2章には、大震災以後、そして第3章には、主に、現在の福島を詠んでいる。さらにほかに「松島」抄とあるのは、著者の定点観測点が松島にあるからだそうである。ともあれ、集中の句を以下にいくつか挙げておきたい。

  いちめんの菜の花父の肩車      学
  蒲団干すアジアの空の晴れきつて
  海原を洗ひあげたり夕月夜
  草枕理(わり)無き老のしぐれかな
  能面を脱げず脱がざる凍てし春
  棺なく花なく野火の餞(はなむけ)
  封鎖してジャンブルジムは灼けてゐる
  暫くは焚火に滅ぶばかりなり
  こひのぼり居久根(ゐぐね)の影に骨の家
  立木みな谷に傾ぎぬ蟬時雨
  がんらんどうの相馬双葉や秋の空
  蝶ヒマラヤを越ゆ海底に大和
  セシウムの匂ひを持たず梅雨寒し
  桃青忌蚤蟬蛙皆化身
  床に膝給ふ行幸夏の月
  来て知るや向日葵の空の高さを
  白鳥帰るいまだ不明者ゐる海を

赤間学(かかま・まなぶ) 1948年、宮城県大郷町生まれ。




★閑話休題・・星野石雀「空華さんたまには夢に出てこいよ」(「鷹」2019年1月号)・・


「鷹」の「日光集」のトップに作品があるのは星野石雀(ほしの・せきじゃく)、健在だといつも思い、句を読むのを楽しみしている。大正11年9月生まれだから、96歳である。他にも、

    枯野ひろびろ稚魚碧蹄館どこ行つた    石雀

の句が見える。「豈」同人・「LOTUS」発行人の酒巻英一郎に、星野石雀に関するエピソードがある。彼の若き日、星野石雀の句集を入手したくて、アポもとらず、自宅に参上したところ、玄関先で失礼しようと思ったら、部屋に通され、かつ石雀の奥様も見えられ、歓待を受け、句集まで贈呈に浴したと言っていた。その酒巻英一郎は、攝津幸彦の第一句集を求めて、これまた、当時団地住まいだったドアをたたいたら,資子夫人に「ありません、幸彦に直接言って下さい・・」と、ケンモホロロに断られたそうである。俳句が嫌いだったのだ。それが、幸彦急逝の後は、彼の句を読み、『幸彦幻景』の一書まで為すのだから、俳句には複雑な思いがあったのだろう。
 

2018年12月25日火曜日

河村正浩「PuCsだんだん眠くなる花野」(『花かしら風かしら』)・・・



 河村正浩句集『花かしら風かしら』(四季書房)、冒頭に、松澤雅世の祝句、

  滔滔と花に風にと交はりぬ     松澤雅世

が献じられている。また集名に因む句は、

     松澤昭句碑墨直し
  いしぶみなぞる花かしら風かしら

である。著者「あとがき」には、

 さて、これまで『四季』の発表してきた句は、主宰誌『山彦』の句と共に句集に入れて来たが、私も四季会の一員であることから、私の心象造型は、如何なるものか、改めて見直してみたいと思うようになった。そこで『四季』創刊五十五周年を機に『四季』に発表した平成二十一年から三十年秋までの作品をまとめることにした。

 とある。収めたのは202句、精選というべきか。そして「もっと無頼に徹し俳味ある俳句が詠めたらと思っている」と記している。心象造型俳句は松澤昭が推進した理念らしいが、年代的には石原八束の内観造型のほうが一般に流布されているように思えるが、それは愚生の憶測にすぎないのかも知れない。ともあれ、集中の幾つかの句を以下に挙げておこう。

  赤い灯青い灯またたいて枯野      正浩
  存念はひとつ大きな枇杷の種
  虚実こもごも吐き出す桃の種
  若竹のしなり鬱の字たてまつる
  白桃の中は眠たく寧からむ
  春や寒風に止まり木あるかしら
  虹が見えるまで鏡を拭いてゐる
  朧夜の行き着く先も荒れもやう




