2014年9月29日月曜日
八木幹夫『渡し場にしゃがむ女』ー詩人西脇順三郎の魅力―・・・
八木幹夫『渡し場にしゃがむ女』(ミッドナイト・プレス)の書名をみたとき、最初に思い浮かべたのは、今はもう手元にはない、ふた昔くらい前の本だったと思うが永田耕衣の『しゃがむとまがり』(南柯書局)だった。あるいは、また加藤郁乎の文をとおしてみる偉大な詩人で、愚生は敬して遠ざけていた詩人が西脇順三郎なのであった。それでも、没後二十年を記念しての西脇順三郎展(世田谷文学館)にも出向いたことはあるのだ。
本書は西脇順三郎についての八木幹夫の講演を中心にした一本なのだが、確かに、愚生には、西脇順三郎という詩人を改めて読もうとする気にさせたのだった。
書名の由来は西脇順三郎の詩行、
渡し場に
しゃがむ女の
淋しき
からである。愚生は俳人の端くれだから、つい、俳句との関連あるところで読んでしまう癖がある。「西脇さんの俳句」という項目が目に入る。そこには、昭和十年頃、萩原朔太郎、室生犀星とともに句会の選者をしていたことも記されている。
珈琲薫るじやすみんの窓あさぼらけ 西脇順三郎
黄金の木の実落つる坂の宿
木の実とぶ我がふるさとの夕べかな
そして、芭蕉の句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」を引いて、次のように結ばれている。
西脇順三郎の詩や諧謔やユーモアの背後には、無常なるものを見続ける「永遠」の悲しみと淋しさが隠れていると思うのです。
そういえば「さびしさをあるじなるべし」としたのも芭蕉だったなあ・・・・。
ニラ↑
2014年9月28日日曜日
羽村美和子「秋夕焼どの本にも挟んであった」・・・
昨日は、二か月に一度の第121回「豈」東京句会だった。報告を兼ねて以下に一人一句をあげておこう。
句会前に元「豈」「夢座」同人だった渡部伸一郎さんが旅先のフランスで亡くなられたという訃がもたらされた。該博な知識をお持ちだったが、話されることも、句の鑑賞も平明で、ツボを心得られた見事な評をされる人であった。今後は、彼の読みやすく、魅力的なエッセイも読めないのが淋しい。ともあれ、会津生まれの祖父や父上のことも加藤楸邨の弟子だった母上のこともそれぞれの評伝をすでに出されていたし、自らのことを語る以外は、ほぼ語られていたと思うので、それはそれで思い残すこともなく、さっぱりしたものだったかもしれないと愚生は自身を慰めている。多くのの著作は深夜叢書社から出版されており、蝶の蒐集家でもあったようだ。1943年生まれだから古希を過ぎられてほどなくの死だ。ご冥福を祈る。
秋夕焼どの本にも挟んであった 羽村美和子
稲田みており目玉にまかせてあり 川名つぎお
送り火やすこし歩いてみませんか 佐藤榮市
面倒な人つれてくる吾亦紅 小湊こぎく
どんぐりのドヴォルザークは道程 山本敏倖
スコッチの転ぶひとくち鱗雲 鈴木純一
赤とんぼ0に目覚めて雲はるか 岩波光大
刻一刻無音の蝉や長崎や 多仁 竝
歌舞伎町一膳めし屋の吾亦紅 早瀬恵子
父老ゆる何か喚きてすすき原 福田葉子
たそがれを踏んだ声出す吾亦紅 杉本青三郎
稲びかりたたまれてある扇かな 大井恒行
キンモクセイ↑
2014年9月26日金曜日
絵・川原田徹、詩・谷川俊太郎『かぼちゃごよみ』・・・
かぼちゃを描き続けてきた画家がいる。名は川原田徹。今年の現代俳句評論賞受賞者・竹岡一郎の従兄にあたる人だ。現在の画名はトーナス・カボチャラダムス(1944~)である。この画人の絵は北九州市にあるカボチャドキア国立美術館で多く見ることができるらしい。
絵本『かぼちゃごよみ』(1990年、福音館書店)には1月から12月までそれぞれの月に谷川俊太郎の詩と川原田徹(現・トーナス・カボチャラダムス)の絵が配されている詩画集である。
実に愉快だ。
最後の12月の詩を以下に引用する。
おかねでかえないものを わたしにください
