2022年9月21日水曜日

黒田杏子「長命無欲無名往生白銀河」(『黒田杏子の俳句』より)・・


  髙田正子著『黒田杏子の俳句』(深夜叢書社)、帯文は黒田杏子、それには、


 俳句に夢中になり/ひたすら打ち込み/この国を駆け巡った頃から

 今日に至るまでの/黒田杏子の俳句作品に/再見が叶いました

 髙田正子さんの友情と/力業に感謝を捧げます


 とある。また、惹句には、


 杏子のエッセイや先達の名句を自在に描きながら、テーマ別に杏子俳句の背景を探索し、

 作品の魅力を緻密に、そしてスリリングに読み解く。


 とあった。本年1月号の「藍生」には、髙田正子「テーマ別黒田杏子作品分類/『先生の〇〇』の連載を終えて」が掲載されているが、本書の「あとがき」に、ほぼ同じ内容でしるされている。「藍生」誌には、最後に「ブログには三年分の分類を掲載している(URL=https://bunrui2019.exblog.jp/)」とある。

 ブログタイトルにした句「長命無欲無名往生白銀河」は、「ちちはは」と題された項目中にあり、髙田正子は以下のように記している。


  (前略)中でもこの句は絶唱である。

        九月十九日・二十六日放送「BS俳句王国」にて発表

        亡き母

    長命無欲無名往生白銀河           平成二十三年『銀河山河』


この句を掲げ「長命無欲無名の母の導き」と題するエッセイがある。


  父は88歳、母は95歳で文字通り大往生。(略)母が私を産んだのは31歳のとき。明治   40年生まれにして母はめったに居ない女性であったと思います。

  若い時から短歌に打ち込み、戦時疎開で東京から父の郷里・栃木県で暮らすようになってから俳句に打ち込み、亡くなる間際まで句を作り、句集も2冊だしております。謙虚で人に尽くす人でした。(略)常に私を前へ前へと導いてくれる存在でした。

                 (「母のひろば」六六五号、ニ〇一九年十月発行)


このエッセイは主に母に献じられているが、句は「父母のこと」であると明確に記されている。「藍生」二〇二〇年一月号の主宰詠「柚子湯して」に、

   柚子湯して父に傳(かしづ)く母若し

   柚子湯して父兄弟の順に

   母若し勁し柚子湯をさつと浴び

とある。(以下略)


 「藍生」誌に2018年10月から、4年間に渡って連載された本書は500ぺージを越す大冊である。黒田杏子のほぼ全容をうかがい知ることができよう。ともあれ、以下には本書中より、いくつかの句を挙げておこう。


  白葱のひかりの棒をいま刻む

  この冬の名残の葱をきざみけり

  きのふよりあしたが恋し青螢

  一の橋二の橋ほたるふぶきけり

  ほたる呼ぶ間も老いてゆくたちまちに

    母 齊藤節 満齢九十五

  なつかしき広き額の冷えゆける       

  ちちはもうははを叱らぬ噴井かな

  暗室の男のために秋刀魚焼く

  子をもたぬ四十のをんな地蔵盆

  一人より二人はさびし虫しぐれ

  母とならねど母ありし日の母の日や

  花を待つずつとふたりで生きてきて

  生くること死ぬことはなを待つことも

  身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな

  暗闇の大地の揺れを糸櫻

  ひるがほに暾(あさひ)おとうとの忌が近し

    仁平勝さんサントリー学芸賞

  俳句が文学になるとき十三夜

  原発忌福島忌この世のちの世

  あたたかにいつかひとりになるふたり

  

 髙田正子(たかだ・まさこ) 1959年、岐阜県岐阜市生まれ。



    撮影・中西ひろ美「国境やだれもさわらないでください」↑

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