2016年1月8日金曜日
政成一行「絵に残る失くした風景からも かぜ」(『風の宿』)・・・
掲出の「絵に残る失くした風景からも かぜ」(『風の宿』沖積舎)の句は、1995年、阪神淡路大震災の折の句で「全壊校舎でのパボーニ風景画展」と詞書の付いたものだ。
略歴によると、生まれは愚生と同年、兵庫県生まれで生まれて間もなく父の死と同時に神戸市に移り住んだらしい。その後は伊丹三樹彦「青玄」に出合い、今は「青群」同人にして編集人とあった。名は「まさなり いっこう」と読む。
従って、序文ならぬ「一行(いっこう)の ひたすらなるは 一行詩(いちぎょうし)」で始まる序句20句は師の伊丹三樹彦。装丁挿画は子息の行政史人とある。幸に満たされた第一句集というべきか。
1989年から作句を開始したらしく、その初発を記した扉裏には以下のようにしるされている。
あたたかい冬の日、赤城村在の雲水 佐野顕光と前橋に遊んだ。〈あこがれて友と歩きし広瀬川 そのせせらぎに朔太郎をきく〉などと。その後、別の友に誘われて花の吉野へ泊り、俳句らしきものを作った。折しも、職場近くの茶房に置かれた、伊丹三樹彦主幹の俳誌「靑玄」を手にし、その新しさと自由さに魅かれた。四十一歳からの俳句事始めだ。
古仏より噴き出す千手(せんじゅ) 遠くでテロ (伊丹三樹彦)
以下に、集中のいくつかの句を挙げておこう。
いちばんに塾に来る子は蝶連れて
風の意味変える軌跡の 震後の蝶 (震後一年 復興祭)
田(た)ン神(かん)どんへ水路清掃 初音きく (集落では田の神を種の神と表す)
不安症 電話の向こうで飛んでる蛾
ひとときのとどまりどころ 風の宿
ひたすらにただねむりたい蝸牛
動けぬが使える右手 文字摺草
寝たきり天使 作り笑いはできません
テビさらい ふるさとではないやつのかぜ (テビさらい=水路清掃)
この朝も歩けるうれしさをあるく森 (日の子坂・新春ウォーク)
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