2019年4月23日火曜日

大森藍「一揺れもなき新緑の底にひとり」(『象の耳』)・・



 大森藍第二句集『象の耳』(金雀枝舎)、集名の由来について、著者「あとがき」には、

  句集名『象の耳)は〈かなしみのなほ秋風の象の耳〉の句に拠る。子どものころ親しんだ宮沢賢治の『オッペルと象』の童話が、なにかの祈りに胸に甦る時がある。こころやさしい象子ども時代の断片を拾うのだとすれば、なぜかこの象は、かなしみと共に私の内でリンクする。

 とある。帯の惹句は今井聖、それには、

 象の耳を見ては哀しいと思い、活断層の上に立つと己をひりひりと実感する。
 夕虹に祈りの色を加えては、阿弖流為の憤りを風の中に聴く。
 大森藍の作品世界には状況を見据えた上での「知性」と「想像力」が拮抗している。

 という。俳句を始めて25年、米寿の女性である。当然ながら戦争による体験、敗戦による価値観の転換、あるいは大震災の記憶は、いまだに鮮明である。それらの様々が句となって表されている。残された時間はもう長くない、と仰っているが、自愛を重ねて、さらに長生きをされ、様々を見届けていただきたいと思う。ともあれ、以下に愚生の好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。

   薄氷に夢寐(むび)の涙を閉ぢこめて     藍
   黴の書の傍線朱きより怒濤
   神の黙にんげんの黙梅ひらく
   踝に波の記憶や盆太鼓
   台風一過濁流に椅子起き上がる
   半分に満たぬ骨壺蟬時雨
   影を濃くわが髙空に鷹を飼ふ
   吊り橋のその先見えず春の雪
   「熊出ます」東北大学工学部
   つぎの世へ足を伸ばしぬ目借時
   時の日の道曲がるたび細くなる
   人類にセシウム蛇は穴に入る

 大森藍(おおもり・あい)1931年、宮城県塩竈市生まれ。



「しんぶん 赤旗」4月10日(水)↑

★閑話休題・・今泉康弘「松本竣介と街と渡邊白泉」(「しんぶん 赤旗」4月10日・水曜エッセー)・・・


今泉康弘「松本竣介と街と渡邊白泉」、松本竣介は36歳で亡くなった夭折画家。その代表作に「街」があるが、不思議な符号のように、1938年作の渡邉白泉「銃後といふ不思議な町を丘で見た」の句と同年8月に制作された絵なのだという。そのことを、

 この白泉の句は1938年作。俊介の「街」と同じ年の作である。「銃後」とは、戦場の後方や、直接戦闘に加わらない一般国民を指す。このとき、戦場は中国大陸にあったが、国内の全ての場所が「銃後」と呼ばれて戦争体制に組み込まれていあった。その「銃後」と呼ばれている町を丘の上から見る。町にはさまざまな建物があり、さまざまな人々が生活している。その姿は戦時色に染められていく。そこににじむ悲しみー。竣介と白泉、この二人の作品は同じ年に作られており、、どちらも戦時下の「まち」を描いた作品である。直接の影響関係はないのだけれど、ここには何かつながりがあるのではないだろうか?

 と記している。愚生が好きなのは、一般的で、彼の代表作だと思うが、立ち尽くしている青年を描いた「立てる象」である。今泉康弘は、戦前に当局から弾圧された新興俳句運動に造詣が深い。現俳壇では、新興俳句の研究者と言えば川名大を第一人者にあげるのにやぶさかではないが、その川名大を継いでいる志篤い青年俳人が今泉康弘である。
 余談だが、愚生の地元の府中市美術館にも松本竣介の絵が一枚所蔵されていたように思う(今、調べたら「ビルの横」らしい)。
 ともあれ、5回の連載を楽しみに読みたいと思う。

 ・松本竣介(まつもと・しゅんすけ) 1912年4月19日~1948年6月8日、東京府生まれ。
 ・渡邊白泉(わらなべ・はくせん) 1913年3月24日~1969年1月30日、東京市生まれ。
 ・今泉康弘(いまいずみ・やすひろ)1967年、群馬県生まれ。

 

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