★閑話休題・・宇多喜代子「むらぎもの心の一部月色に」(「子規新報」第2巻70号より)・・


「子規新報」第2巻第70号(創風社出版)の坪内稔典の今月の2句「海月といそぎんちゃく」に、

 (前略)ニ〇一九年版の角川書店「俳句年鑑」、小澤實、関悦史、村上鞆彦の三人が「今年の秀句を振り返る」という鼎談をしているが、その「今年」とはいつのことだろうと思ってしまう。
  天風の宙を交差の秋燕
  むらぎのもこころの一部月色に
  月に置く斧や跨いではならぬ
 右は三人がそれぞれに選んだ宇多喜代子の句だが、特にいいとは思わない。観念に傾斜していて言葉が生きて動く感じが弱い。関は「むらぎもの」の句について、「俳句の歴史を肉体化した〈心〉が月を受けとめている」と高く評価しているが、この句からそんな心がほんとうに読み取れるだろうか。おおげさな、こけおどしの物言いを関はしていないだろうか。
 宇多の句は、大自然の中の小さな風景をとらえているが、私見では、宇多は大自然を優位に置き過ぎていると思う。右の三句の中では「月に置く」の句のイメージの端的さをもっとも感じる。跨いではいけないと思いながら、跨いでしまうような危機感というか、誘惑されるような感じがいい。もっとも、この感じ、やや既視感も伴う。それが私には不満だ。

 と正直に述べているのはいいとしても、返す刀で、「新家の句集は荒っぽいが、その荒っぽさが片言の冴えをみせている」と言い、「瑠璃色のいそぎんちゃくに日は暮れぬ」の句に、「端的なイメージがくっきり、この作者、冴えている」と結んでいるのは、下五「日は暮れぬ」の安易とも思える措辞によって、その冴えも台無しになっているのではなかろうか。それは、どのように言ってみせたとしても、80歳を超えた俳人とその半ばまでしか人生経験のない俳人の使う言葉に、自ずとその厚みの差が出てしまうのではなかろうか、と思いたいところだ。
 ともあれ、「子規新報」の特集「大野岬歩の俳句は、地味ながら,良い特集だったと思う。小西昭夫が最初に出会った俳人の顕彰に勤めているとおもうのだが、それは実にいいことだと思うのだ。



2018年12月24日月曜日

大本義幸「物言わぬわれを昼月が追ってくる」(「俳句新空間」第10号より)・・



 「俳句新空間」第10号(発行人・北川美美、筑紫磐井 協力・佐藤りえ 発売・邑書林)、ブログタイトルに挙げた句は、10月18日に死去した大本義幸が前号(新春帖)に発表した句の中から、もてきまりが鑑賞したものを挙げた。その玉文に、

  癌を患い喉摘者として生活している大本さん。言葉を発せられないという事は常人には想像もつかないほどの辛さ寂しさがあるに違いない。その疎外感の表出として〈沼に語りかける私には声がない〉と作中にある。けれど掲句では昼の月が同胞のように大本さんを追ってくる。
〈ああ夕陽疲労まみれに真赤です〉一事が万事、常人よりエネルギーがいる生活。夕暮にはさぞ「疲労まみれに」なっていると思われる。この口語「真赤です」の切なさ。