てでさわれないものを わたしにください
めにみえないものを わたしにください
かみさま もしあなたがいらっしゃるなら
ほんとのきもちを わたしにください
どんなにそれが くるしくても
わたしがみんなと いきていけるように
エンジュ↑
2014年9月23日火曜日
きゅういち「ほぼむほんずわいのみそをすするなり」・・・
今日は言わずと知れたお彼岸。川柳人にとっては、柄井川柳の没した日(1790年〈寛政2年〉9月23日)でもある。その句集『柳多留(やなぎだる)』が1765(明和)年に刊行されると、庶民の間では俳句よりももてはやされたという。「川柳」の誕生だ。
愚生の所属する「豈」同人2名、樋口由紀子が序文を、小池正博が解説を書いているきゅういち句集『ほぼむほん』(川柳カード)が届けられた。
「きゅういち」の本名は宮本久(みやもと・ひさし)、1959年大阪生まれ。「ふらすこてん」「川柳カード」同人にして、とびきり美味いフランスパンを作るパン職人らしい。
門外漢の愚生にはよく読み解けない句が多い。とはいえ、常識的には「詠みおおせる」のが川柳だから、きゅういち句は難しくも、ちょっと新しい川柳なのかもしれない。樋口由紀子の序では「愛すべき半分B」と題して、Aが日常の生活を負っているものだとしたらBは、どうやら「社会に順応して生きていくとは別物の、時には邪魔になる、けれども『きゅういち』にとってはどうでもいいと片づけられない、半分Bなのである」ということになる。そして「川柳を小さな器に収束したくないのだ。川柳もやっと違う方向に行くことができるかもしれない」と結んでいる。
遠雷や全ては奇より孵化した きゅういち
上掲の句について小池正博は解説で「『孵化』は昆虫や鳥の場合に使う。ヒトが生まれるにしても、鳥獣虫魚と同じ相で眺められている。『奇』はマイナス・イメージではない。すべての起動力は『奇』にあるという認識である」と述べる。その結びには「司祭かの虚空にバックドロップか」の句を引いて「きゅういちという覆面レスラーは虚空に言葉のバックドロップを仕掛ける。その技はときに掛け損なうこともあるが、見事に決まる場合は心地よい。観客はそれを楽しめばいいのだ」と記している。
楽しみついでに気が付いたことだが、最近の『鹿首』第6号の「鹿首 招待席 川柳」に「無題」と題してきゅういちが20句を寄稿している。以下に数句挙げておこう。
歩道より最上階へさざ波さざ波
教室の装置としてのうわごと
連綿も手の湿り気も握り寿司
又貸しの魂魄がほら水浸し
言葉使いの自由さにおいては、俳句よりもどうやら自由度、想像力の幅が大きいようである。
『ほぼむほん』は「ほぼ」と記すからにはどうやら「謀反」には至らない「むほん」なのだろう。
以下に愚生勝手好みのいくつかを挙げておきたい。
きゅんきゅんと虚無あざやかに旧校舎
秘め事を徐々に消え行く測量士
内線二番血の池二名様追加
詩を挽いて獏に喰わせるおい衣装
火事ですねでは朗読を続けます
原子炉で冷たいご飯を炊かんかな
永遠の廊下を磨く銀座支社
車止め程度虚に入る漫才師
食えぬ世の暮れぬ喜劇と踊り子と
整然と公民館に虚無の靴
嫁入りの一部盗品時雨るるか
逃げ水をなるべく生きて渡ります
ユズリハの実↑
2014年9月22日月曜日
小宅容義お別れ会・・・「たんぽぽや唐の国まで雲の帯」容義・・
昨日、9月21日(日)、去る5月27日、多臓器不全ため87歳で逝去した「小宅容義お別れ会」が、品川のグランドプリンスホテル高輪で行われた。約100名の参列であった。
かつて「現代俳句」の編集長、現代俳句協会副会長を務めたたこともあり、来賓挨拶には前田弘、橋爪鶴麿、遠山陽子と続いた。
小宅容義(おやけ・やすよし)の本名は力(つとむ)、1926年東京府豊多摩郡(現・渋谷区)生まれ。大竹孤愁「かびれ」に師事した。後「玄火」、「雷魚」「西北も森」などの同人。
お別れ会で、俳号「容義」はあるとき占い師につけてもらったと、エピソードの紹介があった。
