2020年4月30日木曜日

黒田杏子「蕗のたう母が揚げますたすきがけ」(「藍生」5月号より)・・




 「藍生」創刊三十周年記念5月号(藍生俳句会)、特集は「母」、それに絡む黒田杏子論など。現代俳句協会主催の今年の現代俳句大賞は、黒田杏子。さすがに現俳協らしい、いわゆる俳壇的な垣根を超えての授与である(慶祝)。特集冒頭は黒田杏子「無名の俳人」には、

  母からの手紙、はがきはすべて捨てていない。「杏ちゃん、句作と会社の仕事。どうぞ身体に気をつけて。自他共に納得できる作品をめざして精進して下さい。いい句に恵まれることをお母さんはいつも祈っています。謙虚に先人の名句に学んで、あなたならではの俳句が生まれるものとを信じています。焦ることはありません。人と競う必要は全くありません。素直に大らかにゆっくりと精進してゆくことが大切。杏ちゃんにはその性質が子供のときから備わっていました。人と競うのではなくあなた自身をゆっくり高めてゆけばいいのです」
 無名の俳人、齋藤節。母を想えば勇気が湧く。お母さんありがとう。

 とあった。




 ほかに筑紫磐井「黒田杏子論ーその新・宇宙論」は「なんと30年前に執筆された原稿です」とキャプションが付されている。「俳句空間」第16号(91年3月刊・上掲写真)その「俳句空間」(弘栄堂書店)は毎号、注目の作家2名の100句選と作家論一篇を掲載していた。この時の、黒田杏子100句選は岩田由美選、黒田杏子論が筑紫磐井だったのだ(この号の編集協力委員は阿部鬼九男・夏石番矢・林桂だった)。その論が本誌に再掲載されているのだ。その論の多くは、黒田杏子の第一句集『木の椅子』に触れながらのものであったが、いまだに出色の黒田杏子論になっていよう。その結びは、

 (前略)その意味では黒田杏子の言葉への関心と実践は、その文学的な志向と、一方で愛好者層の人気を二つながら可能にしているのである。(中略)少なくとも、黒田杏子がこのような言葉の危うきに遊び続ける限り、彼女の芸術的な良心と大衆性が共存し続けるという至福は今後も味あわれ続け得るのではないか。

 と記されてあり、30年前の予言は見事に当たっていよう。以下はその論中の句から、

    鳥の名をききわけてゐる諸葛菜       杏子
    文月やそばがらこぼす旅枕
    この家のまひるは寂し茗荷の子
    涅槃図やしづかにおろす旅鞄
    ダチュラ咲く水中に似て島の闇
    摩崖佛おほむらさきを放ちけり
    瓜を揉むやふたりのための塩加減






★閑話休題・・・各務麗至「壊れやすきは漢よこころは龍を思ひ」(「戛戛」第120号より)・・・


「戛戛」(詭激時代社)は、各務麗至の個人誌である。かつて三橋敏雄を唯一の師としていた人だ。小説家である。今号の「新しい生活」はとりわけ私小説的である。二十年来の妻の透析、加えて脳梗塞。さらには、彼の心筋梗塞による手術、闘病など。その「あとがき」には、

  (前略)妻は、その後ー不自由ながらもできることからすこしづつ動いてくれるようになり、時間や気持に私も少し余裕がもてるようになった。(中略)
 今回一変した日常の中で書きあがった私小説風といいたいような作品だが、私には肩の力が抜けた、何だかエッセー風でもあるこの自由さが気に入った。文学性とか個性とか拘りとか、そういうものを全く意識しなくてよかった。
 言葉遣いやその斡旋に躊躇や息遣いや不安がそのまま文章表現上での文(あや)や奥行きとなって深み重みを齎してくれるようでもあって、否々ー、己惚れてはいけなかった。それは、只単に書き切れていないのに頭の中にに生じる忖度の思いが加わるかも知れなかたのだ。

 とあった。 

 
撮影・鈴木純一「日の球を地に呑み込んで四月尽」↑

安井浩司「自転車でゆく君子蘭にほかならず」(『牛尾心抄』4・30)・・




         四月三十日    木曜日
     自転車でゆく君子蘭にほかならず      安井浩司
     西方からきて蝦夷菊に終る人
         朝雨      午後雨


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


        4月30日     (木)
     君子危うきに遊ぶを乗るは二輪車      大井恒行
     たどり着くアスターやあきたびと
        朝晴       午後晴
      

