「翻車魚」No.3、ふくろふ号/No.4、象号(走鳥堂)、〔No.3、ふくろふ号〕は、いわば関悦史特集号、〔No.4、象号〕は柿本多映特集である。本誌の発行者は佐藤文香、そして、もう一人の著者である関悦史の二人誌の態である。まず、〔No.3、象号〕から、巻頭エッセイは山岸純平「取り合わせの科学」、招待作品は佐藤智子「梟が」、関悦史特集では小津夜景「セキエツを味わうための十一の皿」と小津夜景選「関悦史100句」、加えて関悦史「俳句 五十題」とエッセイ「不眠症の時間飛行」。そして佐藤文香「BEER&BANANA」13句。まず、小津夜景は言う。
(前略)関の作風については、まずもって、『六十億本の回転する曲つた棒』『花咲く機械状独身者たちの活け造り』といった句集のタイトルがその特質をたっぷり物語っている。すなわち、①SF,②生命の変形・混成する性癖、③大量の語彙をいっぺんに嚥下する力、④笑い、の四点だ。今日のコースはこれらを念頭に置きつつ食するといいだろう。
と述べて、11皿を用意する。「一皿目 古典文学」「二皿目 現代文学」・・・以下「芸術」「記号」「BL」「暮らし」「日本景」「家族」「震災」「政治」「SF」というように分皿して見せる。その「7皿目 日本景」には、
(前略)関が対象を観念的にとらえず、ありのままに写生する眼と技術をもつことがよくわかる。
また、「5皿目 BL」には、
この皿ではエンターテイナーとしても挙動に一ミリのためらいもない関が味わえる。肩の力が抜けきっているのかバカバカしいことこの上なく、しかも名句が多い。
と述べている。そして「おわりに」で「世話しぬけば枯木がア・リ・ガ・タ・ウと言ふ」の句についてでは、以下のように記している。
実は筆者はこの句をはじめて読んだ時、死にゆく老人を〈枯木〉に喩える手法に批評を拒絶するたぐいのロマン主義を感じて良い印象をもたなかった。ところが関の作品をすべて読み終え、あらためてこの句に戻ってくると、「ア・リ・ガ・タ・ウ」の書きぶりが露骨にSF的であることに気がついた。そしてこの「ア・リ・が・タ・ウ」は異種知性体へと成り果てつつある祖母がかろうじて発した人間の言葉であり、つまり関が書いたのは比喩ではなく本物の枯木(エイリアン)だったことを理解したのだった。
「No.4 象号」の巻頭エッセイには、飯島雄太郎「母が象になった」、招待作品は柿本多映「象」、鑑賞に関悦史「蛸としての句作ー柿本多映近作鑑賞」、詩篇に佐藤文香「薩摩の象」など。関悦史の鑑賞の結びには、
春満月老婆を贄に差し出して (「五七五」5号)
供儀をささげることで神や自然と取引する古代的思考の句が、それが今ここの自分のリアルに結び付けられているようで異様な力強さがある。「老婆」と「春満月」は人生の美化や、人の身を生き切った後の宇宙の合一といった神秘主義にまとまるわけではない。「春満月」と「老婆」のモデルは、今ここに踏みとどまったまま宇宙的エロスに触れ、ゆるやかに自足に至ろうとしている。
と記されている。ともあれ、ここでは通巻して、それぞれの作家の句を任意にいくつか挙げておきたい。
冬蔦の花は黄緑 駅はどっち? 佐藤智子
象の眼の奥の虚空や冬銀河 柿本多映
「あいつ綺麗な顔して何食つたらあんな巨根に」風光る 関悦史
逢ひたき人以外とは遭ふ祭かな
ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり
テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食へ
うすらひやさはられてゐるうらおもて
身に入むや蠢き・喚き・旭日旗
長梅雨へ首はみ出してキリンかな
疫病の町なるビール飲みにけり
大暑かつて鶴橋駅にうどん・そば 佐藤文香
金星や南国の木が墓地の中
関悦史(せき・えつし) 1969年、茨城県生れ。
佐藤文香(さとう・あやか) 1985年、兵庫県生まれ。
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