2016年2月15日月曜日
鴇田智哉「こほろぎの声と写真におさまりぬ」(『第6回田中裕明賞』)・・・
『第6回田中裕明賞』(ふらんす堂)には、賞の選考経過が詳細に記されている。各選者の総合点が最高点で、かつ万遍なく次高点を獲得しているので、合議の授賞では順当な結果と言える。少し面白いと思ったのは小川軽舟と岸本尚毅が第一位に推していたのが佐藤文香『君に目があり見開かれ』で鴇田智哉『凧と円柱』を第一位に推したのは四ッ谷龍ただ一人だった、ということだ。獲得点数が鶴岡加苗『青鳥』との三名の句集に集中していた結果だが、愚生は、候補者のメンバーを見たときに、全部の句集を読んでいるわけではないが、四ッ谷龍と同じく、鴇田智哉で決まり、と思っていたからだ。それは、四ッ谷龍の評である「『手拍子でこんな俳句ができました』というようなところがない。常識を脱しようという強い意志を終始一貫して感じました。感覚的な新しさもありますし、目のつけどころも新しいし、それを実現するための新しいテクニックもいろいろ自分なりに開発しているんですね」というところと相通じる。他の句集と比して相対的には明らかに抜けていると思っていたからだ。そして、ないものねだりかも知れないが、愚生には鴇田智哉はホントはもっと遠くへ行けたはずなのではないのか、という不満が残っていた。それが、もしかしたら、最高点を二名の選者に選ばせてしまった何か、佐藤文香の荒っぽさにさらわれた部分だったのではないだろうか。
ともあれ、ほぼ同時期に発行された「オルガン」4号での座談会「震災と俳句」では、これも鴇田智哉に真っ当さをみた。
2011年の震災・原発事故は、私たちの生において前代未聞の深さをもった谷だった。その以前と以後とで、私は確実に変った。言葉を発する私自身が変わったのだから、発せられる言葉も当然変わるにちがいない。私はそれ以前も俳句を詠んだし、それ以後も俳句を詠む。私は「震災を」詠むのではなく、震災を被った私が、「何かを」詠むのである。
あるいは同号の田島健一の以下の言葉にもまっとうな在り方がみえている。
今回の設問はあたかも「震災俳句」というものが「ある」かのように問うているけれども、俳句が私たちに迫るのは、まだ経験したことのない「出来事」に対する振る舞いであって、個々が向き合うのは、顕在化しない自分自身の「現実」である。俳句はそうした「現実」に向き合うことでしか、その特性を発揮しない。
俳人は、他のジャンルにではなく、かけがえなく俳句が向き合っていることを思わなければ、そこを回避しては先へは行けないのだから。以下に「オルガン」4号から一人一句を・・・
カフェインに頼る爪先から凍える 福田若之
塀の向うは汚れたる雪が降る 宮本佳世乃
雪の窓料理に皿も尽く頃の 生駒大祐
せり出してくる日本画に立つ狐 田島健一
ひと掴みづつゆふぞらを手がのぼる 鴇田智哉
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