 漸く、満尾である。50日、1日2句、合計100句。安井浩司の第6句集『牛尾心抄』(端渓社・昭和56年刊)に倣い、この剽窃すべき元句がなければ、愚生の作句行為は続かなかっただろう。当時の安井浩司は45歳、現在の愚生は71歳。当初は気楽に始めた「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」であったが、途中はそれなりに楽しく、終わりに近づくにつれ、緊張感が強くなった。それとて、しっかりした理由がつかめているわけではない。とにかくホッとしている(何しろ安井浩司には内緒の行為である)。偶然にも、当時と現在、日々の曜日も同じだった。しかし、同月同日同曜なれど、安井浩司は東北秋田に盤踞し、愚生は武蔵野は府中に蟄居、日日に記された気候の差異は歴然だった。当地が桜散る時期も秋田ではまだ雪が舞っていた。それでも当地に、雪月花の日があったのは些かの慰めではあったろう。
 思えば、『牛尾心抄』が刊行された1981(昭和56)年は、世界でエイズによる肺炎が最初に発生した年であった。今日、何かの符号のように新型コロナウイルス(コビット19)の脅威にさらされている。因縁はある。



撮影・芽夢野うのき「行く春のかの木かの鳥ひかり編む」↑

2020年4月29日水曜日

安井浩司「たましいの春の地勢に友泣いて」(『牛尾心抄』4・29)・・




          四月二十九日    水曜日
      たましいの春の地勢に友泣いて      安井浩司
      白雲と老母うやむやの関に遊べ
          朝晴       日中薄雲  
 

*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


          4月29日   (水)
      老母に仕える老僕地勢読まざるや     大井恒行
      陽炎や鳥魚(ちょうぎょ)他郷に遊ばすを    
          朝晴      夕晴

 都内の新型コロナのウイルスの新たな感染者は47人。およそ一か月ぶりの低い水準だった。果たして明日は・・・。愚生の『牛尾心抄』剽窃譚も明日が最終日である。



撮影・芽夢野うのき「われらよりわたしもっと春深く咲く」↑

2020年4月28日火曜日

安井浩司「笹もて頬を殴(う)たれし友は西蝦夷へ」(『牛尾心抄』4・28)・・




         四月二十八日     火曜日
     娘達と別れる歌棄(ウタスツ)のひるの川   安井浩司
     笹もて頬を殴(う)たれし友は西蝦夷へ
         午前晴       午後晴


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月28日      (火)
     歌棄村(うたすつむら)のニシン場恋し父親は 大井恒行
     オニビシの戦死の砦シャクシャイン
                  朝曇         夕俄雨 
   

 都内の新型コロナウイルス感染者は、再び三桁に増え、112人。累計4059人となった。



撮影・鈴木純一「囚はれの身にて牡丹を全うす」↑

2020年4月27日月曜日

安井浩司「斜面を移ろう山猫達の好み歌」(『牛尾心抄』4・27)・・




         四月二十七日    月曜日
     春土ゆく蛇を化遷(うつろい)のままにせん  安井浩司
     斜面を移ろう山猫達の好み歌
         朝強風       夜花冷


*『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月27日     (月)
    うつろい菊に隠れる蛇を天上に        大井恒行 
    木の実鳥も山猫もするストライキ
         朝晴       午後雨

  都内の新たな感染者は、39人。累計3947人。50人を下回るのは3月3日以来。米のジョンズ・ホプキンス大学のまとめによると、日本時間27日午前3時の時点で、感染者数は294万7616人、死亡した人の数は20万5607人。
 
   



撮影・芽夢野うのき「遠景の木々のみどりをいとしめり」↑

2020年4月26日日曜日

金子兜太「アベ政治を許さない」(「俳句界」5月号より)・・



 「俳句界」5月号(文學の森)の特集は、「金子兜太の真実」。作品のみではなく、兜太の人となりなど多彩に論じている。なぜ兜太特集を今もなお組むのか?については、問わず語りに、社長・寺田敬子の編集後記が以下のように述べていることに対応しているのではないか。他の俳句総合誌では見られない過激さである。

  (前略)社会を不安にさせる仕組まれた株価暴落、さらに大型企業倒産時代へと突入したわけで、これから国難がくる。しかも強欲な人間は自然と環境破壊を繰り返しては生物の種を絶滅寸前まで追い込んできた。(中略)この新型コロナウイルスを引き金に国境や国籍意識を無くして世界を一つの市場とする、独裁政府を作る為の世界恐慌へと導かれている。