歌舞伎町で飯屋「ひょっとこ」を経営、その「ひょっとこ」で愚生は波多野爽波とはじめて会った。
多くの俳人が出入りし、晩年はお酒も楽しんで、カラオケは80曲くらい歌詞をみないでの持ち歌があったという。超結社句会をやるなど若い俳人の面倒をよくみた。句作は、みんなに読んでもらいたいと途中から現代仮名遣いに転じた。
お別れ会のあったこの日は、健在であれば小宅容義米寿88歳の誕生日だった。
遺稿句集は、先日版行された『尺寸(せきすん)』、生前の句集に『立木集』『半円』『火男』『西藍』『牙門』。
ぬくめられゐる合掌の中の冬 容義
冬の猫通りすがりに夕焼けたり
眼下に鷹鷹に眼下の日本海
みえぬとも指紋あまたや種袋
山は陽を障子は山を消しにけり
サルビア↑
2014年9月20日土曜日
神原良『X(イクス)』・・・
今日は、何も書くことが思い浮かばない。
先年、句集『光速樹』(書肆山田)を上梓した打田峨者んから画人名・内田峨で挿画を担当したというので、神原良詩集『X(イクス)』(書肆山田)を恵まれ、詩集名になっている詩篇が心にしみたので、今日はその詩をまるまる以下に紹介することにする。
X(イクス)
どこか 宇宙の果てのステーションで X(イクス)
僕たちは もう一度 会えるかもしれない
夜空に 幾千万と鏤められた星の一つ そのどこか見知らない街で
僕たちは もう一度 すれ違うかも知れない
僕はいま ほとんど再生を信じる
僕たちは 程なく死に 焼かれ 一握の炭素となり
この星の終焉とともに 宇宙空間にまき散らされて やがて
不可思議な意図のもとに凝集し もう一度生命を形成し
そして 幾百というそういった繰り返しの中で
かつて邂逅したふたりの魂は 必ずや互いを求めあい
いつか この星ににた青い大地で
僕たちは もう一度よみがえり まみえるだろう
その時 僕は おまえに告げる
僕はX(イクス) おまえを本当に愛している この永劫の宇宙の中で
(神原良詩集『X(いくす)』より
ヤブラン↑
2014年9月19日金曜日
子規「今やかの三つのベースに人満ちて、そぞろに胸の打ち騒ぐかな」・・・
今日、9月19日は獺祭忌、正岡子規の忌日である。糸瓜忌ともいう。明治35(1902)年9月19日に36歳で亡くなった。
同病の集(よ)りてわらへる子規忌かな 石田波郷
短歌・俳句の革新者ということでもおなじみだが、ベースボールに「野球」という名訳を与えたとも言われている。本名が「升(のぼる)」で「野球(のぼーる)」という符号も一致する。
子規は一高時代には野球を普及させるべくピッチャーもつとめた。
雨(アメ)にかかる「ひさかた」の枕詞を援用して「久方のアメリカ人のはじめにし、ベースボールは見れど飽かぬも」とも詠んでいる。
そういえば、昨日(18日)は、子規の知遇を得た日本派俳壇の重鎮・石井露月の忌日で(享年58)、こちらは子規の糸瓜忌ならぬ南瓜忌。南瓜道人と称した。
アケビ↑
2014年9月17日水曜日
川口真理「我が顔にさくらのいろのうつらざる」(『双眸』)・・・
川口真理句集『双眸』(青磁社)。久しぶりに装幀のいい句集に出会った。派手ではないが、静謐な趣を讃えたシンプルさがある。前小口の紺の鮮やかさも美しい。瀟洒である。ともあれ、装幀もまた書物の内容を規定するものであって、その意味では、すで川口真理という人の句の姿までが見えるようだ。
淡々と来たる足音寒夕焼 真理
序は、大牧広、跋は中嶋鬼谷。いずれも川口真理のリリシズムに期待を寄せている。
愚生などが、これ以上述べることは愚の骨頂だから留めるが、唯一の気がかり(不満)は次の句などにある。「淋しからず終戦の日の蝶の香は」の「終戦」が「敗戦」であったならば、愚生は文句なく、この句を推したかも知れない。「終戦」と「敗戦」、たった一語にしかすぎないが、この語の認識の径庭は意外と大きい。しかし、このことは愚生の単なる愚かなイデオロギーに過ぎないのかも知れない。たぶん「終戦の日」が季語として選ばれているからそう思うのだろう。「終戦の日」がかの「敗戦の日」でないとしたら、世界のあらゆる戦火の終わりを意味しているのであれば、それは「終戦」と「蝶」の音韻の調べを導くには相応しいとも思えるからだ。
