「575」10号(編集発行人:高橋修宏)、年2回刊ペースの高橋修宏の個人俳誌である。表2右下隅に、「私は進歩しない。旅をするのだ。(フェルナンド・ペソア)」と、小さい文字で献辞されている。その編集後記に、
今号では、「いま、俳句に想うこと」というテーマをめぐって、各々自由に書いて頂いた。何故、そのような依頼をしたかと言えば、年を追って俳句の世界が拡散の一途をたどり、どこか容易に捉えがたくなっているのでは、という実感にも似た想いがあったからである。
と記されている。それらエッセイの執筆者は、水野真由美「77年目の夏に」、高山れおな「好きなこと」、久保純夫「いま、俳句に想うこと」、谷口慎也「読みのコード(code
)をめぐって」、九堂夜想「詩に逆らって,詩を」、打田峨者ん「俳事なる楕円を旋(めぐ)れる」、大井恒行「Gのつぶやき・・」、その他の連載に、高橋修宏「六林男・断章十六〈まなざし〉の行方」、今泉康弘「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(2)」。中では、打田峨者んは、その結びに、
蟷螂の腹にはハリガネムシという相方が棲む。繰り返すが、俳句とは「季(とき)」という共補完者を吞み込んだアイロニカル(ノン・シニカル)な、呪言(まじごと)に他ならない。
とあった。また、高橋修宏の「六林男。断章十六〈まなざしの行方〉」には、
(前略)(愚生注:六林男「視つめられ二十世紀の腐りゆく」)「腐りゆく」二十世紀と共に滅んでゆくしかない六林男。それを「視つめ」ている者もまた、六林男自身だ。作中主体は見る/見られる双方へと解離し、二重化している。それは戦場で記した「射たれたりおれに見られて俺の骨」に対する、密かな応答にも見えないだろうか。 (中略)
おそらく、その晩年に至るまで、ついに六林男は変わることなどできなかった。そのことを非転向と呼んでも、理想への殉教と見ても、あるいは終りのない後退戦と言ってもかまわないだろう。しかし、そのとき戦争は、宇多喜代子が語るように六林男の〈杖〉と呼ぶしかないものになったのではないだろうか(現代俳句協会編『二十一世紀俳句パースペクティブ』二〇一〇年)
われわれは、ふたたび問いかけるべきなのかもしれない。六林男に救済と呼べるものが訪れたのか。そして、自身への真の鎮魂はあったのか、と。たとえ、その答えが否であってもー。
と記されている。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。
対幻想の垣高々と凌霄花 高山れおな
冬瓜を提げ来し橋に弾の痕 水野真由美
日や流れゆく天児の蓮まなこ 九堂夜想
凡百のゆめの抜殻みずぼたる 増田まさみ
月を太らせ坐して倍速子守唄 打田峨者ん
言語野の
端ばかり見て
秋の暮 木村リュウジ
汝と我不在の秋の陽がのぼる 大井恒行
撮影・中西ひろ美「未熟にも一番二番秋深し」↑
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