  また、松本佳子副編集長は(このところ毎月「編集後記」には俳句界編集長が不在のようだ)、

 今回は、「金子兜太」論を時代とテーマで分け細分化して書いていただいた。

 という。因みに目次をを拾うと、宮崎斗士抄出「金子兜太百句」、安西篤「総論 金子兜太の生涯と俳句」、〈時代別論考〉として、佐々木靖章「終戦までの兜太俳句」、武田伸一「社会性俳句時代」、柳生正名「造型俳句時代」、中村孝史「日銀時代」、小川軽舟「定住漂泊と兜太俳句」、筑紫磐井「荒凡夫と兜太俳句」。〈テーマ別論考〉に、堀之内長一「兜太にとっての『海程』」、宮坂静生「兜太にとっての小林一茶」、宇多喜代子「現代俳句協会で成し遂げたこと」、伊藤淳子「カルチャー教室での兜太」、山中葛子「海程秩父道場での兜太」。〈エッセイ〉に黒田杏子、酒井弘司、塩野谷仁、高野ムツオ、マブソン青眼と陣容を揃えて、略年譜もあって、大よそのことは分かる。皆さん、顔なじみの方ばかりだ。愚生もそれなりに金子兜太と会ってきたが、本特集のお蔭で、愚生の知らなかった兜太にも触れることができた。それらの中で、筑紫磐井は、

 (前略)そしてそれは更に遡れば、社会性俳句における態度の中心である作者(兜太)と社会(大衆)の関係に還元できると思われる。造型俳句において極度に孤心化・抽象化したところが反動で拡散・具象化するのである。だから実はそれは、最晩年の「アベ政治を許さない」にまで繋がると思うのである。
 節操なくキャッチフレーズを変えたように思われるがそんなことはない。言葉が替わらないと生きた思想にならないのだ。(中略)  
 兜太は思想に合った言葉を探し続けた人だった。

 と述べている。ともあれ、本誌より、兜太晩年の句のいくつかと、佐高信の甘口でコンニチハ!の本号の対談相手、北の富士勝昭の一句を以下に挙げておこう。この方には、かつて間村俊一の会で遠望したことがある。

   朝蟬よ若者逝きて何んの国ぞ        金子兜太
   祖母ありき飲食(おんじき)お喋り日向ぼこ
   遠く雪山近く雪舞うふたりごごろ
   谷に猪眠むたいときは眠るのです
   河より掛け声さすらいの終るその日 

   夏柳おい舞の海出番だぞ        北の富士勝昭



安井浩司「鮒釣る翁左眼落ちてより何年ぞ」(『牛尾心抄』4・26)・・


 

        四月二十六日     日曜日
     鮒釣る翁左眼落ちてより何年ぞ      安井浩司
     秋の小屋に猿を娶れば母泣いて
         午前晴       午後曇


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月26日      (日)
     鮒鶴に幾年泊つる少年翁        大井恒行
     母嘆く秋の小屋あり猿を聞く
         朝晴       午後晴強風


  東京都内の新型コロナウイルスの新規感染者は72人。今月13日以来13日ぶりとなる2桁台になった。
   


撮影・鈴木純一「捨て苗やサギもdocomoもテレワーク」↑

2020年4月25日土曜日

安井浩司「日月となる蘖のひこばゆと」(『牛尾心抄』4・25)・・




        四月二十五日    土曜日
    日月となる蘖のひこばゆと        安井浩司
    松露採る友の子宮(こつぼ)に隠れたし
        朝雨        夜底冷


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


       4月25日     (土)
    ひこばえに光陰のときひぐらしの    大井恒行
    小坪なるに隠れすんだる松露かな
       朝晴       午後晴強風



 堺谷真人曰く「今はまだ災害ユートピア/やがてコロナ成金への強烈な嫉妬が生まれる」(フェイスブック、4・25、17:08より)。深い真実かも・・・。
 都内での新型コロナウイルスの新たな感染者は103人を確認。累計3836人。
 4月25日10時30分現在、感染者数12863人(前日比+391)、死亡者数345人(前日比+17)、回復者数2536人(前日比+128)。その他、横浜港クルーズ船の感染者数712人、死亡者数13人。

    


撮影・鈴木純一「アマゾンもサギも穀雨のテレワーク」↑  

2020年4月24日金曜日

安井浩司「奥羽飛雪西施は薪を負うなかれ」(『牛尾心抄』4・24)・・




        四月二十四日   金曜日
     奥羽飛雪西施が薪を負うなかれ     安井浩司
     象潟にねぶりの西施生きること
         午前晴      午後晴  


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


        4月24日     (金) 
     焚木尽くも水汲みなおも行道(ぎょうどう)す  大井恒行
     傾城やコロナのねむり祈るのみ   
        午前晴      午後晴


