2021年9月6日月曜日

大井恒行「尽忠の映画の海に逝かしめき」(悼・岡田博へ)・・・


        


  岡田博とは、愚生が務めていた弘栄堂書店吉祥寺店での仕事の同僚だった。今は昔、その親会社・(財)鉄道弘済会と労働組合との争議中は、その人望もあって長く吉祥寺支部支部長を務めた。その後、書店を辞めて、化粧品(スコラーゲン)を主とする通信販売会社を引き受け、それが軌道に乗ると、学生時代に映画部であり、映画を作るという夢を実現するためにワイズ出版を立ち上げた。愚生は、「俳句空間」(弘栄堂書店版)の廃刊の折に、まだ残されていた企画本があり、それを継承して、その刊行出版を二つ返事で、引き受けてくれたのだった。それが、高柳重信・「俳句研究」編集後記集の『俳句の海で』であり、浅沼璞『可能性としての連句』、富岡和秀句集『魔術の快楽』、中西ひろ美書下ろし句集『咲(さき)』であった。そして、ワイズ出版の立ち上げ時に、中井英夫の秘書だった山内由紀人と一緒に、中井英夫『定本 黒衣の短歌史』の本文下段にある注を、分担執筆した。小倉出身の岡田博は20歳代、まだカラオケがなかったころ、宴会になるとアカペラで、「無法松の一生」♪小倉生まれで、玄海育ち~、をよく唄っていた。

 彼が、数年前に、ぼうこう癌であったことは知っていたが、その後の治療で快癒していたとばかり思っていたところ、たしか今年3月頃に、転移し、抗がん剤の副作用もあって、入院中であることを告げられた。その後は、つい先日、そろそろ連絡をして、声を聴こうとしていた矢先に、訃をもたらされた。上掲の朝日新聞(9月5日付け)訃報記事は、フェイスブックで、版元でお世話になっていた晶文社の島田孝久のFBによって知った。スクリーンショットしたものの転載である。岡田博は、まだまだ、やりたい企画が、向う三年間くらいはたまっていると、言っていたから、まさに道半ばの無念さであったろう。合掌!!

   

     尽忠の映画の海に逝かしめき     恒行


 岡田博(おかだ・ひろし)、1949年~2021年8月27日 享年72。

(注)『ワイズ出版 30周年記念目録』(2020年10月刊)は、愚生のスキルでは画像がどうしても立てになりませんでした。



         芽夢野うのき「夢殿へ人のゆき合ふ朧籠」↑

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