2019年3月16日土曜日

成瀬喜代「白鳥引く藍の深きを湖に置き」(『東路』)・・



 成瀬喜代第一句集『東路(あづまぢ)』(俳句アトラス)、集名の由来については、著者「あとがき」に、

 私の家の前に別格官幤社「小御門神社があります。ご祭神は後醍醐天皇の忠臣・贈太政大臣藤原師賢卿であります。明治十五年、神社創建時に遠祖が携わったことを誇りとし、御崇敬の念を心に置き、御加護を享けながら現在に至っております。師賢卿の御歌、

 東路やとこよの外に旅寝して憂き身はさそな思ふ行く末  

この御詠の「東路」を肆矢(よつや)宮司様のお許しを得て句集の題名とさせて頂き、句集の表紙として、紫色に白い紋様の浮かぶ袴のデザインを拝借しました。

 とある。懇切なる序文は、松浦加古。その結びに、

  わが影を捉へて点る寒の門

 永い人生の悲喜こもごもを明るく前向きにとらえ、俳句に情感の世界をこめることで人生をより深いものにしておられる。一冊の句集にまとめることによって、成瀬さん独自の「生のあかし」が、ここに永遠にとどめられたことを心より喜びたい。

 と記されてる。著者・成瀬喜代は91歳、ブログタイトルに挙げた「白鳥引く藍の深きを湖に置き」の句には、「師・野澤節子先生との永遠の訣れ」の詞書が付されている。
 ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  子に代はる嬰(こ)ほどのこけし十三夜    喜代
  宿り木も共に神木冬の樟
  産土に啼く夜啼かぬ夜青葉木菟
  師の絶句声となりゆく牡丹雪
  夫は天にわれは地に聞く除夜太鼓
  支へなき身を真つすぐに水仙花
  来るものは栗鼠とて嬉し落ちる栗
   「千紅」全員で石毛善裕氏の墓参へ
  菊供ふ地より「おいら」の声をふと
  うたたねに亡夫来てをりぬ四月馬鹿
  十二月八日かの日わたしは十四歳
   東日本大震災
  咲くつばき大揺れ共に耐へるのみ
  春愁やこけし寝せおく震災後
  父の日や「本読め」といふ父の声
   亡夫の物整理
  二度訣かるる思ひに捨つる白絣
  星月夜あふぎ逢ひたき人あまた

 成瀬喜代(なるせ・きよ) 1927(昭2)年、千葉県生まれ。



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