 24日、東京都は新たに161人、新型コロナウイルスの感染を確認。
長崎県はクルーズ船「コスタ・アトランチスカ」新たに43人。乗員の感染は91人になった。


      撮影・芽夢野うのき「花言葉は、私を見て!」↑

和合亮一「優雅なる生き物のよう売り切れの残酷な春の未使用マスク」(「現代短歌」5月号・NO.78より)・・

 

 「現代短歌」5月号・no,78(現代短歌社)、特集は「短歌と差別表現」、前月号の特集も「短歌にとって悪とは何か」など、愚生の若かりし頃を思いださせるような果敢な特集が目を引く。もっとも、こうした特集は、只今現在の方がどこか外界からの、眼に見えない圧が強いように思われるので、なかなかに貴重な勇気ある試みだろう。執筆者は木下長宏「差別表現と芸術 序説」、山下耕平「皮膜の薄くなった私たちの『お庭』」、編集部編「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」、座談会「短歌と差別表現」=加藤英彦・染野太朗・松村由利子。
  とはいえ、愚生は俳人だから、ここは、安里琉太の評論「沖縄における歳時記~季語生成の言説とネーションの美学~」にふれておきたい。それは、いかなる言説も政治性を帯びているという証明を試みているのだ(本稿では沖縄をタームに編まれたいくつかの歳時記を俎上にのせて)。不十分だが、結びに近い部分をのみ以下にあげておこう。

  (前略)戦後盛んに行われた沖縄独自のものの対象化は、一人(愚生注・小熊一人)の歳時記の「製糖」に付された短文そのままに実践された。日本最南端の波照間島を見るとき、その視点は地理的且つ鳥瞰的な広いレンジから、地上に降りたつ。(中略)
 季語はあくまで文化構築的なものであって、〈ありてある〉ものではない。加工され枠へと流し込まれる工程を経て、漸く季語の本意として凝結する。凝結された季語の本意は、ゲシュタルト的認識布置に他ならず、俯瞰的なまなざしから対象化されたはずの〈沖縄〉の凝結をそこに創出する。季語は季語になるべく、対象化された背景を喪失することで、本意を有するのである。
 この地点において、もはや歳時記は季語がただ並んでいる辞典でもなく、単なる「楽しい読み物」でもない。(中略)芭蕉や西行がそうであったように、かつて詩の生まれた場所に立って詠むことを欲望するのだ。言うなれば、ネーションの美学をまなざす実践を可能にする”政治的”な書物であると言える。

 ともあれ、本誌よりいくつかの歌を挙げておこう。

  日が昇り誰もが朝を信じてる真っ赤に燃える町の裏切り     和合亮一
  冬が終わるまでって言われ我慢した行方不明のニワトリたちは  東 直子
  傷見せんと娘がかざす手の甲は角度を変えても逆光のなか    花山周子
  花びらは透明な血を吸いこんでうす紅いろに咲き散っている   嵯峨直樹
  葱のにおい 厨仕事にかけられた呪いを解いてといて百年   北山あさひ
  琉球語(りゅうきゅうご)が日本方言の一つなる事実だにせめて人よ忘るな
                        柴生田稔『麦の庭』昭和23年




★閑話休題・・・豊里友行フォト・アイ『おきなわ 辺野古の貌ー今を撮る』・・・




 上掲の柴生田稔の短歌にある琉球語つながりで、豊里友行写真集『おきなわ 辺野古の貌ー今を撮る』(穃樹書林・本体1000円)、「あとがき」とおぼしき「感謝」に、

 この写真集の私の辺野古語りは、二〇〇四年から始まった私なりの出会いの財産という沢山の感謝の積み重ねだった。私の辺野古取材での怒り・悲しみ・憤り・焦り、そして喜びなど沢山の汗や涙を流しながら写真の試行錯誤してきた私なりの歴史証言だ。

 と記している。彼の写真の師は樋口健二、日本写真芸術専門学校時代の校長は秋山庄太郎だったという。彼は写真家であるとともに、若き俳人でもある。

 豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年、沖縄県生まれ。



                撮影・水津哲 ↑

2020年4月23日木曜日

安井浩司「雨に在れば湖畔詩人とやまがらと」(『牛尾心抄』4・23)・・




         四月二十三日    木曜日
      雨に在れば湖畔詩人とやまがらと      安井浩司
      霊を舞いたる友はがくりと息(こと)切れて
         昼快晴      夜星朧


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月23日     (木)
      やまがらと自由の大儀あめの大地に     大井恒行
      あれより朋の行方不明は始まれり
         朝晴       午後俄雨