とあった。平成最後の「俳句新空間」の「収穫帖」から一人一句を以下に挙げておこう。

  冬桜行方不明の鬼はここ         羽村美和子
  炒(チャオ)の音聞こえて秋の百日紅   青木百舌鳥
  鰯雲だけが白くて青日和          網野月を
  不死てふ業罰月光都市は白夜めき      井口時男
  補助線をいつも欲しがる烏瓜        乾 草川
  かつて治安維持法のあり冬帽子       内村恭子
  色なき風訳なく開く納骨堂         近江文代
  抱き合って殴り合っても夏の月       加藤知子
  喜寿米寿鐘の音胸に血の比重        神山姫余
  なにをするでもなくごちやごちやとあめんぼ 神谷 波
  万歳の後の解散秋の虹           北川美美
  秋蝶やメルトダウンする真実        坂間恒子
  シャーロック高きに登り見晴るかす     佐藤りえ
  君がため漂う花の放射線          髙橋修宏
  ごきげんよう風の改札猫じゃらし      田中葉月
  わたくしに最も遠い妻を抱く        筑紫磐井
  色づきしものから垂るる式部の実      辻村麻乃
  可愛がりすぎて兎が肥りけり        椿屋実椰
  晩秋のベルリン誰も空を見ず        仲 寒蟬
  亡き人の爪持ち歩く水澄めり        中村猛虎
  空蝉を孕ませ開戦前夜かな         夏木 久
  どう見ても不利な戦や鏡餅         秦 夕美
  秋夕焼今し耀く山脈よ           福田葉子
  行く夏を追ひ超すやうに強き翅      ふけとしこ
  狼を待ち赤づきん老ゆ           渕上信子
  もろともに時間の傘やしぐれつつ      堀本 吟
  くさむらのあなたにたてる彼岸花     前北かおる 
  秋声に溢れてをりぬ無言館        真矢ひろみ
  ZEROに似て沈みゆくなり大西日      もてきまり
  一体の地蔵一本の白曼珠沙華        渡邉美保



2018年12月23日日曜日

白木忠「一月の竹のまつすぐなるを泣き」(「韻」第29号より)・・



「韻」第29号(韻俳句会)のなかに、「時代のつれづれに今、白木忠の声を聴く」(白木忠遺稿より)があった。注には「執筆年月日は不明だが、韻発行所に遺されていた遺稿より転載した」とある。愚生の若き日、坪内稔典の「現代俳句」(南方社)?だったか、白木忠特集のために、白木忠論を書いたことがあるが、今となっては、じつのところ何処に何を書いたのか、はっきり覚えていないのである。その遺稿に、彼は自句について、

   寝姿を真似て地獄のなかにゐる 白木忠句集『暗室』より

(前略)誤解をされないためくどくどと書くのであるが、寝姿を真似ることが作中における作者の肉体的事実でなくてもよいのであり、作中の作者が対象に対して真似るのは肉体をもってしても、観念的であったとしても何ら真似るという事実に変わりはないのである。たとえばに日常的に使われる伝達の事実であっても言語表現として存在する場合は、たんなる事実を超えるときがあり、それは、伝達的に使われた事実が上下の言語関係によって転倒したり、歪められたとき伝達の言語としての域を超えるのである。
 伝達だけの言語表現であれば〈私〉を超える、つまり観念的自己という自己分裂は関与してこないのである。寝姿を真似るという事実を捉えるとき、読手の〈私〉は現実の自己を離れた観念的自己によって作中の作者と出会い、その寝姿を追体験するのである。(中略)句中にいるのは〈私〉ではなく作者なのである。かといって全く無関係ではなく、句中の作者をあやつる現実の〈私〉とは深く関わるのであり、ここで一つの〈作者〉と〈私〉の転倒があると言える。

 と示唆的に述べている。他に、後藤昌治「長い時の流れの中」(十二)は亀山巌をめぐる豆本のエピソード、何と言っても、志摩聰(じつは原聡一)についてのことが記されているが、もはや、志摩聰のことを語る人も皆無に近くなってきた今日、彼の詩的行為、作品についての実に貴重な証言であり、まるごと引用したいほどである。ここでは3句のみを引いて供しておこう。

  白鳥ヲ
  蹂躙スル
  あだりんノ
  まんどりん  

    黄体説Ⅱ(黄陰説)
  黄彌勒(コウミロク) 黄旗干鰈(コウキヒカレイ) 黄紙幣(コウシヘイ)     

