2016年6月24日金曜日
志賀康「言わざりしこと返しあう山と海」(『幺』)・・・
「俳句界」7月号(文學の森)の特集「私の一冊ースペシャル」は、それぞれの作者の在り様、現在の志が伺える好企画である。
そのなかでごく稀なことだが、安井浩司が執筆している(現在、総合誌に安井の文章が読めるのは本誌のみではなかろうか。貴重である)。
そこに、取り上げられているのが、志賀康『幺(いとがしら)』(平成25年刊・邑書林)である。安井浩司は以下のように記している。
過日、当方は恥ずかしながら〈宇宙開〉なる詩業に挑んだが、志賀康『幺』は、そこを更に推し進め、宇宙神秘の開示を志していたのだ。作者の言ういとがしら(傍点あり・・・・・)とは、その糸先の極細い、鋭い細密な探針をもって、自然の妙理、かつ古代実存の秘所を確実に探り当てようとするのだ。(中略)
そこでは、いわゆる意味の跛行運動というか、凡庸な意味の伝達を断ち、新しい関係が成されている。それは俳句史に於けるいとがしら(傍点あり・・・・・)的な尖端に誌心を預け、無限宇宙をまさぐる堂々たる試運転でもあろう。昨今の軟弱な姿勢の中で、強固な骨骼(こっかく)を現わした句集として、敢えて申せば、現代俳句の勲(いさおし)の一巻なのである。
因みに、その他の「私の一冊」の執筆者と書を挙げると、冨士眞奈美は松尾あつゆき著『原爆句抄』(書肆侃侃房)、眉村卓は坪内稔典著『一億人のための辞世の句』(展望社)、金原瑞人は御中虫著『関揺れる』、大輪靖宏は高濱虚子『俳句への道』、宇多喜代子は現代俳句協会編『昭和俳句史作品年表戦前・戦中編』(東京堂出版)、池田澄子は林桂著『ことのはひらひら』(ふらんす堂)、齋藤愼爾は原満三寿著『いまどきの俳句』(沖積舎)である。大輪靖宏を除いては、近年出版された著著ばかりである。スペシャルということで、編集部がたぶん近年に出版された著作を挙げるよう要望したのかも知れない(もっとも、松尾あつゆき『原爆句抄』は復刻と言ってよいが貴重な句集である)。句集のみから以下にいくつかの掲載句を挙げておこう。
子の母も死す、三十六歳
なにもかもなくした手に四まいの爆死証明 松尾あつゆき
自ら木を組みて三児を焼く
とんぼう、子を焼く木をひろうてくる
セックスぢゃなひんだ関の微振動 御中 虫
関揺れる人のかたちを崩さずに
咳をしても一人 尾崎放哉
日本の夜霧の中の懐手 髙柳重信
妹よ見えない先はまだ翼 志賀 康
葦原を八度潜れば風の卵(らん)
海の蝶最後は波に止まりけり(折笠美秋)
阿蘭陀坂に海の恵みの入日かな 林 桂
死亡退学届。手続きに両親の元に行く
のが辛くて、一人っ子だしね。とクラス
担任は言う。
葛の葉の起ちあがらんとして斜め
ノウゼン↑
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