 本日、都内で新型ウイルス感染者は新たに134人確認された。累計3573人。
世界全体で確認された感染者数:257万8930人、死亡者総数:17万8096人、回復者数69万2333人。



                    ↑
           〈青葉時雨して今日は一山かりきった〉↑
  撮影・便りとも鈴木純一「青梅ハイキングコース、三日おきに7、8キロを往復する。その間に出会うのは多くて4、5人・・・ついこの前までは。ところが、4月14日(火)は72人+5匹、4月17日(金)は70人+5匹。東青梅駅前より人通りが激しい。老夫婦、若いカップル、家族連れ、施設入居者らしき一行、犬の散歩。4月20日は雨天のためか、すれ違ったのは山神一人のみであった。今日23日は曇り。愚老一人でも出向くのを止めよう」。  

2020年4月22日水曜日

安井浩司「牛頭切るや楽(がく)に眼つむる瞬間に」(『牛尾心抄』4・22)・・




         四月二十二日    水曜日
     蕎麦売人が婚合(めあい)の歌謡を売り歩く  安井浩司
     牛頭切るや楽(がく)に眼つむる瞬間に
         午前晴      午後薄曇


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月22日    (水)
     総領娘に婚合(こんごう)の儀なく今も蕎麦売る     大井恒行
     (がく)に乗れる予防ワクチンそは牛痘(ぎゅうとう)    
         朝晴     夕曇


 都内新型コロナウイルスの感染者が新たに132人確認。数字はなかなか下がらない。高止まり。他県では感染者の家に投石、ガラスが割られたり、壁に落書きなど、人心が侵され、錯乱している。差別する自由は誰にもない。
 


                  撮影・芽夢野うのき「アイシテルどこかポワールなあなた」↑

2020年4月21日火曜日

飯田龍太「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」(「WEP俳句通信」115号より)・・



 「WEP俳句通信」115号(ウエップ編集室)、特集は「座談会〈切字神話よ、さようなら」。出席者は岸本尚毅・高山れおな・筑紫磐井。31ページを占めて、「切れ」「切字」論を総覧。読み応えがあるが、三人ともザックバランな物言い、しかもそれぞれの俳句観がよく出ていて、分かりやすい。俳句実作上の機微について、意外に正直に答えているので、じつはそれが読みどころではないだろうか。ようするに、実作上からすれば、切字がどうの、切れがどうのとういうよなことをあれこれ考えて、俳句が作られているのではない。究極、どのような作者も一句をなすために、悪魔の手でも借りたいくらいに真剣に知恵を絞っているようなのである。現俳句界の制度的な読みや固定的な俳句作法が蔓延していることに対する苦言の座談でもある。いちいち紹介するスペースも能力も持ち合わせていない愚生だから、興味を持たれた方は、直接本誌に当たられたい。「切字と切れ」の小見出しの一部分を以下に引用しておこう。

  岸本 切れというのは一般名詞だとおもっています。切字はやっぱり俳句のテクニカルタームと思ってまして、切れは球(タマ)の切れとかおしっこの切れと同じだと思うんです。(中略)
 高山 「切れ」は一般名詞というのは、僕もおおむねその立場です。どうしてもテクニカルタームとして使いたい人がいるなら止めませんが、その場合はきちんと整理して、使用範囲を限定したうえでのことになります。無限定に使えるような歴史的な実体がある言葉ではないことは繰り返しておきたい。(中略)
 切字があってもいいし、なくてもいい。そんなことは三百年前に結論は出ていたはずなんですけどね。(中略)
 岸本 「春すでに高嶺未婚のつばくらめ」に切れ目を入れようとすると、なんか句が駄目になっちゃうような気がします。

 というような塩梅である。本座談会の結論のようにさえ見える筑紫磐井の連載「新しい詩学のはじまり(二十四)/番外編――切字神話からの決別—」も実証を駆使した説得力ある論考で、こちらも一読に値しよう。ここでは、その言挙げの結論部分を以下に引用しておきたい。

  要は俳句の未来は、伝統的な切字を踏まえつつも作家それぞれが血の滲むような文体の修練をすることにあるのだ(もちろんこれに対する力強い反論も歓迎する。ただ有名な芭蕉の「四十八文字皆切字なり」とは、切字の重要さをいうのではなく、逆説的な切字不要論だと私は理解している)。波郷のようにや・かな・けりを入れようと言うのも否、ましてや切れのあるなしなどとは何の関係もないのである。

