2022年7月25日月曜日

重信房子「刑務作業終えたひとときを刺激してシモーヌ・ヴェイユの硬き論読む」(「週刊読書人」7月15日号より)


  藤原龍一郎書評・重信房子歌集『暁の星』(「週刊読書人」7月15日号)の中に、


 五月末満期出所した重信房子は、獄中で短歌をつくり、すでに二〇〇六年には歌集『ジャスミンを銃口に』を上梓している。この『暁の星』は第一歌集以後の十六年間につくられた五千六百余首の歌群の中から、歌人の福島泰樹が選んだ九百余首によって構成されている。巻末に福島による四八頁にわたる重厚な跋が付され、読者への熱いメッセージとなっている。

 大寒の獄舎の隅にはこべらと黄のかたばみの春をみつけし  (以下略)


 とある。ブログタイトルにした短歌は、藤原龍一郎が「重信房子らしいと最も心に響いて来た一首」だという。因みに『暁の星』(晧星社)(下の写真)の48ページに及ぶ跋文は福島泰樹「戦士らはわが胸に棲み」、栞文は、足立正生「革命の言霊を詠!」、田中綾「愛のゆくたて」、四方田犬彦「死と再生の歌」。


  そして、著者「あとがき」の中には、


 私は獄に囚われて初めて短歌を詠むようになりました。二〇〇〇年の逮捕以来、文通も面会も「接見禁止」の状態が約七年続き、監視と規則の中で自由に向かって弁護士に手紙を書く日々。獄という緊張の包囲の中、心に抱いたもどかしい本音や記憶のなかの情景が、自然にことばとなって零れはじめました。三十一文字が一番自由に記憶や問題意識を形象(かたち)にしてくれるような気がして、二〇〇一年から短歌を詠み始めたのです。


 とあった。また、福島泰樹の跋の部分に、


 書籍のもちこみにも限界がある獄舎で、史実に基づく大著(愚生注:『日本赤軍私史パレスチナと共に』)を重信はどのように書き上げたのであろうか。その記憶に、負うところが多かったのであろう。短歌作品で「日月」に敏感に反応できたのも記億を研ぎ続けてきたためでろう。証拠となるものは身につけない習慣が、身体の機能を作りかえていったのであろう。重信の歌の秘密はそこにある。

 五句三十一(五・七・五・七・七)音を基本律とする短歌は、記憶を再生させる装置をうちに秘めている、というのが私の歌論の一つである。重信房子の短歌は、私の歌論を実証してくれている。


と記している。ともあれ、藤原龍一郎の書評中と歌集中より、いくつかの歌を以下に挙げておきたい。


 秋匂う九月になったそれだけで雲の形が変わりはじめる     房子

 カラシニコフ抱きて砂漠に寝転びて流れる星の多さを知りぬ

 死も知らず母の乳房にしがみつく赤子に集(たか)る蝿の恐ろし

 パレスチナの民と重なるウクライナの母と子供の哀しい眼に遭う

 暁の群青に残る星一つ父のハモニカ聴こゆる命日 

 雪の褥兵士に抱かれ生き延びし嬰児ライラ五十如何にあるらん

 再会の約束果たせず獄中でインター歌えり君の命日

 五十回忌もう哀しみで弔わぬ若さのままの君の命日

 判決は終わりにあらず始まりと服わぬ意志ふつふつと湧く

 革命に道義的批判はしないという七四年の父の記事読む

 連帯せよ!御茶ノ水から市街戦 砦の友らに向けて進撃

 ナクバの民の燃える憤怒を総身に人を殺せし人の真心

 戦士らはわが胸に棲み死んだのは彼らの中の私のいのち

 憧れのクールジャパンの結末は未必の故意の入管殺人

 妻の努力ついに実りて「赤木ファイル」抗議の死と知る国家の犯罪

 「森友」に始まり「桜」に暮れる国世界の良心嘲笑っておりぬ


 重信房子(しげのぶ・ふさこ)1945年、東京都世田谷生まれ。



      撮影・鈴木純一「夕涼みスパイが軍旗手にしたる」↑

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