2014年7月23日水曜日
福島小蕾「封切つて兵のにほひを知る時雨」・・・
愚生、不明にして福島小蕾のことは、ほとんど何も知らなかった。
このたび恵まれた一本、森田廣著『出雲純系 刻々のいのちー福島小蕾』(霧工房)によってようやく多くの小蕾の句に接することができた。
「あとがき」によると俳誌「地帯」『2010年末、通巻710号をもって終刊)に1987(昭和62)年から93(平成5)年まで「先師仰望」のタイトルで連載された福島小蕾作品鑑賞を収録したもの。
福島小蕾(ふくしま・しょうらい)は1891(明治24)年島根県安来市生まれ、「出雲に小蕾あり」と言われたらしい。虚子「ホトトギス」から臼田亜浪「石楠」で活躍、1925(大正14)年「礼讃」創刊(のち「白日」。戦後「地帯」を創刊主宰した。「季の本質は、瞬時も止まらず無限に推移し、現象を現象たらしめている時間である」(「存在論的季論)を説いたという
山人よ大き灯ともせ秋の暮 小蕾
青梅の噛むよろこびのなほ存す
夏の夜の階は無明へかしぎをり
胸の底から棒つきあがり咳以上
人一語われ一語さみだれをつなぐ
同時に恵まれた俳誌が「ひこばえ」(13号・別冊)で、まるまる一冊が清水愛一「変容、メタモルフォーゼという装置ー日本語のシンタックスと存在論の問題について」(森田廣句集『邂逅の河』論)である。
ずいぶん昔のことになるが、若き清水愛一に会ったことがある(たぶん新宿の喫茶「らんぶる」)。そのころから犀利な評論を書いていたが、この度は、森田廣論を引っさげて、俳句の言語の特性を述べたものである。音信の絶えていた清水愛一は健在だったのだ。
「変容するところに俳句成立の鍵がある」という森田廣の言説に拘ってのものである。この論のなかで引用、論じられた句の一つが森田廣「首だして春の山から切手貼る」の句に対しての福島小蕾「封切つて兵のにほひを知る時雨」なのである。
なかに永田耕衣の「季霊憑依の事」が引用されているので、孫引きになるが紹介しておこう。
第一義底の俳句は、《季霊》憑依の文学である。旧来の季題季語に《季霊》を感応しないかぎり、人生的なオモシロイ作品は現成しがたい。憑依とは、このさい「松の事は松に習う」のではなく「松に成る」事だ、といった方がヨリ真実である。したがって、我がリアリズムはアニミズムによる超現実である。超現実といっても、在来の自己感覚を攪乱捏造した前衛詩的遊戯の中途半端な姿であってはなるまい。健やかなるべき《季霊憑依》の種種相はソレを許さない。
石ころまじる生いたちいぬふぐり 森田廣『邂逅の河』(霧工房)より
枯八方われのほかには煙なし
無月かな体内はいま太(たい)出雲
上流の五月に舌をあてにゆく
たちながら眠る媼や山ざくら
桃宇宙ついに帆船したたらす
たましいを互いにはずし鮎啖う
生まれたての老人にたつ朝の虹
オシロイバナ↑
小蕾は私の祖父です。が知らない事ばかりです。
返信削除大崎秋子 さま
返信削除小生は、森田廣氏(安来市在住・現代俳句協会会員)の方の著書によって、その存在の大きさを知った次第です。その句にも感銘深いものがありました。
コメントいただき恐縮です。ありがとうございました。