朝倉由美第二句集『銀河仰ぎし』(文學の森)、祝句に大牧広。
冬牡丹いのちの色を見せにけり 広
著者は、めでたく米寿を迎えられたという。当然ながら、戦時を思わせる句がある。
料峭や学徒動員耐へゐし日 由美
七夕竹出征の兄と飾りし夜
八月や消ゆることなき戦のこと
終戦日こはごは管制ときし夜
それらの体験は、
八月や言ひつぎことに核廃絶
末枯や核廃絶を守りたし
への思いとなって表れている。因みに集名になった句は、
焼跡に銀河仰ぎし頃思ふ
である。ともあれ、以下にいくつか句を挙げておこう。
三国トンネル抜けて枯野となりにけり
短夜を長くしてゐし手術の夜
揺れ止まぬ地に耐へてゐし余花に逢ふ
老いと言ふ怖さ深めてゐし晩秋
安寧とは言へぬ老境虫激し
桐一葉若き日の母溢れさす
朝倉由美(あさくら・ゆみ) 昭和5年 東京生まれ。
「東京新聞」3月16日夕刊↑
★閑話休題・・柿本多映「俳句とはぬえのようなものである」(「東京新聞・俳句時評」3月16日夕刊)・・
3月16日付け東京新聞夕刊、福田若之「俳句時評・ここに句がある」は、俳句時評について、松根東洋城《渋柿の如きものにては候へど》の誤伝を冒頭に述べながら、「俳句」3月号の「俳句とは○○のようなものである」の俳人へのアンケートに関して、
俳句時評とは、〈国民的な文芸〉としての〈俳句〉といった類いの観念を、俳句にさしたる興味もないひとびとにも、とりあえずうっすらわかちあえる体(てい)にしておくようなものである。
と述べ、だから、
〈俳句とは俳句のようなものである〉とする高原耕治や佐藤文香らと、〈俳句とは「俳句のようなもの」のようなものである〉とする竹中宏の資質の違いも、残念ながらここでの関心事とはなりがたい。多くの目にはどちらもイメージを欠いた韜晦(とうかい)と映る、違いは無残にも捨象される。
という。よってもって、
これからは、もし誰かが同様の問いに答えなければならない羽目になっても、柿本多映に同じく《俳句とはぬえのようなものである》と繰り返しておけば、ひとまずは事足りるだろう。
社会が「俳人」に望んでいるのは、句を書くことよりも、こうした問いにすぐさまそれなりに気の利いた答えを用意してくれるようなものであることなのだ。俳人は、そんな社会と向き合う術(すべ)を、いま十分に心得てはいない。
と結んでいる。
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