  絵本ヲ引ク犀 苺じやむヲ煮ル汽罐車ヤ

ともあれ、同誌より一人一句を以下に・・・。

  会ふ前の我は逢ひてのちの滝は     片山 蓉
  稲刈り機死んだ男の田に動く      金子ユリ
  かまつかや紅テントから李麗仙     川本利範
  夜学性非常階段より帰る      児嶋ほけきよ
  遠景のビル灼けてをり思惟のうち    後藤昌治
  覚醒か仮死かしぐれにうづくまる    佐佐木敏
  釘打って母は独居へ沈みゆく      谷口智子
  研がれ目覚めて冷まじへ駛走せり    千田 敏
  危ふくも霧を抜け出て草毟り     寺島たかえ
  合歓の花忘れてしまふ影のこと    永井江美子
  誰がために朽ちて愛しく萩の花     廣島佑亮
  穭田の青々のびる虛穂(うつほ)かな  前野砥水
  忘却の手前に忘我をの凌霄花      森千恵子
  形式の内なることば心太        山本左門
  野菊抱き見えぬ明日を見てをりぬ   依田美代子
  泥手にて扱き蓮根の泥おとす     米山久美子
  水澄めり神馬のまつ毛長かりし     渡邊淳子
  向日葵を刈りつつ焦げる生きのこる  小笠原靖和

白木忠(しらき・ちゅう) 1942年~2012年 享年70。岐阜県生まれ。




2018年12月22日土曜日

武藤幹「夫唱(ふしょう)せず婦随(ふずい)もなくて冬日和」(第186回「遊句会」)・・・



 一昨日は第186回遊句会(於;たい乃家)だった。兼題は、十二月・返り花・冬日和。
いつも句会報に逸早くまとめて送って下さる山田浩明がメールに曰く(無断引用ですがご容赦を・・)、以下に、

186回って、15年6ヶ月。よく続きましたよね。
そして、平成を超えて、まだまだ続きそうですから、目指せ、360回!!ですか?
思うだに恐ろしい。無いとは言い切れないから、さらに怖~い。
怖いもの見たさと云うのも無くもない。ゾ~ッ・・・。
とにかく皆さん、生きて年を越し、187回目の句会を迎えましょう。

どうぞ良い年を。正月休みの宿題は「椿・初笑い・目刺し」です。

 というわけで、来る一月の兼題は、椿・初笑い・、目刺し、である。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  十二月銀座四丁目の孤独       原島なほみ
  公園の病(やまい)談義や冬日和    川島紘一
  右傾化や世界に妖(あや)し返り花   武藤 幹
  銭湯の煙まっすぐ冬日和        加藤智也
  憂きことは電飾に秘す十二月     中山よしこ  
  十二月老いた流しの古賀メロディ    石原友夫
  風呂敷に情の凸凹十二月      たなべきよみ
  それぞれの「災」の字なぞる十二月   橋本 明
  また今日も喪の便り来る十二月     天畠良光 
  冬晴れや遊女の「ほど」の乾くほど   村上直樹
  その時もあなたの時です返り花     山田浩明
  ままならぬ逢瀬をなげく十二月     石川耕治
  猫欠伸(あくび)我も大口冬日和    石飛公也
  帰り花風がひらきし朱印帳      山口美々子
  風ふけて月繊(ほそ)りゆく十二月   渡辺 保
  ぬくもりが水に響いて冬日和     春風亭昇吉
  昼天に白き三日月十二月        横山眞弓 
  陽だまりに人恋しくて返り花      前田勝己
  老木の割れ目に朱き返り花       林 桂子
  帰り花花と知らずに咲いている     大井恒行
  

        撮影・渡辺保 芭蕉終焉の地・御堂筋緑地帯内↑
        難波別院(御堂筋前)句碑「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

2018年12月21日金曜日

中田剛「ひるがへるたびつばくらめふえてゆく」(「白茅」第18号)・・・


 
 「白茅」第18号(白茅俳句会)、先日の「豈」忘年句会で、酒巻英一郎は、その同人所属を「LOTUS」「豈」「白茅」です、と自己紹介をしていたが、その酒巻英一郎の多行俳句作品を「白茅」創刊号で手にして以来、まさに久々で「白茅」を手にした。奥付けには発行・編集人に羽野里美、共同代表に中田剛、坂内文應とある。青木亮人の連載「俳句と、周りの景色」(18)-トルコ行進曲ーの結びに,目が行った。