 と言い切っている。本誌の他の連載記事では、4回目となる林桂の「俳句の一欠片(ワンピース)」も注目で、一欠片どころではない、分量とも細緻な論考である。「今回の紹介は、その長谷川零余子の初期活動の舞台となった『朝虹(あさにじ)』である」。この「朝虹」44冊が「古書通信編集長の樽見博氏によって発掘された」と述べ、その資料を駆使しているのである。一読あれ。ともあれ、以下に、本誌本号よりいくつかの句を挙げておこう。
  
  ゐる人となき人の影春障子        桑原三郎 
  常なるも寂しくありぬ貌よ鳥      佐々木六戈
  ふらここの板一枚の別れ霜        松尾隆信
  蜃気楼めざす舟あり我も乗る       石倉夏生
  復活祭光の束のアラバスター       小林貴子
  アランキュラスは求愛の花四月来る 七田谷まりうす
  アメンボウしゃがんでいても雨になる   西池冬扇 



               撮影・染々亭呆人 ↑

安井浩司「夏草や紺服の人のみ撃たれたる」(『牛尾心抄』4・21)・・

 


        四月二十一日    火曜日
      たましいの銀夏(ぎんか)地方に牛消えて   安井浩司
      夏草や紺服の人のみ撃たれたる
         朝雨        午後曇


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


         4月21日     (火)
      牛の名は銀夏(ぎんか)還り来れる魂よ   大井恒行
      紺服の人昏倒す夏草に
         朝晴       昼過ぎ曇

 都内での、感染は収まりそうにない。新たに120人が確認され、累計で3300人となった。国立感染研究所は、患者の濃厚接触者の定義を変更。「接触時期は『発症2日前』」「患者との距離は、手でふれることのできる、対面で会話できる目安1メートル」「接触時間はマスクなど予防策なしで15分以上の接触」と改めた。.



撮影・鈴木純一「我はいま消ゆる雫ぞとくと見よ」↑   

2020年4月20日月曜日

安井浩司「娶る夜は母の谷風ごうごうと」(『牛尾心抄』4・20)・・




         四月二十日   月曜日
     旅人はその薄氷よぎる娘娘(ニャンニャン)  安井浩司
     娶る夜は母の谷風ごうごうと
         午前雨     午後雨


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


        4月20日   (月) 
    灰かぐら見えまた薄氷を吹く娘(フィーュ)        大井恒行
    剛力無双の谷風は来る二艘舟(にそうぶね)
        午前雨      午後雨

 都内の新型コロナウイルスの感染者は新たに102人。累計は3184人になった。
明日は晴れ予報。晴れたら、徒歩で、群れずに、野外で踊ろう。お籠りのみでは、心身にもっと悪影響が出る。濃厚接触を嫌う嫉妬深いコロナには気をつけて・・・。



  撮影・鈴木純一「雨後の朝みどりはメタセコイヤに帰る」↑

2020年4月19日日曜日

久々湊盈子「そののちの盧生はいかに 日は落ちて雑穀入りのリゾットを炊く」(「合歓」第88号より)・・



「合歓」第88号(合歓の会)、メインとなる批評特集は、先に上梓された久々湊盈子第10歌集『麻裳よし』。論考は谷岡亜紀「ユウ―モアと人生」、古谷智子「熊野曼荼羅」、富田睦子「語彙とこころ」、桑原正紀「〈豊かさ〉を揺曳して」、一首鑑賞は中山好之、藤島眞喜子、牧野義雄、石原洋子、黒沼春代、楠井孝一、本田倖世、柏木節子の各氏。他にも「この歌集この一首」には「藤原龍一郎の歌」が組まれている。そして、愚生がいつも楽しみに読ませてもらっている毎号のインタビューの今号は、久々湊盈子「福島泰樹さんに聞くー生きるとは敗者の悲しみを背負うこと」である。髙柳重信や三橋敏雄など懐かしい名が多く登場するが、久々湊盈子第二歌集『黒鍵』の栞文が、福島安泰樹・三橋敏雄・上野千鶴子だったという。福島泰樹といえば、思いだすことも色々あるが、実は愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説は福島泰樹と清水哲男だった。当時の「早稲田文学」や「月光」にも書かせていただいたし、愚生が編集していた「俳句空間」がらみで、「月光」の広告写植版下(間村俊一制作)を、毎回、いただきに伺っていた。最近、お会いしていないが、インタビューのなかで、

