2019年12月22日日曜日

大輪靖宏「道果てるまで月光を浴び行かむ」(『月の道』)・・



 大輪靖宏第5句集『月の道』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  月昇り海に光の道生まる    靖宏

 だろう。「あとがき」には、

 (前略)もともと私は国文学の教師であり、俳句も六十歳までは研究対象であった。自分で作ってみた方が俳句に対する理解も深まるだろうと作り始めた。(中略)自分の考える俳句というものが出来れば満足なのだ。
 こんな姿勢を押し通せるのも、私が俳句結社に所属したことがなく、俳句の上での師匠を持ったこともないからだろう。国文学研究として芭蕉や蕪村など江戸俳諧史には接し、そこから多くのことを学んだが、結局のところ俳句についてはまったく自分本位であって、自分の好みに合った句を良しとし、たとえ良い評価を受けた句であっても好みに合わなければ捨てるということをしてきた。つまり、この句集は自分の好みに合う句が一応一冊分になったということである。

 という。それでも、句を「共に作り合う仲間には恵まれて」いたといい、「この句集もそうした恵まれた環境に甘えてのものである。自己満足と言われても仕方ないが、ともかく満足しての句集である」と、さっぱりしている。そうしたマイペースの加減の良さが句句にも現れていよう。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておこう。

  生は苦ぞ死は永遠の無ぞ実朝忌
  滝へ行かう二度と気弱にならぬやう
  鳴けよ鳴け死に急ぐなよ秋の蟬
  草木みな影持つ花野大斜陽
  雛もまたやや齢老いて日は暮るる
  正面を睨みて蟹は横へ行く
  蟻の列折り返し点なく続く
  蟷螂よ歌でもうたへ怒らずに
  山を出て春の水とて流れけり
  甲高き下校の子等の声は夏


★さらに、一書・・・大輪靖宏著『俳句という無限空間』(文學の森)・・・


 「俳句が内包する可能性を探る!」と、帯の背に惹句されているが、本書の内容は、その可能性を論じて前向きである。三章に分れているが、それぞれ、俳句にとって大事なことが平易に述べられている。講演録もいくつか収録されている。自身の蒙昧もあるが、愚生にはとりわけ、一章の「短歌の表現技術からみた俳句の特性」「江戸時代の文芸の新しさーその一、そのニ」で、〈物語的な女の描き方〉〈西鶴はなぜ遊女を描いたか〉〈西鶴の描き方〉〈近松の芸術論と芭蕉の俳論〉〈現実を描けない世界〉は興味深く読んだ。〈現実を描けない世界〉では、例えば、

 元禄時代の井原西鶴や近松門左衛門は、ほぼ現実をそのままに描くことができた。しかし、安永天明以降になると、為政者の締め付けが厳しく現実を描くことが難しなってくる。したがって、安永天明期の作者たちは、散文の上田秋成にしても、韻文の与謝蕪村にしても、戯曲の近松平二にしてもロマン的傾向が強くなる。あたかも現実を描いていないような作り方になるのだ。しかし、それにもかかわらず作者たちは種々の方法を用いて現実を描き出している。(中略)
 この『南総里見八犬伝)に描かれた世界も現実にはあり得ない世界である。善いことをした人間には必ず良い報があり、悪いことをした人間には必ず悪い報いがあるなどということは、子供でも少し成長してくれば、こんなことが現実にあり得ないことはすぐに知ってしまうだろう。まして大人になってなおこんなことを信じている人間はいないはずだ。だが、あえて馬琴は小説の中でそういう世界を作った。(中略)
 馬琴は自分の小説の百年後の効果を考えていた。『八犬伝』が読み継がれることによって、百年ののちには人々が善いことのみをしようと心がける楽園が出現する。そのときこそ『八犬伝』の真の価値を人々は認めてくれるだろう。馬琴が「百年の後、知音を俟て是を悟らしめんとす」と記した「隠微」にはこうした意味もあるのではないかと思う。

 と、述べられている。そして、教師(学究)生活のなかで、考えたさまざまのことが、芭蕉の言説に突き当たるとも記されてる。

 大輪靖宏(おおわ・やすひろ) 1936年、東京生れ。


撮影・鈴木純一 ↑

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