  (前略)平成期に入り、三島の楯の会を想わせる句群を詠んだのは関悦史である(ガニメデ」70号、二〇一七)。(中略)
 若き兵らはアニメのキャラのように平板で、永豪回帰の不穏さを帯びつつ青ざめた表情で教練や戦闘に勤しむ。アニメ「スカイ・クロラ」で永遠に死ねない少年少女らが散華しては生まれ、戦闘機に乗って理由の不明な戦争を続けるように、句群のなかで英霊はキッチュに空を翔け、切腹の作法や散華を繰り返し、復活する。快活さと物憂さが混じりあい、汗と哀しみがたゆたう彼らの姿はグールドのトルコ行進曲が手繰り寄せる人形のようだ。(中略)安っぽく、奥行きを欠いた、チャーミングですらある兵隊たちの行進、それを寂しげに鼓舞する人工の旋律は、戦後日本から平成を貫く響きに他なるまい。
  空虚守ルタメノ教鞭完璧ニ     関 悦史

 と述べられていた。愚生は、青木亮人が多くの連載を抱えて、総合誌などにも色々書いているのを、注目して、できるだけ目を通そうとしているのだが、それぞれの媒体に応じてかき分けているような印象がある。がしかし、こうした同人誌などに忌憚なく書いているものの方が格段によく優れているように思える。確かに器用に書き分けることも大切なことなのだろうが、彼の透徹した筆致については、いかなる処においても、遠慮、配慮することなく維持してもらいたいと願っているのだ。他に、飴山實繙読「『変身の思想ー西東三鬼論ー」も面白く読ませていただいた。 ともあれ、同誌より一人一句を以下に挙げておきたい。

   一日が擬宝珠の花の盛りなり      金田咲子
   風よりも白く九月の手紙かな      栗島 弘
   蟬しぐれ抉られし幹のひとところ    中田 剛
   もの思ふはじめは水の澄みゆける    坂内文應
   射干の種採ることも一ㇳ日かな    石川やす子
   青空に群赤とんぼからみつつ      川田和子
   天高し忘れし事も忘れけり       神蛇 広
   花静かなり人静かなり薄日       久保京子
   どこからも雲の峰聳つ吉野かな    熊瀬川貴晶
   春物を脱ぎて水着のマネキンか    小山宗太郎
   語り部のしわのふかさよ原爆忌     清水 薫
   同じ絵のゆつくり回る絵灯籠      長谷部司
   とほくちかく蜩こゑをかさねては    服部由貴
   きりもなく沙羅咲いてをり散つてをり  羽野里美
   つくづくと手強さうなる大南瓜     本間良子
   西日差す窓辺に並ぶ一斗缶       山鹿浩子


2018年12月20日木曜日

林亮「冬田ではなくあきらかに霜の景」(『瞭』)・・



 林亮句集『瞭』(私家版)、『高知』『高遠』に次ぐ第5?句集である。「あとがき」に、

  前句集「高遠」(平成二十八年十二月刊)以降の約二年刊の作品の中から、六百四十句を選んでみました。句集の名の「瞭」は、私のあこががれの世界でもあります。

 と記している。さらに、

 俳句のおかげで、退職後も充実した日々を送ることができました。これからも「草苑」に学んだことを大切にしながら、俳句に向き合っていきたいと考えています。

 と、どこまでも謙虚である。句集名の「瞭」は「あきらか」である。付会かもしれないが、ブログタイトルにした句「冬田ではなくあきらかに霜の景」はそのひとつであるにちがいない。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   どちらかに降る別れ雪忘れ雪     亮
   風雨には到らぬ風と花の雨
   風出づるたびの白さのしらはぐさ
   風船をなくせし覚え空になく
   糸蜻蛉空にもまして水は晴れ
   窓ごとに海の嵌まれり海の家
   風の死を風鈴の音の暗に告ぐ
   竹の花これほど咲くは地の病
   枝打ちの音の多くは地に落ちず
   道よりも冬ざれてゐる道しるべ
   凍つる余地なほ凍蝶にありにけり
   火の中に手袋己が手をひらく

