2020年2月2日日曜日

内田麻衣子「はじき豆ひとにも豆にもあるバルナ」(『私雨』)・・



 内田麻衣子第二句集『私雨(ほまちあめ)』(ふらんす堂)、序は高山れおな、愛惜の跋は鈴木明。内田麻衣子の23歳、2001年刊の第一句集は『好きになってもいいですか』、第2句集『私雨』は2002年から2019年までの335句を収載。制作年には、これも珍しい自身の年齢が付されている。従って巻尾は41歳・2019年作の集名に因む句である。

  私雨(ほまちあめ)根岸子規庵裏・異界   麻衣子

 序のなかで、高山れおなは、

(前略)〈若い女性の心理を、繊細で時にリアリスチックに、私小説ふうに仕立てた句集〉というのは、、彼女の師である鈴木明氏が第一句集に寄せた序文の一節だが、おそらく第二句集についても、はた目にはかならずしもそうは見えない句も含めて、濃厚な心理の記録であるような意識が作者の側にはあり、それが年齢表示に対するこだわりになっているのかも知れない。

 と述べている。また、「私雨」の句については、「根岸子規庵・裏」が日本最大級のラブホテル街ということを記したのち、

 (前略)いささか異色の場所を故郷かつ現住所とし、同時にそこが聖地としての意味を持ってしまうような俳句という遊びに深入りしている自分をあらためて発見している句――このような作品をそんなふうに読むことはできないか。とすれば、私雨という単語を選択する上で重要だったのは「ほまちあめ」という優美な音ではなく、「私」という文字の方であったにちがいない。
 右のようなうけとり方は、あるいは深読みのそしりを受けるだろうか。だが、私は巻軸という特別な位置に据えられた一句に「私ー子規―異界」という文字のつらなりを見て、そこに彼女の決意の表情を感じないわけにはいかないのだ。それはくだんの異界に住んでこそいないものの、やっぱり聖地だと思っている、少しだけ先輩の友人である人間の直観というものです。もちろん、その決意のなかでの異界は、ネオンの光が氾濫する地上世界のそれではなく、俳句という文字がひらく別世界という意味に転じているだろう。内田麻衣子の俳句は、これからさらにおもしろくなっていくにちがいない。

 と、記している。ともあれ、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。因みに、本集の装幀は和兎(この人の装幀をふらんす堂以外でも見たいものだ。俳句関係以外の版元なら、アリだと思うのだが・・)。

  ひとりよがりの蟬が泣いてる 嫌だ   27歳 2005年
  初御空他国はウラン育ててる      28歳 2006年
  平凡にみごもれる人花八ッ手      30歳 2008年
  作ロダン抱擁もあり雲の峰       31歳 2009年
  おさる算的に生まれて花衣       32歳 2010年
   東日本大震災
  拐引す津波カオナシ手真っ黒      33歳 2011年
  平和度指数クリアファイルに赤い羽根  34歳 2012年
  突くほどに民意は揺れるところてん   36歳 2014年
  臨月の出べそ冬菜の被曝量    
  0歳のはだか尻頬かカチョカバロ    37歳 2015年
  愛の結晶とは夜の怪獣しわぶく児
  死刑速報マルチビジョンの蝶交尾    38歳 2016年
   親友、千鶴逝去 四十歳 悼
  死ぬ君が一番さみしい日覆い垂れ    40歳 2018年
  白鳥母似火箸のような頸をもち
  薔薇の芽のすきま暗澹テロルの芽    41歳 2019年
  
 内田麻衣子(うちだ・まいこ) 1978年、東京生まれ。


       撮影・鈴木純一 ミツマタ咲かないという選択 ↑

0 件のコメント:

コメントを投稿