2019年12月25日水曜日
諏佐英莉「極月の手に硬き骨軟き骨」(『やさしきひと』)・・・
諏佐英莉句集『やさしきひと』(文學の森)、帯には、
マニキュアの蓋開いてゐる熱帯夜
の句に、「第九回 北斗賞受賞」の文字があるばかりで、他には、流行りの惹句もなく、シンプルな作りである。著者略歴には、どこの結社にも属していないらしく、「無所属」とあった。なかなかに好ましい。序は、石川裕子。それには、
諏佐さんと私が関わっていたのは、彼女が高校生の時、文芸部(正確には「書道文芸部」という名称でした)の顧問と部員という関係でした。(中略)前任者の転勤によって顧問を引き継ぐことになった私ときたら、俳句についてはまるで素人で、初めて生徒を引率した第六回俳句甲子園では、審査の先生に「五七五の間にはスペースを空けない」ということを指導されたことが今でも忘れられません。
とある。 また、
当時の彼女について覚えていることは、ソフトボール部と兼部していたこと、二年生の時に愛知県の高校生のコンクールの俳句部門で一席となり、翌年の全国高等学校文化祭の代表生徒となって弘前に引率したこと。(中略)そんな中でも特に、当時彼女が俳句を整理するのに使っていた紙ファイルに三橋鷹女の〈鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし〉を書いていたことを印象深く覚えています。
とあった。そして、著者「あとがき」には、
俳句を作るとき、記憶の中の風景や感覚から作ることがしばしばある。記憶たちはなぜかとても鮮明で、たった今それを体感しているかのようにつるりと俳句になっていく。幼少期の記憶から作った句で主に構成した【黄色】、思春期の【反省文】、青年期の【素泊】、そしてごく最近の事柄を詠んだ【寒夕焼】の四章から成るこの句集には、匂いそうなほど私自身が存在している。
という。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。
ストローを曲げずに飲んでソーダ水
死因はつきりしない金魚を弔ひぬ
ゴミで押すゴミ箱のゴミ夏の果
似顔絵を描かれるために取るマスク
誘はれて春のゴリラを見にゆかむ
万緑やかたきJRの座席
帰宅して五分で作る夏料理
向日葵やいつでも会へるひとと会う
秋麗やかばが水から出てこない
冬ざれや新しい歯ぶらしに水
絵本まづ献辞ありけり聖五月
向日葵やくちびる薄き新生児
思ふより軽き胎児や天の川
諏佐英莉(すさ・えり) 1987年、愛知県生まれ。
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