(前略)福島の原発事故が起きた現在、わたしたちは福島の経験をみずからの経験とすべきだろう。福島の八年の苦難が培ったものを、日本全土に架橋する時だ。
この、アジテートをよしとしたいと思う。原発による苦難は、その廃炉への射程からすれば、まだ8年しか経っていないのだ。この一部始終は忘れられてはならないにもかかわらず、他の原発は目白押しに再稼働をしている。よくいわれる様々な立場がある、などというのは、たぶん、被災の当事者ではないからそう言えるのであり、愚生も含めて、心の奥底で、仕方ないのではないかと、諦めている部分があるのではなかろうか。声にならないまでも、その声を届けなければならないのではないかと、改めて思わされた。それにしても、俳句総合誌で「原発を詠む」という特集をしたとして、およそ駄句の山を築いてしまうのではないかという恐れが十分にある(ごく少数の句をを除いて)。それでもたぶんやる意味はあるだろう。で、詩歌のフォルムの違いによる現実的な困難を引受ける意味はたぶんそれぞれの作者に降臨するだろう。
本特集で吉田信雄は「故郷喪失」に書く。
昭和十五年から十七年にかけて、高さ三十メートル余りの海岸の段丘の上にひろがる山林を軍が拓いて飛行場ができました。勤労奉仕という無償の労働力でつくられた飛行場でした。(中略)
終戦後、飛行場には誰もいなくなりました。(中略)飛行機のタイヤや燃料タンクをとった。(中略)それに海水を汲んで塩を焼いたんです。(中略)昭和二十三年には国土計画興行株式会社が土地の払い下げを受け、塩田を拓きました。西武グループの創業者の堤康二郎が戦前におこした会社でした。
つまり、昭和三十年代、その国土計画興行の所有していた土地を東京電力は買収交渉をし、原発を建設した。
飛行場に次ぎて塩田つづまりは原発となるわがふるさとよ 吉田信雄
一時帰宅に帰ればわが家の軒下に飼い犬は死せり繋がれしまま
原発禍に人影のなきふるさとの墓のみ祖の骨を拾へり
結びに、吉田信雄は、
ふるさとがなくなるということは金銭で購えるようなことではないと痛切に思います。しかも、わたしの家は廃棄物の中間貯蔵地で、中間と言いながら、「最終」になってしまう危惧もあります。そのことを後世に伝えていくことがわたしの義務ではないかと感じています。
と記している。
地元では使へぬ百万キロワット山越え遠く首都圏へ行く 伊藤正幸
また、高木佳子は「『当事者』を問う」で、「場とことば」として、
ことばもまた、時期によって、場によって、読み手の質によって変化する。変化は読み手(受け手)によっては、思いもしない興味深い反応が生まれる。豊かな読みにつながればいいが、意見が違えば拒絶する。あるいはバッシングするという短絡的な反応として現れてくるのが現在の状況だ。
と苦悩し、「私たちに『当事者』はいなくなったのであろうか?そうではなくて、この不条理な状況をどうかんがえるのか、それもまた『当事者』であると言えないだろうか」と述べている。
あるいは、江田浩司「岡井隆の短歌を中心にして、『原発と前衛』について考えたこと」では、
岡井短歌の本質に通底する特質がある。岡井固有のジェンダー観に根を置く岡井の原発の歌は、岡井隆の前衛性と分かち難く存在している。岡井短歌が内在する否定の前進性は、科学やテクノロジーの進歩主義と同次元に語ることはできないが、どちらも近代主義のパラダイムの枠の中にあるのである。
と指摘している。ほかにも興味深い論考、エッセイが多くあるが、ここでは、アトランダムに短歌作品を以下にいくつか挙げておきたい。
この国に女宰相生(あ)るる日と核兵器持つ時代(ときよ)といづれ 岡井 隆
亡ぶなら核のもとにてわれ死なむ人智はそこに暗くこごれば 〃
癌ゆえに逝きし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ 波汐國芳
「廃炉担う若い力」というけれど誰にも担う義務はないのに 梅田陽子
食べるわけないと思ひつつ想像する水仙の毒を食べてそれから 小林真代
事ここにいたりてなほも再稼働したがる顔を見たい、見せてよ 佐藤通雅
原発を恐るるは無知か安全を言ひ張ることもあはれ蒙昧 中根 誠
わが部屋より原発の塔の点滅日々見てをれば責めるもむなし 猿田彦太郎
蝶形(てふがた)の四国うつくし一点に燐(りん)集まりてしんしんと燃ゆ
高野公彦
稼働せし日はごくわづかその後も冥王(プルトニウム)を抱きたるまま
紺野万里
とこしへに原発事故の起きぬことねがひて春の雪空あふぐ 田宮朋子
撮影・葛城綾呂 有明のスーパームーン↑
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