高橋龍句控『名都借』(高橋人形舎・不及齋叢書・拾壹)、「あとがき」に、
名都借は(なづかり)と読む。都合、都度などの都の濁音である。わたしの生地千葉県流山市の字名なのだが、元々は流山市に合併する前の隣村八木村の小字であった。語義をたどると、夏刈りの訛りに名都借と宛字したものと思う。夏刈りとは夏草を刈ることで、飼育する牛馬の飼料として干草ににし、冬に備えた。(中略)
当初、俳句も(・)詩であると思い、その後、俳句は(・)詩であると思ってきたが、最近は、詩であるにしても随分とひねくれた詩であると思うようになった。(中略)
そして徐々にわたしを諧謔に近付けてくれたのは西脇順三郎先生である。
とある。文庫本サイズながらその大扉に阿部鬼九男からの葉書が写真で掲げられている。その最後に、
記(一句)
¨大岡頌司図誌(ランド)
¨に遊んで日が暮れて 阿部鬼九男
とあった。阿部鬼九男は昨年12月19日に85歳で没した。阿部鬼九男が生前、高橋龍は友達だと言っていたが、その高橋龍は、たぶんだが、今年87歳だと思う。本句控えのいくつかの句を以下に挙げておこう。
日の丸は根来塗なり明の春 龍
雨女晴男ゐる重信忌
敗けた日も晩飯を食ひ湯に入りぬ
照りくもる千住大橋紫黄の忌
鶺鴒に超絶技巧(ハイテク二ック)
をそはりぬ
襖絵をじはり真似する秋の月
風景を景色に変へる秋の暮
起ちあがる影におくれて立ちあがる
善知鳥善知鳥(うとうと)
と陸奥(みちのく)
を行き九度(くたび)
れた
民主主義欺瞞主義(ダマクシラー デモクラシー)
にルビを替へ
霊柩車地下駐車場(よみのくに)
より現はるる
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