とはいえ、愚生好みの句は多くある。以下にいくつかを挙げて恵送のお礼にかえたい。その前に、「階段の上の真昼や冬の海」の句には、攝津幸彦の「階段を濡らして昼が来てゐたり」や田中裕明「空へゆく階段のなし稲の花」をどうしても思い起こしてしまい、天上の二人への挨拶のようにも思えるのだった。ある年の暮、愚生には急逝とも思えた田中裕明の訃に接したとき、先に攝津幸彦を失い、今、田中裕明を失った、と愚生は、真実そう思ったのである。
サーカスの天幕たたみ春の雪
足のせてつめたき石や麦の秋
鳥たちのあまたの背中春の雪
泣くひとのうしろにひらくしやぼん玉
停電の風あかるかり秋すだれ
悼田中裕明先生
逝く年の空に解く紐ありにけり
家中の椅子みなちがふ竹の秋
我が顔にさくらのいろのうつらざり
かまきりのふりむく柱ありにけり
しぐるるや身の芯にある鳥の性
田中裕明うつすら映し浮寝鳥
ヒルガオ↑
2014年9月16日火曜日
「只」(「漢字点心」・円満字二郎)・・・・
「週刊読書人」の連載コラムに円満字二郎(えんまんじ・じろう)の「漢字点心」がある。すでに百回を超している。楽しみにしているコラムだ。101回目が、「只」である。漢字の一文字の由来が色々書かれている.取り上げられる字は、パソコンでは現われて来ない特殊な漢字も多いので、「只」なら、愚生も紹介できると思って、思いついたが吉日、閑話休題と思って書いている。その冒頭の説明には、
「ただ」と訓読みして使う漢字だが、本来の意味は異なる。古代中国語で、ことばのリズムを整えるために挿入される語を表す漢字である。日本語でいえば、「あのね、ぼくはね・・・」というときの「ね」のような感じのことばなのだろう。
そういう無意味なことばを表すために、漢字を生み出した人々は、「口」の下に八の字形に線を二本引いた。マンガの吹き出しのようなもので、口から声が出ていることを表しているわけだが、意味はないから、中身のセリフもないわけである。
とある。手元の漢和辞典で調べたら、こういうのを助字というらしい。面白いことに、我が国ではロハといいただ(無料)という意味になる。
また、俳句をたしなんでいる俳人には禅に通暁している御仁などもいて、道元の「只管打坐(しかんたざ)」を句作の要諦という人もいる。
あるいは波郷のように俳句は「打坐即刻の唄なり」という人もいた。
2014年9月14日日曜日
河野春三「母系につながる一本の高い細い桐の木」(「MAMO」第19号より)・・・
「MANO」(マーノ)第19号、加藤久子・小池正博・樋口由紀子・佐藤みさ子の同人4名の川柳誌だ。
そのうち、小池正博と樋口由紀子が「豈」同人である。
愚生は川柳について全くの門外漢なので、この二名の「豈」同人を通して、時折り、川柳の世界を覗き見させてもらって、恩恵を受けているのである。
今号の「MANO」では、小池正博が「河野春三伝説」を6ページにわたって執筆している。その冒頭に、「『現代川柳』は河野春三と中村冨二から始まった、というのが私の持論である」と書かれている。と、「おお、そうか」と愚生は、理屈なく納得してしまう。また後半に入るあたりで春三の「深き手負いの隕石となりて堕ちてゆく」「さまようて無明の使者は遠きかな」の句には、
敗北の抒情であろうか。春三は時代の刻印を一身に受けている。「私」から「社会性」が消えたとき、情念川柳まではあと一歩にすぎない。
と述べるとき、「情念川柳」という傾向の川柳があるのか、と思い、しからば「情念俳句」という呼称があったのだろうか、と立ち止まってもみる。やはり、川柳独特の呼称なのだろう。さらに、
