林誠司著『俳句再考~芭蕉から現代俳句まで~』(俳句アトラス)、その「あとがき」に、
「俳句再考」というタイトルを付けたのは、芭蕉の時代から三百年以上、正岡子規から百年以上経っているが、現代俳句がより大きな文芸になtれいるかと考えると心許ないと考えたからだ。
何より気になるのは芭蕉が言ってもいないこと、子規や虚子が言ってもいないことが勝手に伝統化、ルール化されていることだ。芭蕉も子規も俳句をもっと大きく考えていた。我々も俳句を大きな文学として考えたい。その為にもう一度俳句の素朴な疑問を考えてみる必要がある。
とあった。また、帯文は、ふけとしこ、
林誠司は歩く人である。
即ち考える人でもある。
揺るぎない芭蕉への思い、
俳句への思い。
緩急の効いた文章は時に
辛辣であるが心地よくもある。
と惹句されている。第一章「俳句とは何か」、第二章「俳句の諸問題」、第三章「自己流俳句観、俳句史観」、第四章「近現代俳句考察」、第五章「俳句の鑑賞について」、第六章「俳句と人生」と章立てしてあるが、読者は、どこから読んでも良い。林誠司は、俳句総合誌の編集を長年手掛けてきて、愚生とは、一緒に仕事をした時期があるが、随分と視野が広くなった印象である。ともあれ、一か所のみであるが、第一章「俳句とは何か」の「俳句は創造力~芭蕉に以下に見る作句の方法」の部分を、以下に、引用して紹介しておこう。
芭蕉の俳句は「想像力」「創造力」から生まれている。「芭蕉は景色なんか見ちゃいない」と言ったのは作家・嵐山光三郎さんだが、それはだいたい当たっている。正確に言えば「現実の風景」を窓口とし「̪詩風景」へと想像力をはばたかせる。それが芭蕉の作り方だ。
夏草や兵どもが夢の跡
「夏草」という現実風景から源義経、弁慶、奥州藤原氏の興亡へと想像力を羽ばたかせている。夏草の騒めきの中に、つわもどものおらび声や馬の蹄の音等を創造したのである。
この一章の結びには、
要するに俳句は「言葉のオブジェ」なのである。言葉の彫刻と言ってもいい。ルールやセオリーも大事だが、詩である以上感覚、感性は尊重されるべきだ。多少の変則はあっていい。言葉、表記も詩を作る為に重要なのである。
とある。興味ある方は、直接、本書にあたられたい。最後に文中に引用されている、いくつかの句を、アトランダムになるが挙げておこう。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
しんしんと肺碧きまで海のたび 篠原鳳作
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき 寺山修司
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
ひとたびの虹のあとより虎が雨 阿波野青畝
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
梅雨近き用や葛西にわたりけり 石田波郷
たんぽぽのぽぽと絮毛のたちにけり 加藤楸邨
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典
裏がへる亀思ふべし鳴けるなり 石川桂郎
林誠司(はやし・せいじ)196年、東京都荒川区生まれ。
小島顕一展↑
★閑話休題・・アトリエグレープフルーツ3人展「吉田廸子・小島顕一・井坂奈津子」2022.10.2(土)~16日(日) 12時~19時(木曜休廊・最終日は17時まで)、於:ぎゃらりー由芽&由芽のつづき(三鷹市下連雀4-15-2-101、TEL0422-47-5241・三鷹駅南口より徒歩6分)・・
小島顕一「アトリエグレープフルーツと武蔵野葦ペンクラブの事」には、
今から14年前、吉祥寺の吉田廸子の家に友人たちが集まっていた。その頃は吉田廸子も元気だった。あと20年、90歳までできると定年後のライフワークの構想を力強く私たちに語っていた。その集まりをアトリエグレープフルーツと名付け活動が始まった。
地域に開かれた「文化活動の場」を創る、それが彼女の夢だった。(中略)
そして私たちは週末ごとに近所の公民館で葦ペンの画のデッサン会を公開でやる事になった。彼女が会長となり武蔵野葦ペンクラブと名付け、何度続けたか記憶は薄れてしまったが、時たま公民館に遊びに来ていた小さい女の子が飛び入りで参加して道端に咲いていた花の絵などを一緒に描いたことを思い出す。
とあった。愚生も少しは出歩ける状況になったので、ボツボツ足を運びたいと思っているところである。
芽夢野うのき「一重八重木槿のまわりを遠くいる」↑
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