 林亮(はやし・まこと)昭和28年、高知県生まれ。



2018年12月19日水曜日

宇多喜代子「戦あらば戦前戦後ある冬日」(『森へ』)・・・



 宇多喜代子第8句集『森へ』(青磁社)、2014年から2018年の句を年別に収めてあるが、句集名ともなっている「森へ」と題された一連の24句が2017年の末尾に収載されている。
その一連の冒頭の句は、

  蛇の手とおぼしきところよく動く    喜代子

である。以後には争いの現実に取材したと思われる句が並ぶ、例えば、

  霧深き森に隠そうシリアの子
  日光月光ここまでは来ぬ弾礫
  八月に焦げるこの子らがこの子らが

 こうした句を読むと、師の桂信子が新興俳句に連なる志を秘めていたように、宇多喜代子もまた、その志を想い、いわば新興俳句の系譜につらなる末裔であることを思わせる。ともあれ、本集よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  花冷えの石を連ねて山の宮
  秋彼岸形見の時計遅れがち
  水分の神か真白に草氷柱
  転がつて毬は方位をあいまいに
  終わりなき戦に梟を送り込む
  草の実のとりつく者らみな敗死
  秋袷死なずに生きていずれ死ぬ
  国益にならぬ蚕も透き通る
  不戦宣言そののち緩む単帯
  生きていること思い出す夏座敷
    旧作に〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉
  八月はまことに真夏永久に真夏 
  正月が来るとおもへば必ず来る
    弟急逝
  冬の街弟のほかみな長寿
  ごまかせぬ蜻蛉の眼人間の眼 

宇多喜代子(うだ・きよこ)1935年、山口県徳山市(現・周南市)生まれ。




★閑話休題・・髙柳蕗子「青柳定食」(「六花」VOL.3より)・・・


 「六花」VOL.3(六花書林)、六花書林(宇田川寛之)は、創業14年目に入ったのだそうである。特集は「詩歌の魅力」、それぞれに興味深い論、エッセイが掲載されいるが、どうしても、愚生のいく人かの知り合いに目がいってしまう。中でも高柳蕗子「青柳定食」と題した論,『万葉集』以来の二十一勅撰集に約38200首ある歌のなかで「柳」に言及する歌が158首、しかもその3分の2の105首が「青柳」なのだそうである。また「柳」には「春」でそれが73首、同様に「柳+風」も44首があって、「風」と書かないまでも風になびく描写が重複して出てくるのだそうである。

  だが、最も注目すべきは、「糸」だろう。「柳+糸」は九十二首で、そのほとんどに「乱れる」「撚る」「なびく」「結ぶ」「貫く」等々の縁語がいっしょに使われているし、「糸」と言わない歌でも糸の縁語が糸っぽさを演出している。そして、「糸」とその縁語たちは、しなやかに風にゆれる緑あざやかな春の柳という可視のものにっよって、「青春の純粋な恋心」という不可視のものを表現する。これこそが「青柳定食」特有の、繊細な流しそうめんのごとき食感である。

 と述べ、「青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  紀貫之『古今和歌集』905年頃」の名歌が「青柳定食」のイメージを定着させたという。その他、「露玉コラボ」と名づけている「露玉定食」もあるのだそうである。その融合で「青柳の糸に玉ぬく白露の知らず幾代の春か経ぬらむ  藤原有家『新古今和歌集』1216年頃」で、イメージコラボ「青柳露玉定食」にいたるのだ。それでも、現代短歌においては、いまや希少で、

 もはや日本語の胃にほとんど溶けてしまったのだろうか。人の縁を糸の交差に例えて歌う中島みゆきの「糸」を聞くたび、そこに姿をみせない青柳を思う。

 と結んでいる。そのはかにも興味をひかれたものも多かったが。もはや紙幅も尽きた。そうそう、つい先日、大橋弘「とっておきの詩歌書②」に「阿部青鞋選集『俳句の魅力』」が載っていたことをその選集を編んだ妹尾健太郎に知らせたら、岩尾美義句集『液體らんぷ』と一緒にあって光栄だ、とメールが入っていた。