  ―(前略)毎月一回、経産省前の広場で月例祈禱会を開催して導師を務めておられるとか。
福島 法要の導師は上杉で、ぼくは表白導師で、毎回文書を書き、それを読み上げています。 いまは「日本祈禱僧団」が正式名です。戦争、公害、原発など国家・企業に殺されていった人々による「死者の裁き」を代行する法会で、二〇一五年から毎月、もう五年やってきました。ぼくにとって死者の声を代弁するということにおいては、歌集刊行も、短歌絶叫コンサートも、抗議の祈禱法会もみな同じです。お経も、絶叫も、死者との魂の交感に他ならない。デモや集会が空しいことも知っている。いくら祈禱したって現状を変えることはできない。そんなことは百も承知だ。でもだからといって、みんなが沈黙してしまったら、国家権力を笠にきた官政財の悪しき奴らは増長するばかりです。公文書は破棄し、改竄し、司法さえ意のままにする。奴らやりたい放題じゃないか。せめて、「言霊」を確信して叫び続けるしかない。

 と語っている。健在だ。いまも、毎月10日夜、吉祥寺「曼荼羅」では、新作を入れた短歌絶叫コンサートをやっている。

  生きるとは敗者の悲しみ背負うことなど言いてまた盃を揚ぐ   泰樹

以下には、特集より、いくつか久々湊盈子の歌を挙げておきたい。

  冷蔵庫に牛の舌いっぽん秘めもちて動物愛護の署名に応ず     盈子
  麻裳(あさも)よし紀路は卯の花曇りにて瀬音に耳をあずけて眠る
  母の日の母に今年は花も来ず嫁も娘もいそがしき母
  隷属はせぬと「個人」の灯をかかげたタクシーがいる駅前広場
  わが柩閉ざされしのちの暗黒を思うことありほかりと覚めて
  八人の子のうち四人を喪いて父母が暮らしし上海十年
  旅の夜を濃くするものは窓ちかきせせらぎの音、枕辺の酒






★閑話休題・・・菅原貞夫「汝が三沢わが水沢の涸れ沢に水が音賜(ねた)べよ七時雨山(ななしぐれやま)」(『時雨譜』)・・・


「合歓」つながりで菅原貞夫第一歌集『時雨譜』(砂小屋書房)、解説は久々湊盈子。扉には「妻・悦子に捧ぐ」の献辞があり、序歌「汝が三沢わが水沢の涸れ沢に水が音賜(ねた)べよ七時雨山(ななしぐれやま)」の序歌が添えられている。短歌のみではなく散文「私の好きな歌」(孝妣生誕百年記念)、長歌などを併載。それらの経緯は著者「あとがき」に記されている。収録歌は三八一首とあった。以下にいくつかを挙げておこう。

 風わたり葉桜ひかり弧をゑがく燕(つばくろ)の翔ぶ大和いつまで     貞夫
 人はみな誰かの影を踏んでゐるいづれその身も踏まるるものを
 十薬(どくだみ)は十楽(ごくらく)からの贈りものその身に十字の白衣(びやくゑ)
 ひさびさに相撲をとりてあつけなく父に勝ちしが悲しかりけり
 日照雨(そばへ)ふる大正昭和平成の三代(みよ)ながらへて考妣(かうひ)ねむれる
 セロに明日悶苦(セロニアス・モンク)なきこと願ひつつ少時大童(おほわらは)汗ふき出づる
 つひにマイ・セロを購(あが)なひて震へつつ弓を当つれば唸るC(ツェー)
  
 菅原貞夫(すがわら・さだお)1946年、埼玉県生まれ。


安井浩司「苦艾摘む祖母苦菜あらう母」(『牛尾心抄』4・19)・・




        四月十九日     日曜日
    餅のごと声する厠雲雀(かわやひばり)なれ  安井浩司
    苦艾摘む祖母苦茶あらう母
        午前晴       夜強風雨


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


       4月19日     (日)
    カラスノエンドウ厠裏より揚がれる雲雀    大井恒行
    苦艾油(くがいゆ)なれば共に飲む苦茶かな
       朝快晴        午後晴

 東京都内で19日、新型コロナウイルスの感染者が新たに107人。累計で3000人を超え3082人となった。



 撮影・芽夢野うのき「氷の炎で微笑する汝と我と生きぬくと決め火の色椿」↑

2020年4月18日土曜日

安井浩司「驟雨来て残存胞子も発芽せる」(『牛尾心抄』4・18)・・




      四月十八日   土曜日
   牛の背に怒(ど)文結べば西に消ゆ      安井浩司
   驟雨来て残存胞子も発芽せる
      朝降雹     午後晴


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


      4月18日   (土)
    石田を耕す土牛ひがしより           大井恒行
    春嵐発芽胞子の天へ届かず
      朝雨      昼風雨


 都内感染者は、新たに181人、累計2975人。国内の感染者はクルーズ船乗船者を除き、累計で1万人を超えた。



撮影・鈴木純一「国難を乗り切るための火の玉だ今なら絶対もらえる10万」↑

2020年4月17日金曜日

安井浩司「巨人はゆるす門前にはずむ山雀(ヤマガラ)を」(『牛尾心抄』4・17)・・

 


