松井国央第3句集『流寓』(山河俳句会)、序は、髙野公一「『流寓』までー序にかえて」、その中に、
花の野に立ち両耳がばかに暇
滝の音浴び右肩に荷を移す
自分が見えていて、それ故の滑稽感も漂うが、それでも季語がそんな自分を救済するのを許している。
湯豆腐を掬いて今が懐かしい
枯野の匂う今と言う抱き枕
今、ここにあり、今しかないこの時を懐かしみ、そんな自分を抱きしめる。俳句でなければこの儀礼は成り立たない。
とある。また、著者「あとがき」には、
相変わらず道楽の域を出ない俳句を作っている。
他人の句集などから刺激を得て、いつかは意欲的な作品を作ってみたいと奮起してみるが、歳の所為かその意気込みが長続きしない。
そんな姿を反映するような句集とはなったが、やはり僕にとってはどれもいとおしい作品である。(中略)
令和三年は僕の八十歳、そして我が夫婦の金婚と言う記念の年だ。この句集はそんな節目のメモリーとしておこうと思ったが、もとより俳句嫌いな妻にとってはきっと迷惑なことに違いない。「俳句に費やすエネルギーを仕事に向けてくれれば、老後はもっと楽に暮らせたのに」と、妻は今でも言い続けている。
そんな妻にここで句集をささげては、火に油をそそぐような気もするので、今日まで良く我慢をし健康で過ごしてくれたことを感謝しつつ、句集は僕の傘寿の記念とすることにした。
とあった。十数年前になると思うが、現代俳句協会の通信講座を、松井国央と故大牧広と愚生の三人で一年間担当したことがある。若輩の愚生にも、じつに親切にしていただいた。その時は、まだ「山河」の代表を務められていた(現代表は「豈」同人でもある山本敏倖)。さすがに、長い句歴ゆえの、やむを得ぬ追悼句が多くあったのはその歳月を思わせるものである。ともあれ。多くの印象に残る句群から、愚生の好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
かわほりの滲みでて来るからこの世 国央
豚舎から猫が出てきて小六月
凍て星や愚者には愚者の爪に垢
鳶に先啼かれてしまう冬の凪
さくら以後非常非常という日常
事件事故どちらでもなお金魚の死
八月や白紙に任意の点を置く
戦争放棄この詩的言語を笑う蟬
崩さねば夢を見ている冷奴
廃校の時計が今を指し澄めり
身に入むや右手が握る左の手
騙し絵の中を漂うシャボン玉
蟾蜍鳴けり安全保障という神話
冬日向敵でも味方でもない漢
雪明かり抓んで棺に収めたり
天体や踊っているのは人ばかり
松井国央(まつい・くにひろ) 昭和16年、東京生まれ。
撮影・鈴木純一「覇道なりバナナの皮を四度剥き」↑
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