2019年10月29日火曜日
葛城綾呂「切株はいま月光に爆發せり」(「未定」創刊号)・・
「未定」創刊・1978年・・・
葛城綾呂が亡くなった。昨日、28日22時6分と娘さんからのメールにあった。体調が急変し、救急車での搬送だったという。詳しいことは、分からないが、エンディングノートに名があったので、知らせてくれたのだという。たぶん愚生と同じ歳だから享年71だと思う。いつの頃からか、草花などの写真をメールで送ってきてくれていたので、それを愚生のブログにアップしていたのだ。愚生は、一時期、多い時にはほぼ毎日、最近では、二、三日に一度のペースでブログを書いていて、たまさか忙しすぎて10日間くらいのアップをしなかった時など、愚生が倒れているのじゃないかと心配してメールをくれていた。お互いこの歳になるとそういうこともありえるのだが、骨折をしたり、病中とはいえ、まさか急逝するとは、つゆ思わなかった。
葛城綾呂は愚生と同じ山口県生まれ、彼は徳山高校だったらしいから、昨年の俳句甲子園で母校が優勝したときはけっこう素直に喜んでいた。彼は大中青塔子(祥生)「草炎」のもとで、高校生のころから俳句を作っていたらしい。そして嘱望されていた。愚生や攝津幸彦、澤好摩、夏石番矢、小林恭二、林桂、藤原月彦(龍一郎)、武馬久仁裕、横山康夫などと同じく「未定」の創刊同人22名の一人だった(1978年12月)。
娘さんのメールによって、長い間、本名、とりわけ名は知らず、葛城綾呂の本名・石原隆を初めて認識したのであった。そういえば、若き日、腰痛持ちで和室での句会では横になっていたこともあった。
それにしても無念の極みである。ひたすら冥福を祈るのみである。
霜月の綾呂あやなす葛城は 恒行
ともあれ、今手元にある数冊の「未定」より、若書き、20歳代の作をいくつか以下に挙げておこう。
金曜の日なたに赤き貝の舌 綾呂
花々も藁人形も添ひ寝せり
ぬばたまの蝶の鱗を著て告らさね
蛇の肉かの蛇となりて往ねり
姉似なる座敷わらしを折檻せよ
夜間飛行の電気くらげは自転せり
朧夜や銃砲店の鳩時計
★閑話休題・・・葛城綾呂は、「宇宙葬」と言い残したという。よって、「11月2日は火葬のみの家族葬にし、1日までは遺体を葬儀社に安置して皆さんにご自由にご焼香していただく、という形にしました」との知らせをいただいた。
場所は、地下鉄南北線・王子神谷駅近くの鈴木葬儀社(北区王子5-18-13、電話03-3911ー0234)。24時間自由に焼香が可能だのことである。
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