個人誌「奔」3号(編集・発行人 望月至高)、その編集後記に、
平成と令和の狭間で考えてみる、というコンセプトで令和改元特集としました。(中略)
しかし、人の生は、天皇の共同幻想の時間軸を生きて元号で千切られるものではなく、歴史と個々の実存には、時間の流れの永続性と接合点があり、そこが重要なのではないでしょうか。執筆者はそれぞれの分野の碩学です。重量級論稿ばかりですので、共鳴するものがあれば幸いです。
と記されている。その論稿とは、執筆者とタイトルのみを挙げるが、佐藤清文「近代から見る『令和』」、「タフガイ・マッチョ」、「孫子と戦争」・添田馨「令和=論(A)あるいは仮死状態で生まれた元号」・今井照容「森鴎外の元號考」・福井紳一「『戦争史』に於ける『国体と天皇制』」・佐藤幹夫「評伝文学の精髄を読む」・江里昭彦「平成事件私記『犯人、捕まらんかてええのに』」・望月至高「映画『記者たち』と平成の陥穽」などである。愚生自身の領分である俳句については、筑紫磐井「平成俳句の本質」が、
(前略)しかし、平成直前に「俳句」「俳句研究」が角川書店に統合され、「俳句とエッセイ」が経営破綻から終刊されることとなり、俳壇は角川一強時代を迎えた。この時、「俳句」の編集長に就任したのが秋山みのるであり、彼が掲げたスローガンが「結社の時代」であった。
平成俳句とは、この秋山によって強引に主導された「結社の時代」及びその波及の時代、長老・大家・新人を含めた俳壇の洗脳教育の時代であったと思うのである。(中略)
実際、現代俳句の至上理念は「俳句上達」である。多くの賞の評価基準は「俳句上達」である。また、これからどんな若い世代が登場しようとも、「俳句上達」の枠の中で活躍するに止まるのではなかろうか。なぜなら彼らは「俳句上達」以外の俳句を知らないから。(中略)
混迷の俳壇の中で、秋山は平成一九年二月に「俳句界」顧問を辞職、平成一九年十一月に没している。だが、現在においても我々はあらゆる総合誌の頁に俳句上達法があふれているのを見ることが出来る。もはや我々はそれを不思議と思う気力さえ失っている。三十年前には決してそんなことはなかったのにである。これこそが「平成俳句の本質」なのである。
といささか挑発的、かつ鼓舞するように述べている。しかし、いわゆる俳壇的に領導された現象を、総合誌のデータを駆使して平成時代の俳句を剔抉させる彼の筆力には定評がある。ともあれ、本誌に掲載された俳句作品の一人一句を以下に挙げておこう。
真っさらな平和を喰らふ雪女郎 今井照容
イ いつでも穴を掘ると不発弾 親泊ちゅうしん
号令の踊りの輪より蜘蛛の檻 豊里友行
軍隊過ぐ おお ふぞろいのちんぽたち! 江里昭彦
体内時計リューズの摩耗五月病む 綿原芳美
平らかに成り損ねたり蘆の角 望月至高
暗君や阿部一族的令和 夏 大井恒行
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