2017年11月8日水曜日
加藤楸邨「死ねば野分生きてゐしかば争へり」(『言葉となればもう古し』)・・
今井聖著『言葉となればもう古し』(朔出版)、副題に「加藤楸邨論」とあるので、その多くは加藤楸邨を論じたものにちがいはないのだが、その実、今井聖の真に言いたいところは第2章「リアルの系譜ー子規から楸邨へ」ではなかろうか。例えば「『反戦』とモノローグ」に「『俳句の力』ということについて考えた」で始まるなかに、楸邨「しぐるる街ざわめく声は罵り来」の句を挙げて、以下のように記している。
前書きに「十二月三十一日終日冷雨、早暁収容所を出て無蓋貨車によりマニラに入る。投石の中に銅貨あり。缶詰、煙草も振り来しと」
こういう述懐には社会通念的見方にないリアルさがある。「日本帝国主義の侵略」によって殺され略奪され、凄惨を極めた現地国民は捕虜に投石を浴びせる。そのとき、日本兵はさらに自国の政策の被害者になる、というのが社会通念。ところが、投石の中に銅貨や煙草が混じる。日本兵と現地の人の人間的な交流を思わせる。もっとも弱い立場になった「侵略者」に差し入れを投げるのだから。そこには侵略の兵とその被害者である現地の人たちという一般的な図式はない。(中略)
「反戦句」が人の心を揺さぶり、行動に駆り立てるエネルギーを与えてくれるということを意味するなら、それは作品が予定調和的な内面吐露や映像を超えて、本物の「リアル」を示し得たときだ。本物のリアルはそこらじゅう転がっているのに、ぼくらはリアルを口にすることが難しい。あるいは見えていても見て見ぬふりをする。通念に寄ろうとしてしまう。
こういうとき、愚生は眼前の景にホントウの写生ということを思う。かつて湾岸戦争の折りに、阿波野青畝は多く俳人たちのなかで唯一湾岸戦争に関する句を発表していた。そのときの句は、確か、
カシミヤの毛布ぐるめは避難民 青畝
だった、と記憶している。これこそ今井聖のいうリアルだ、と改めて今おもう。
じつは愚生も楸邨といえば、『野哭』だった。愚生の故郷の山口市は、当時(50年前)、駅前のメインストリートといっても五分も歩けば突き抜けてしまう町だ。そのかどに唯一の古本屋があって『野哭』を求めたのだった。田舎なので安い買い物をした。数年経って、生活費の一部に『野哭』を替えた。従って今手元にはない。その時、古本屋の親父は、『野哭』、そのウインドウにも入っているだろ・・他にも何冊かある・・・と言いながら、それでも、愚生が買った値の三倍で買ってくれた。
ともあれ、いくつか愚生好みの楸邨の句を以下に本書より孫引きで挙げておこう。
十二月八日の霜の屋根幾万
死ねば野分生きてゐしかば争へり
木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ
落葉松はいつめざめても雪降りをり
冬鷗生に家なし死に墓なし
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ
百体の過客猫の子もしんがりに
天の川わたるお多福豆一列
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