2019年4月28日日曜日

武藤紀子「存在(ザイン)としての灰色の鶯を」(『たてがみの掴み方 俳人・武藤紀子に迫る』より)・・)・・



 インタビュアー・橋本小たか『たてがみの掴み方 俳人・武藤紀子に迫る』(ふらんす堂)、言ってしまえば、武藤紀子の句の自句自解なのだけれど、一般的なイメージを超えた自句自解である。そんなに喋っていいの・・・という感じ、それでも、たぶん一筋縄ではないものを彼女は持っているのだろうと想像させる。愚生などがいちいち紹介するよりも本書に直接あたっていただくのがベストである。その一端は、インタビュアー・橋本小たかの「はじめにひと言」の最期に以下のように記されている。

 話は昔と今を気ままに飛びかい、
 語りは東京弁と関西弁と名古屋弁のちゃんぽん。
 素材がすこぶるいいので、そのまんまおさめた。

 読んで元気になる「先生の話」と
 あなたもぜひ出会ってみてください。

 よって、愚生は、攝津幸彦を語った部分を多く、勝手に引用したいと思う。

紀子:(前略)まず攝津幸彦さんなんだけど、とにかく句も分かんないだけど絶対この人と思ったの。私が第一句集を贈ったら葉書をもらって、いま体の調子が良くないけどまた手紙でも書きましょう、と書いてくださってすごく期待していたら亡くなった。今になってみたらみんな攝津さんのことを結構書いてるし、絶対忘れられない人として残っているのよ。私の目は節穴じゃなかったわと。(中略)

その三人だわ(愚生:注、攝津幸彦・田中裕明・長谷川櫂)、私の目は絶対間違いないなと思って、その内の二人が亡くなって。田中裕明さんはすごいのは分るけど、生きていたとしてもつかなかっただろうし、あんまり違うから。攝津幸彦さんはすごい残念だった。もし生きていたら、私は絶対行って、ついてた。あの人が今やりたい現代俳句のすごいところをやってた人だと思うんだわ。
ーそのすごいところを具体的に言うと・・・
紀子:それが分かんないから、すごいのさ。普通の凡人は有季定型の写生を二十年やってそれから初めて自分の思いとか、そういうのを写生から飛ばしてやっていけるって思う。最初のころの私は攝津幸彦に知り合ったとしても、とてもついていけない。今でもついていけないかもしれないだけど、でも、今だったらなんとかついていこうとできたのにと思うね。だから早く死んでしまわはって残念だなあと思う。

 ちなみインタビューのなかで、攝津幸彦の句が5句引用されている。その中の3句を挙げておこう。

  姉にあねもね一行二句の毛はなりぬ   幸彦
  絵日傘のうしろ奪はれやすきかな
  露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
 
 著者本人の句を挙げないで失礼するわけにはいかない。ブログタイトルに挙げた「存在(ザイン)としての灰色の鶯を」の句について語っている部分を以下に引用しよう。

 紀子:この句は「Sein」って言葉から作った句なの。私はいつも吟行へ行って俳句を作るから、頭の中で俳句を作らないなんていっているけど嘘ばっかりなのよ。この句は「Sein」っていう言葉をどこかで見たのよ。ふりがなが書いてあってね。この言葉はいい言葉、これで俳句を作って雅樹君の鼻をあかしてやろうと思ったわけ。そのとき。
―(笑い)
紀子:そしたら岡崎の田舎へ吟行にいったのよ。春の頃で川べりを歩いていたら、びひゃって鳥が飛んだの。目にもとまらない速さで飛んだから、私は鳥にも詳しくないしさ。何にも分かんない。だけど鶯だと思ったわけ。違ったっていいや鶯で。その「鶯」と「Sein」で何かできないかしらとそのとき思ったわけ。しばらく考えてて、鶯っていうのは声はしょっちょう聞くわねえ。だけど姿ってのはなかなか見られない鳥なのよ。地味でさ。鶯色っていうからさ、目白?あれを見てみんな鶯を見たっていうのよ。(中略)
 ええい鶯にしちゃおうと。灰色の濃いような塊がひゆーっと行っただけだったの。だから「灰色の鶯」になったわけ。鶯の本質はあれなんだ。きれいな鶯色をしているやつじゃないんだっていうので、「Sein」が付いた。ここで(笑)。あーできたと思ったわけ。はっきり言うと、ちゃんと理屈に合っているかどうかぜんぜん分からない。

 そう、この分からないという謎がいいように思う。いい句はなかなか分からないけどいいのだとおもわせる。俳句の本で、これだけ、ざっくばらんに俳句作品の本質的なところを面白く読ませてくれる本も珍しい。ともあれ、本書中に挙げらている句を、著者自身の好きだという句と嫌いだという句のいくつかを挙げておこう。

    ・著者自身の好きな句から・・・
  黍の穂や沖ノ鳥島風力五      紀子
  初ざくら海を感じている扉
  住吉の松の下こそ涼しけれ
  死の端が見えてをるなり青簾
  信長のやうな人なり白浴衣
   子宮癌手術より五年
  完璧な椿生きてゐてよかつた  
 
   ・嫌いな句から・・・
  播州にをり白い蓮紅い蓮
  たつた今蛤置きしところ濡れ
  埋火のおほかた白し桜魚
  耳遠き人と話して秋の海
  ゆくてよりうしろにまはる花吹雪
  こほろぎの出でては入るや榾の箱

武藤紀子(むとう・のりこ) 昭和24年、石川県生まれ。



★閑話休題・・武藤紀子「ある日魚目のふところに入る綿虫よ」(「円座」第49号)・・


 ところで、インタビュアーの橋本小たかの本誌連載(43)は「十数えてあたたまる① 素十『初鴉』を読む(3)」である。「初鴉」つながりで、同号の、

  初鴉翼ふたつをばさばさと   中田剛

 数字つがりで、素十「いつまでも一つ郭公早苗取」の句について、本連載稿で、橋本小たかは、

 (前略)とある一羽の鳥の鳴き声にしばらく聞き入ることは誰にでもきっとある。しかし、それを「いつまでも一つ郭公」と単純化することはできない。せいぜい「さっきから同じ郭公」くらいか。と書いて気づく。(中略)「同じ郭公」といわず「一つ郭公」、「一つ」ということで郭公の存在が確かになる。そして確かな存在感があるくせに、実際はその声しか聞いていないという、郭公との距離感。かなり奥行のあるつくりになっている。

 と述べている。

 橋本小たか(はしもと・こたか) 1974年、岡山県生まれ。

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