小林たけし第一句集『裂帛』(本阿弥書店)、序は、塩野谷仁「端正のさまざま」、その結びに、
一陽来復ここを底ぞと思いきる
冬至のやわらかい日差しの中で、万感の来し方を思いやっている作者がここにはいる。「ここを底ぞと思いきる」とは決して諦念ではない。「思いきる」ことによって、明日への活力を見出しているのだ。作者の人生がそうであったように。そう、ここには作者の生き様が鮮やかに反映されているにちがいないのだ。
とある。また、著者「あとがき」の中には、
社会に出た十五歳からリタイアまで、トライ&トライ、転地(神奈川・東京・静岡・北海道・栃木)転職(三〇余)の連続でした。俳句との出会いは人生観を百八十度変えるほどの衝撃でした。「直よりは曲、陽よりは陰、急よりは緩」これまでの性急さから救われた思いです。
俳句は「古壺新酒」「終生の文芸」ともいわれます。
晩生のこれからを一人の俳徒として「晩学の愉悦」を味わえたらと願っています。
とあった。「あとがき」も中には、集名の由来について「来し方の、煩悶、混濁、消沈、慚愧の所収句を包含してのもの」とあったが、直接、集名に因む句は、
裂帛の少女の声や寒稽古
であろう。ともあれ、以下に集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
身の内に居座る百鬼鬼やらい たけし
春の雷停戦という戦時あり
蛇の衣昨日をすてる容かな
語り部の太き静脈八月来
川べりのおでんの屋台「Wi-Fi可」
白夜の被災地結界の入り乱る
流氷の行きつくところ死にどころ
秋天やキリンは餌を横に噛む
冬日向顔も戦う指相撲
春雷や通夜の遺影の笑いすぎ
甚平や定年のない脛二本
健忘症なれど物知り生身魂
絶筆の「延命無用」花カンナ
殺める手合掌する手懐手
小林たけし(こばやし・たけし) 1943年、神奈川県横浜市生れ。
撮影・中西ひろ美「北大に晩夏の穴が開いていて」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