2020年12月25日金曜日

マブソン青眼「挨拶(カオハー)は『愛』という意味朝凪に」(『遥かなるマルキ―ズ諸島』)・・・


 マブソン青眼句集『遥かなるマルキ―ズ諸島』(参月庵)、句集と命名されているが短歌も収録されている。俳句は488句、短歌は49首。作品は日本語とフランス語の表記が併載されている。 愚生はフランス語には全く無知なので、マブソン青眼がフランス人だから、たぶんそうだと思い、どうやら英語ではなさそうだいう推測からそう思っているだけである。従って、一句は、両方の表記を記すが、残りの引用作品については、日本語表記のみを採用しておく。その前に、同封されていた「俳壇」10月号(本阿弥書店)の彼の巻頭エッセイ「コロナ感染と孤島在住で分かったこと」には、


 去年七月から今年六月まで、フランス領ポリネシア・マルキ―ズ諸島ヒバオナ島で、一人で暮らした。(中略)ポリネシア三角圏で最も大規模なティキ像(先祖像)が今も多く残っている。日本に妻子を残したことが何より寂しかったが、ヒバオナ島なら、亡き師・金子兜太が戦時中のトラック島で作ったような、¨純粋な無季句¨が詠めるのではないかと願って、ずっと暮らそうかと思った。しかしある出来事で、日本に帰らざるを得なくなったのだ。

  神を信じるしかない島よ崖しかない

  わが胸の愛の力にコロナ死ね

  ゴキブリが死んでいくわがコロナ治る

  三月十六日、島二つしかない店のひとつに入り、いつも通りその女店員とあいさつ代わりの「頬っぺにキス」を二回交わした。彼女に「元気だけど、ちょっと風邪をひいてる」と言われた。その四日後、二十日の夕方、肺の上辺りに激しい痛みが急に出て、その後は熱、絶えない咳、そして突然始まったり治まったりする猛烈な倦怠感・頭痛が続いた。(中略)三月二十七日、私は寝たきりで、ほとんど肺が開かない状態で、死に仕度をした。枕元に持っていた現金を全て置いて、「ゴーギャンとブレルと同じ墓場で葬って下さい」という遺言を書いた。諦めてホッとしたのか、二日ぶりに少し眠れた。(中略)そして、右の三句を詠んだ。頭の硬い、多くの日本人は「最初の二句は季語がない。俳句じゃない」とおっしゃるかもしれない。しかし言わせて貰う。芭蕉にも一茶にも優れた無季句がある。あとはヒバオア島では、一年じゅう二十七度で、季節なんか無いぞ、と。(中略)三ヶ月待ったら、やっとヒバオアから飛行機が飛び、日本に戻ることができた。日本政府の非人道的な水際対策を奇跡的に乗り越えて、妻子の元に戻れた。しかし、胸の痛み、咳、倦怠感という後遺症がずっと続いて、日本の医師に「検査しても判らない、ずっと続くか判らない」と言われた。ただ、、私は孤島で無季句五百と長編小説一編を書いた。自由に。この自由を、一生忘れない。


 とあった。コロナ感染からのいわば生還記である。愚生は、日が薬で、彼がすこしづつでも後遺症から抜け出られることを祈るのみである。ともあれ、句集中から、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  島の鶏(とり)みな痩せており生かされる

  Coqs et poules de l'i^le/Tant qu'ils sount maigres/Ont la vie sauve

 (注:スペルの記号は愚生のパソコンでは上手くいかない、いい加減・・許されよ)

 「冬の旅」聴く冬も夏も無き孤島

  人は見ず鳩は見るいつもの朝の虹

  マルキ―ズ語で「歌」をウタと言う波笑え

  わがハイクを「命の種」と呼ぶ八百屋

  古代先祖像(ティキ)金子兜太の悲しき笑み

  傘よ我が帆となりガラパゴスへ飛ぼう

  教会のまど孤島(しま)の空青すぎて

  死ぬまでか毎晩おなじ窓に銀河


  この野生馬かつて人身供儀壇(バエバエ)で捕まったと語る調教師「その詩を詠め」と

  自称「反経済成長・元システムエンジニア」 P君 浜で釘打つ  (以上2首短歌)


 マブソン青眼(まぶそん・せいがん) 1968年、フランス生まれ。1996年より長野市在住。


       広渡敬雄「続々・日本の樹木十二選」⑥柘榴(神戸)↑   


★閑話休題・・大井恒行「『俳愚伝』紅葉の雨と神戸港」(「俳壇」12月号より)・・・


 マブソン青眼巻頭エッセイの「俳壇」つながりで、広渡敬雄〈「続々・日本の樹木十二選」⑥柘榴(神戸)〉(「俳壇」12月号・本阿弥書店)、その文中、柘榴について、


  (前略)神戸は古くから湊であったが、慶應三(一八六七)年の開港以来、我が国を代表する国際貿易港として発展し、後背の六甲山からの夜景は日本三大夜景(百万ドルの夜景)と言われ、北野町の風見鶏の館等の洋館街や神戸東部から西宮にかけての灘五郷の酒造で名高い。

  露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落す    西東三鬼

  初がすみうしろは灘の縹色       赤尾兜子

  白梅や天没地没虚空没         永田耕衣

  妻来たる一泊二日石蕗の花       小川軽舟

  摩耶山の彩づきそむと障子貼る    小路智壽子

  「俳愚伝」紅葉の雨と神戸港      大井恒行

  滝の上にまづ水音の現れぬ       和田華凛

  鮊子の海に淡路の横たはる       三村純也

  六甲全山縦走釣瓶落しかな       広渡敬雄  (以下略)


 と記されている。それにしても、愚生の句は、どこに発表したのかも記憶になく、よく見つけていただいたものである。或る時、愚生が神戸の街を歩いていたとき、偶然に四ッ谷龍と冬野虹に出会い、これから永田耕衣の元町句会に行くところだ、と言われ、ご一緒させてもらったことがある。出した句も成績も全く覚えていないが、蕎麦屋の二階だったような・・。阪神淡路大震災の前のことだ。西東三鬼については、三橋敏雄から、航海を終えて陸に上がるときは、必ず三鬼先生が迎えにきていて、飲み屋のツケは、すべて三橋敏雄が払っていたそうである。俳句の指導なんて受けたことがない、ともおっしゃっていたなぁ。羨ましい時代があったのだ。

    


       撮影・芽夢野うのき「音たててかさこそ心さふらんよ」↑

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