2018年12月18日火曜日

高山れおな「中年や消えたき時の秋昼寝」(『冬の旅、夏の夢』)・・・



 高山れおな第四句集『冬の旅、夏の夢』(朔出版)、装幀は日下潤一(組版・装画も)。奥付前のページに、本著使用の用紙、書体、また、通常版とは別にアビノノコの手製本布装の限定版44部(非売品)があることが記されている。高山れおなの若き20代の日、「俳句空間」(弘栄堂書店版)に、作品10句をもって投稿する新鋭瀾に登場した時、すでに大人ぶりの見事な有季定型の句作りをしていた著者の今回の句集もまた、期待にたがわぬ句姿の正しい句が並んでいる。「後記」に、

 □「我俳諧に遊ぶ事凡(およそ)五十有余年、今齢七旬になんなん(原文は踊り字)とす。いまだ自得のはいかいをせず」といふのは、『桃李』の几董の序文草稿に引かれた蕪村の発言で、昔からなぜか好きな言葉だ。当方はちやうど齢五旬を閲したところ。当面は遠心力に身を任せて「いまだ自得のはいかいをせず」の気分を維持してゆきたい。
 
 と、記している。今回、改めて驚き思ったことは、彼が毎年、加藤郁乎忌を修して数句を献じていることだった。例えば、

     夏の夢     没後一年
   へゞれけの大カトー忌の薄暑かな
     ブレボケアレ  没後二年
  郁乎忌やブレボケアレの尿(ゆまり)して
     ハオ      没後三年
  我が汗の月並臭を好(ハオ)と思ふ
     
 今どきの句集には珍しく、どのページから読んでも、それぞれの趣向があり、楽しませてくれる。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  夏雲走る〈町へ(エス・テン・ポリン)〉そこへ天降(あも)
  〈あはれにすごげ〉須磨のガストといふ処
                *括弧内は源氏物語「須磨」より。
      歌麿《歌まくら》
  灯火親し艶本(ゑほん)の馬鹿のつまびらか
  変ロ短調的秋だticktackさよなら倫敦
      鹿島社の武神タケミカヅチが鹿に乗り、
      御蓋山に降臨したのが春日社の起こり。
  日本中デコトラ走る建国日
  夜を寒み乱声(らんじやう)つひになきさけぶ
      同午後十一時 還幸の儀
  御子神(みこ)送る塵の我らや息白く
  鴨・海老・豚みな死んでゐる皆で囲む
  百千鳥百千の胸の火を思ふ
  蝶発ちて青い地球に影は落つ
  穢土俳諧歳時記全て憶ひ出なり曝す
     仁平氏、「二人姓名詠込句」と題し、〈鷹病(たかや)まれオナニー尽(つ)くし晩成(ばんせい)す〉/他の句、「週刊俳句」にて披露ありければ、返し。
  (しい)されし新(にひ)ラマ猿(さる)か十幾矢(とをいくや)
     ハイクエンジン
  月冷式俳句内燃機関(ハイクエンジン)の虚航を嘉(よみ)
  
 高山れおな(たかやま・れおな) 1968年7月7日、茨城県日立市生まれ。




2018年12月17日月曜日

羽村美和子「葉鶏頭密談すでに濡れている」(「ペガサス」第3号)・・・



 「ペガサス」第3号(代表・羽村美和子)、順調に号を重ねている。同人も増え、札幌句会も誕生したようである。同人各人のエッセイには、当然ながらそれぞれの人柄が現れている。「雑考つれづれ」の羽村美和子「三橋鷹女を追って」も連載三回目。羽村美和子の主張がよく出ている。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  アウシュビッツ博物館カフェにホットチョコレート 髙畠葉子
  「陀羅尼助」看板古び笑い茸          徳吉洋二郎
  蛍袋まだ残っている戦後             中村冬美
  十月のダリア無くしたはずの鍵がある      羽村美和子
  月明や帰化許されし妻とゐる           檜垣梧樓
  寄せる波わたしが消える秋の波          浅野文子
  曼珠沙華海へ眠っている戦            東 國人
  フォックスフェイス二番目のドアから呼ばれ    篠田京子
  うすばかげろうああそれはもう綺麗事      瀬戸優理子



