2013年12月30日月曜日
「むらさきばるつうしん」・・・
詳細はよく知らないが、「むらさきばるつうしん」は岩尾美義(1926~1985)が発行していた雑誌である。誌名は、岩尾の自宅が鹿児島市紫原にあったことによる。
愚生のあいまいな記憶によると、穴井太の(天籟通信)にいて、赤尾兜子「渦」、また、前原東作「形象」にも参加していたのではなろうか。
何より瀟洒な雑誌で、一年目の表紙絵は、創刊当時(1981年)は、香月泰男、二年目がマリノ・マリーニ、三年目は山口長男と贅沢なものであった。
また、寄稿者の面々は、ベテランから若手、伝統から前衛まで、錚々たるメンバーで、愚生には眩しい俳人ばかりだった。
俳句の前には、詩を書いていた岩尾は、詩人の黒田三郎特集や木原孝一、石原吉郎などにもページを割いていた。
その錚々たるメンバーの一部を記しておくと、穴井太、市来宗翁、川崎三郎、大岳水一路、国武十六夜、平井照敏、八住涼、宇佐美魚目、大沼正明、白木忠、岸本マチ子、広瀬直人、福田甲子雄、安井浩司、横山康夫、藤原月彦、辺見京子、野間口千佳、松田広之、布施伊夜子、脇本星浪、秦夕美、大屋達治、大庭紫逢、また時評文は佐藤鬼房、和田悟朗、飯島晴子今は名を見なくなった仁藤さくら、はらだかおる、筑網耕平、筑網敦子など。
きみゆけば遠く空(くう)なる芭蕉かな 安井浩司
姿見よ告天子(ひばり)ころしてきて燦(かがや)く 仁藤さくら
永き日を歩いてきたる絵蝋燭 津沢マサ子
ちちははのけむりや冬の卵佇(た)つ はらだかおる
食卓にアンモナイトや始祖鳥ならぶ 筑網耕平
植物に風吹き尽くし闌ける秋 藤原月彦
医師だった岩尾美義は、折笠基金を創設し、折笠美秋の治療、入院費用の援助を全国に呼びかけて、多くの俳人がそれに応じたように記憶している。その折笠美秋は「妻 智津子(チコ)よ」と題して、10句を「むらさきばるつうしん」(VOL.4 NO.1 1983・6・1)に寄せている。
後悔未練あるまじと説く妻よ どこで泣いてきた 折笠美秋
妻の手が我が手 一文字書くことも
また、飯島晴子は「作品私見」と題して「VOL.2 NO.3 1981.1」号に次のように述べている。
言葉というものに対する認識の違いは人によってあるのしても、俳句は言葉でもってつくられて いることは、誰も文句のつけようのない事実である。言葉というものは、いやおうなしに時代と関 わって存在するものである。時代の空気のニュアンスから、俳句だけを隔離することはできない のは当然である。われわれは、今という時代の空気の質感のようなものに、もう少し敏感になって もよいのではないかと思う。
最後に、岩尾美義の句を挙げておこう。
蝸牛ぽーとほほえみわたるかな 美義
ひなげしをはみだしていく乳母車
なみだつぶ空より下は紫蘇畑
クロガネモチ↓
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