2017年5月28日日曜日
山本敏倖「どくだみやここからここまでは心臓」(「豈」第136回東京句会)・・
昨日は、隔月開催の「豈」第136回東京句会(於・白金台いきいきプラザ)だった。前日の雨も止んで、過ごしやすい気候の一日だった。例によって愚生の句に点は多くは入らず一点のみ。今に始まったことではないが、かつて攝津幸彦の俳句だって、句会ではあまり点数が集中して入ることはなかった・・・(同世代としては、句集では随分と人口に膾炙した句が多いが・・)と勝手に一人、都合よく呟いて慰めている。
もともと「豈」には句会が存在しなかった。ある時、高山れおなが句会に出たことがない、一度句会に出てみたいが、と言い出して始まったのが、「豈」歌舞伎町句会だった。それまでは「鵜の会」?と称して、奇数月の31日に、今は無き新橋・三井アーバンホテルのロビーに夕刻に集まり、コーヒーを飲み(すでに攝津幸彦はあまり呑めなくなっていた)、蕎麦屋へ、ただ、何するともなく、話をして別れるという会があった。
そして、いつの年だったか忘れたが、12月31日に集まってきたのは、愚生と仁平勝と攝津幸彦だけだった。思えば、家庭人のなす所業ではなかった。もちろん集合の案内を出していたのは攝津幸彦だったが、ごくたまに日時を変更するときの葉書には、独特の文字で「月、日、時、」だけが書かれていた(先日、整理する雑誌に挟まっていたのを見つけた)。
ともあれ、昨日の句会の一人一句をあげておこう。高点は同点で三名(山本敏倖・羽村美和子・堺谷真人)だった。
ほととぎす数式途中から透けて 羽村美和子
日おもてに鎌刺さりたる立夏かな 堺谷真人
日雷津々浦々の老耄よ 福田葉子
じゅういちと呼ばれし君は季語の鳥 早瀬恵子
ハーモニカイ音便から虹になる 山本敏倖
躊躇せず蝶は草野球になった 川名つぎお
朝から肉焼く五月の外出 照井三余
にっぽんを揺れすすみたる夜の神輿 大井恒行
本件と関係なくてすみません。6-7〜7−5まで、中野の区民ホールで実にささやかな展示を開催するのですが、DMお送りしようとして、大井さんのアドレスがわからなくなっていました。mauve@xf6.so-net.ne.jpまでご連絡いただけますと幸いです。
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