安藤喜久女第一句集『薔薇は薔薇』(文學の森)、著者「あとがき」には、
身も心も弱かった私が九十年も生かされてきた事に感謝します。(中略)
一志庵田人の長女として生まれて、弟妹六人、嫁して子三人、孫七人、曾孫二人に生きた証として句集を残したいと思いました。
昭和世代として、戦争があり、阪神淡路大震災で罹災し、家を失い、再建し、火宅の苦しみから大病にかかり生還した等、記憶を蘇らせてみると、いつも大真面目に生きてきました。「ハイさようなら」となる前に、これからは愉快に遊びごころたっぷりに生きてみようと・・・。そこで出来た句を句集の標題にしました。
定命や娑婆は娑婆つ気薔薇は薔薇
とあり、「実父の一志庵田人からは十歳より手ほどきを受ける」、ともあった。巻頭の句は、昭和26年の「ミシン踏む指より寒はしのびよる」である。句歴が長く、その間に句風の変遷があるのは当然だが、ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
梨の花淡く恋して闇を行く 喜久女
バプテスマ受く落葉のくるめく舞ひ
もみぢ散る雲ちる風の中の思慕
雲は雪の芯となりゆき昼灯す
蕗のたう俎上に苦みほどきけり
六角堂
臍石(へそいし)や京の真中(まなか)をしぐれけり
うりずんの天地(あめつち)いのち動きだす
師を偲ぶ多情多恨の亀鳴きて
生駒より明けて摂津の初御空
吾転倒す
五感まで拉(ひし)がせ哄笑(わら)ふ花嵐
大津絵の鬼も喰はれし雲母虫
水葬にいざなはれゆく花筏
かぎろひの野に魂しばし遊ばせて
ステイホームいやはや素敵に五月晴
秋霖やデータ医療は人を診ず
初空をフランスさして鸛(こうづる)の舞ふ
ロックダウンされど雲雀よ揚がれかし
生きるとは初息吸ひ初声す
幻と見て立つ嫗花の下
コロナフレイル何とかせねば梅雨滂沱
つどへないしやべれないので月を観る
安藤喜久女(あんどう・きくじょ) 昭和7年、大津市生まれ。
目夢野うのき「母よ萩トンネルの向こうも雨ですか」↑
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