2015年1月22日木曜日
眞鍋呉夫「子の畏怖(おそれ)ランプに風が唄ふなり」・・・
「石神井書林目録」95号(2015-1)は真鍋呉夫所蔵本だっただろう島尾敏雄、檀一雄、庄野潤三などの献呈署名入り本が多数掲載されている。それらのなかに真鍋呉夫句集『花火』(こおろ発行所・限定百部・非売品 昭16 毛筆句入り)がある。そして掲出の「子の畏怖(おそれ)ランプに風が唄ふなり」の毛筆句が認められる。162000円とある。
眞鍋呉夫(天魚)は1920年福岡県生まれ、2012年没。10代の終りに、阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎などと同人誌「こをろ(こおろ)」を出しており、戦地に赴く直前に句集『花火』を刊行した。
愚生が真鍋呉夫に初めて会ったのは、レンキスト・浅沼璞の紹介で、関口芭蕉庵で行われていた連句会に連れて行かれたことによる。たしか句集『雪女』(冥草舎)を出される少し前のことだった。その後『雪女』で詩人への賞である歴程賞を受賞され、続けて読売文学賞を受賞された。以後の天魚・眞鍋呉夫の俳人としての歩みは皆さんのよく御存じのところであろう。
その後、これも浅沼璞に連れられて、自宅にお邪魔し、ご夫人の手料理と帰りには漬物だったか、手作りの土産までもらった。また、沼津大中寺の句碑開きのことなどを思い出す。
最後に覚えているのは、何の折だったか、眞鍋呉夫は非戦論を主張していたが、保田与重郎の『絶対平和論』こそは読みなさいとしっかり言われたことである。
『雪女』には、有名になった序句、
M-物言ふ魂に
雪女見しより瘧(おこり)をさまらず
もさることながら、前書きのある以下の句なども忘れ難い。
檀一雄氏と南紀太地の断崖に佇つ
眩さのはてにありけり継子投
ひと 亡父天門を「こつてうし」とよぶ
狷介(けんかい)にして燈籠をこのみけり
折笠美秋氏筋萎縮側索硬化症にて七年にわたる闘病の
後刀折れ矢尽きて逝く その夜霰すこし降る 同氏の
遺句「なほ翔ぶは凍てぬため愛告げんため」に和して
春あられ折笠美秋なほ翔(と)ぶか
島尾敏雄帰天
さびしくて雪の安達太良(あだたら)身顫(ぶる)ひす
そういえば、何時だったか、正木ゆう子、眞鍋呉夫と同席したおりに、しきりに、ゆう子は現代の雪女です・・・と言っていたなぁ・・。
枯芭蕉↑
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