2015年11月10日火曜日

三橋敏雄「春や永き沖積層と星の舎」(『沖積舎の43年』)・・・

                     扉題字・西脇順三郎↑
口絵句・三橋敏雄↑


沖山隆久が新宿中落合のアパートの一室から沖積舎を起こして43年になるのだ。
『沖積舎の43年』(沖積舎)の小冊子は、「感謝と反省を込めて関係各位に敬呈するものである。平成二十七年春 沖山隆久」(あとがき)とあった。「その間詩歌句集、評論、画集、全集など約一五〇〇点あまり出版した」ともある。冊子は3章で構成されているが「1は先輩の玉文、2は紹介記事、そして3は小生の駄文です。それぞれ再録させていただきました」という。ざっと眺めただけだが、その1に掲載された方々はこれまで、沖山隆久が敬愛し、頼りにした人物ばかりだが、鬼籍に入られた方も多い。例えば西岡武良、和田徹三、壽岳文章、鶴岡善久などの名がある。その3にある「子供のころからの夢だった時間をかけた文芸書づくり」「美しい造本の句集『白い夏野』」などの文章に触れると、沖山隆久の初志がうかがえる。
思えば、創立が昭和49年、彼が24歳の時だというから、その頃だろう。愚生が働いていた吉祥寺・駅ビルの弘栄堂書店に風呂敷に本を包んで、置いてくださいと訪ねてこられたのは・・・。その頃はまだ、書店と直接取引を出版社ができた時代だった。ちょうど詩歌の担当だった愚生は、その直接取引のお蔭で、まだ若かった幾人かの版元、自費出版をした詩人や歌人、俳人とも知り合うことができた。
その沖積舎の最初期の頃、坪内稔典や久保純夫が沖積舎から句集を出した。また、愚生の句集もすすめられたことがあったが、ついに愚生の怠惰で実現しなっかたことなど、思えば懐かしい。
沖山隆久の43年は、愚生にとっても、二十歳代から数えて、それだけの年月が経っているということでもある。
現在の沖積舎は、夫人となられた俳人・伊丹啓子がよく支えているとも記されていた。慶祝。




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