2018年10月20日土曜日
浅沼璞「こゝまでの花見つくして湖に墓」(「無心」創刊号)・・・
「無心」創刊号、浅沼璞「無心衆としての弁ー『創刊の辞』にかえて」では、発端は2013年6月に発行された当時の日大芸術学部生による「江古句会報」からはじまり、会報2号から「俳諧無心」と改称し、10数号をかさね、日本連句協会に加盟し、「連句年鑑」にオン座六句を発表し、かつ2015年にはブログを立ち上げ、いまでは社会人となった連衆も多く、句会と連句会を交互に開催活動してきたという。そのルーツは、天魚子眞鍋呉夫の水分(みくまり)であると言う。その先師・眞鍋呉夫の志を継承しているのだ。師曰く、
全一なる造化の表現としての俳諧は、子規以来発句と連句に引きさかれ、かたみにその半身を失ったまま、相かろんじ、相おとしめつつ、今日に至っている。(中略)
最も素朴に、そして愚直に、発句と連句の会を各月に行なうというやり方を続けてきた。もとより、期するところは、無限定な造化の表現としての、きよらかでみずみずしい創造力の回復にあるが、さしあたり今のわれわれにできることは、われわれ自身を火口(ほくち)として果敢な花火の打ち上げを夢見ることぐらいしかない。
天涯に人も花火を打ち上げよ
(俳諧誌「水分」第一号「後記」一九八九年六月)
そして言う。
先師のごとくそれを正夢にしうるか否か、われわれの努力・研鑽にかかっていることは承知のうえだが、今の時代、ひたすら無心になる行為そのものが肝心とも思える。さいわい「無心」という言葉は俳諧の系譜に痕跡をとどめてきた。
この心栄えを讃えたい。であれば「無心連句ー攝津幸彦没後二十年 追善興行 脇起 オン座六句『十』の巻」やツイッター上の不適切発言「東北でよかった」を組み込み「夢想 オン座六句『おぞ』の巻」などもあり、なかなに刺激的である。他にも、北野抜け芝「連載・阿部青鞋のちかくで1」は、ただいま現在の若い人の俳句と比較、批評し、これもスリリング。諸兄姉、ご一読あれ。ともあれ、以下に同人の一人一句を挙げておこう。
まよなかのスマホ画面を夏料理 城前佑樹
たんぽぽを避けてわづかに列乱る 池田けい
破魔矢持ち野菜のやうな取りあつかひ 副島亜樹
ひろうひろわれる毛布のひとひとり 内野里美
ねむらない機械に囲まれて花野 西原紫衣花
俺は津までお前も津まで花筏 浅沼 璞
秋扇の風前の蟬ちよつと鳴く 堀江 秌
人間が電車をとめて冬銀河 二三川練
天気予報きょうもあしたも水ぬるむ 禰覇 楓
ぱらぱらと土手のはくちょう開きおり 櫛田有希
朝凪はちゃりの籠から死んでゆく 二川智南美
柊をさして住処を縫いつけて 加藤湖標
塗りかへしパブの扉よ草朧 泉山友郁
食堂の雑誌しをれて残暑かな 椿 屋烏
ひよがきていちにちふたりともをらず 北野抜け芝
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