       四月十七日   金曜日
    巨人はゆるす門前にはずむ山雀(ヤマガラ)を  安井浩司
    曇天をきて新人は蒟蒻植えて
        日中曇     肌寒


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


       4月17日     (金) 
    門前払いの山雀使い懊悩す          大井恒行
    蒟蒻のごときや雲や古き男(ひと)
       朝曇      夕曇

 東京都の新型コロナの新たな感染者201人。一日あたり200人超えは初めて、過去最多。都内累計は2796人。明日は、関東は春の嵐、大雨予報。



撮影・鈴木純一「国難を乗り切るための火の玉だ十万円は絶対もらえる」↑  

2020年4月16日木曜日

小川双々子「倒れて咲く野菊よ野菊よと日当る」(『名歌と名句の不思議、楽しさ、面白さ』より)・・



 武馬久仁裕編著『名歌と名句の不思議、楽しさ、面白さ』(黎明書房)、帯の惹句に、

◆斎藤茂吉の名歌
赤茄子(あかなす)の腐れてゐたるところより幾程も(いくほど)もなき歩みなりけり
茂吉の「赤茄子」は、/なぜ「トマト」ではいけないのか。
◆与謝蕪村の名句
夏河を越すうれしさよ手に草履(ぞうり)
蕪村の「夏河」は、/なぜ「夏川」ではいけないのか。
などの疑問に分かりやすく答えます。 

いままでにない新鮮な読み方で、/古今の名歌二一首/名句四七句を楽しめる
待望の一冊!

 とある。ブログタイトルに挙げた句「(たお)れて咲く野菊(のぎく)よ野菊よと日当(ひあた)」は、著者・武馬久仁裕の師・小川双々子の句である。因みに、その部分を抄出しておこう。
   
        小川双々子— 倒れて咲く(くり返し)
【訳】倒れても咲いている野菊を一生懸命励まし、日が当たっていることだ。
【鑑賞】「野菊よ野菊よ」のくり返しは、太陽(日)が暖かな光を限りなく投げかけ、「野菊よ立ちなさい、野菊よ立ちなさい」といつまでも野菊を励ましていることをを表現しています。
 そこには、倒れても咲いている野菊に、なおも命の輝きを失わない姿を見て感動している人がいます。〔季語・野菊。季節・秋〕
【面白さ】「野菊よ野菊よ」という呼びかけの言葉によって、日が擬人化されています。日が「野菊よ野菊よ」と呼び掛けているのです。
 そのように呼び掛けられることによって野菊もまた擬人化され、日常の光景を超えた救いの世界が現れることになります。

 とあり、【こんな人】で小川双々子(おがわそうそうし)の略歴(1922~2006年・岐阜県生まれ)が記され、【こんな句も】で「枯菊(かれぎく)を焚(た)き天(てん)よりの声を待つ」双々子の句が紹介されている。巻頭の「はじめに」では、

 この本の特徴は、(中略)鑑賞する助けになるキーワードを、それぞれの作品に付けたことです。例えば、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」のキーワ―ドは、〔くりかえす無常〕です。

 という。編著者の武馬久仁裕の最近の俳句の啓蒙活動は活発である。俳句の読みのための書籍を出版し、「黎明俳壇」を起こし、極めて精力的な印象を受ける。たぶん、現在、流布されている、いわゆる入門書の類に満足していないのだろう。飽き足らないのだ。ならば。自分で書こうということにちがいない。

 武馬久仁裕(ぶま・くにひろ) 1948年、愛知県生まれ。
   

     

安井浩司「歌謡(うた)おこる野澤に蟹のさわぐとき」(『牛尾心抄』4・16)・・

 


         四月十六日   木曜日
    獏達に囲まれ春の子は塊然(つくねん)と  安井浩司
    歌謡(うた)おこる野澤に蟹のさわぐとき
         午前曇     午後曇


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


        4月16日    (木)
    つくねんとただ獏たちもたたずんで     大井恒行  
    穴には入らず遠景の蟹がおる
        朝晴       午後曇夕雨

 東京都内では、149人の新た新型コロナ感染者、全国では300人以上の陽性が判明し(死者5人)、感染者の累計は9000人(死者の合計は197人)を超えた。



撮影・鈴木純一「田鼠2メートル離れて鶉となる」↑