高橋龍句控『寶珠花』(不及齋叢書・十三 髙橋人形舎)、「あとがき」に、
宝珠花(ほうしゅばな)これも地名である。ただし中世までは下総国葛飾郡の宝珠花郷であったが、、寛永十八年(一六四一)関東郡代伊奈半十郎忠治の江戸川開削により、右岸は西宝珠村に改められた。それを引き継いで現行は、左岸を千葉県野田市東宝珠花。右岸を埼玉県春日郡市西宝珠花となっている。わたしの郷里流山でも、三輪村が東が三輪野山村、西が三輪野江村に分けられた。鎮守の三輪神社(茂呂神社)も分社された。
とあり、最後には、自身の体調を記して、
酸素ボンベが手放せず、空気は只だが、酸素は金がかかるとぼやきながら、病院へ行く以外はほとんど外出せず、おかげで少しは本も読め句も手当り次第。出来不出来も念頭になく、四月以降数えてみたら一五〇句あまりになった。
としたためられている。とはいえ、酸素ボンベから吸入の管を通して、ますますの健吟ぶりである。味わい深い諧謔の句のいくつかを以下に挙げておきたい。
なよなよに生かされてゐる柳かな 龍
老木は咲き急ぐなり花の昼
五月八日
ダリよりも三日前わが誕生日
みづからを水から救う春の鮒
高柳重信
遂に鳴る耳鐘の音に違ひない
空間は空(から)の棺(ひつぎ)か秋のひる
壥きつき/巻きつく/時間の帯を/秋の虹
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