第8回アトリエグレープフルーツ展↑



       吉田廸子詩画集(2012年・アトリエグループフルーツ)↑

★閑話休題・・・「吉田廸子と絵を描く仲間たち展」(練馬区美術館企画展示室2018年12月11日~16日)

『吉田廸子詩画集』の冒頭の「のどかな仮面」は、次のように書き出される。

 午さがりはその長閑な仮面を
 端正に着けたまま
 流れゆく時の陰影を
 ひそかに刻み続ける   (以下略) 

 その吉田廸子は2008年に武蔵野市吉祥寺の自宅を場に、アトリエ「グループフルーツ」を開設。2011年に死去するが、その志を継いで、小島顕一、その後、井坂奈津子が代表を務めている。その歩みを共にともしてきた両名に、愚生を引き合わせたのは、首くくり栲象の骨壺の置かれた庭劇場での、書肆山田・鈴木一民によってだ。今年、早春のことであった。そのグループ展に出かけた。



『銅版画集2012-2015』
井坂奈津子(いさか・なつこ)
1982年東京都生まれ。↑



井坂奈津子↑

               小島顕一 ↑


   アトリエグレープフルーツのオープンアトリエの案内↑
   月の第4土曜日に行われる。2019年1月26日~

2018年12月14日金曜日

倉阪鬼一郎「町に人の愛あるあかしさくら耳」(『俳句ねこ』)・・



 倉阪鬼一郎&写真・沖昌之『俳句ねこ』(発行・ホーム社、発売・集英社)、表4側の帯には、

  『必死すぎる猫』の写真家・沖昌之と、『猫俳句パラダイス』の俳人・倉阪鬼一郎の鮮烈なコラボ!猫俳句歳時記&猫写真集

と惹句されている。ブログタイトルにした「町に人の愛あるあかしさくら耳」の句には、以下の註も付されている。

「季語」さくら(耳)
野良猫を捕獲して不妊手術を施し、また元へ戻せば、地域ねことして平穏な猫生を送れますし、ひいては殺処分ゼロにつながっていきます。TNR活動と呼ばれるこの活動によって不妊手術を受けたねこは、目印のために耳をさくらの花びらのようにカットされます。町に愛のあるあかしの、季節はずれの桜です。

 その左ページの猫の写真(上掲)をみるとたしかに猫の耳はカットされている。これもまた、愛のというかなしい姿のひとつなのかもしれない。「はじめに」で沖昌之は、

 倉阪鬼一郎さんがぼくの写真に俳句のせて楽しんでくださったところから、この『俳句ねこ』はスタートしました。

 と記し、倉阪鬼一郎「あとがき」には、

 作曲家の古賀政男(こがまさお)は「詞はお姉さんで、曲は妹」と語っていました。お姉さんの導きあっての妹というわけです。
 本書では、沖昌之さんの写真がお姉さんです。沖さんが撮影された目移りの連続の膨大な猫写真を見ているうちにひらめいた俳句を書き止め、少しずつ本文を構成していきました。
 自作の俳句のほうが付けやすいのですが、人の句が浮かんだときはそちらを採用しました。

 とある。猫好きの人にはたまらないだろう。


薄闇にねこ涼みゐる青さかな      倉阪鬼一郎↑



猫の子がちょいと押へるおち葉哉    小林一茶↑


       冬空や猫塀づたひどこへもゆける    波多野爽波↑

 沖昌之(おき・まさゆき)1978年、神戸生まれ。
 倉阪鬼一郎(くらさか・きいちろう)1960年、三重県生まれ。