春三の中にあった私性・詩性・社会性のうち、社会性川柳は松本芳味の死によって、それ以上展開することなく破産した。私性は「思い」の表出という限定的な川柳観に特化することによって矮小化された。詩性は川柳性との関係が曖昧なまま放置され現在に至っている。
と、書き継がれるとき、小池正博の現在の川柳観がよくうかがえる。そして、以下のように言挙げされるとき、現代川柳はまだまだ希望を胚胎している詩形なのだと思わされるのである。
「詩」は抒情に限定されるものではなく、批評性やイロニーも含めた「広義の詩」としてとらえる必要がある。萩原朔太郎の詩論と西脇順三郎の詩論を統一したところから、現代川柳は書かれるべきではないか。
そろそろ私たちは真の意味で現代川柳をスタートさせなければならない。
以下に、今号から、4名の各一句を挙げておこう。
水っぽい体になって箱を出る 加藤久子
明るさは退却戦のせいだろう 小池正博
拳銃をもったら鼻をさわらない 樋口由紀子
せんそうはひとはしらからはじめます 佐藤みさ子
ジュズ↑
2014年9月11日木曜日
「幕末太陽伝」・・・
今日は午前中に少し降った雨も、午後からはパラパラ程度で、どんより曇り空で持ちこたえていた。
愚生の勤め場所で、本日と明日は「名作映画会」を開催上映している。
今回は「おとうと」(1960年、監督・市川崑)と「幕末太陽伝」(1957年、監督・川島雄三)。
愚生は、ちょうど休日だったので、「幕末太陽伝」を目当てに観に行ったのだが、期待は少しはずれて「おとうと」に軍配を挙げておくことに・・・。観客は平日ということもあろうが、ほとんどは愚生より年長者だったようにお見受けした。
ちなみに「幕末太陽伝」の主役はフランキー堺、女郎役に左幸子・南田洋子。高杉晋作役に石原裕次郎など。「おとうと」の方の主役は岸恵子、そのおとうと役に川口浩、母が田中絹代、父に森雅之。
退屈しのぎに秋霖の日を、昔日の映画を観て過ごすのも悪くはない。
明日は、夜勤・・・。
次回上映は10月4日(土)、5日(日)に、「君の名は」総集編と「二十四の瞳」の予定。
2014年9月10日水曜日
「群青」第5号に思う・・・
「群青」第5号に仲寒蟬が俳句時評「氷の世界」を書いている。
それは世代について仲寒蟬の考えを率直に語った好感をもてる内容だ。その最後に「団塊の世代の下で冷えてをり」櫂未知子の句を挙げて次のように記している。
俳句にも当然ながら世代の色はある。歌の世界で陽水や中島みゆきが我々の世代を代表してくれているいるように俳句ではこの人だ、と筆者は最初から感じていた。世代の声を反映するような俳句が詠めたらそれは素晴らしいことだろう。だが、飽くまで意識せず、あとから読んでみたらそうなっていた、というのが望ましい。
「氷の世界」を聴きながらそんなことを思った。
愚生は、団塊の世代である。従って、一年前に「群青」が創刊されて、その誌名を見た瞬間に、なんと切ない悲しみを湛えた誌名であろうか、と思ったのだった。若い人々が集っているらしいと思えば、なおさらそう感じたのかも知れない。愚生らには「群青」とはウルトラマリンだ。そうすれば、即座に逸見猶吉の《ドコカラモ離レテ荒涼タル北方ノ顔々ウルトラマリンのスルドイ目付/ウルトラマリンの底ノ方へー》を思い起こす。そして、何よりも新右翼と称された野村秋介の「群青忌」を思う。
野村秋介は平成5年10月25日、朝日新聞東京本社において抗議の自決をした(享年58)。彼のよく知られた俳句は句集『銀河蒼茫』(二十一世紀書院)の「俺に是非を説くな激しき雪が好き」であるが、自決一週間前に辞世として次の句を詠んでいる。
惜別の銅鑼は濃霧のおくで鳴る 秋介
仲寒蟬のいうように、それぞれの世代の受けてきた感受性は確かにあると思われる。愚生など団塊の世代にはやはり戦中世代の、俳人でいえば、ちょうど父の世代にあたる金子兜太あたりの文字通り、その世代を対象化しようとした世代なのかもしれないとも思う。
それでもなお、時代とは寝ない、時代と等身大の句だけは回避したいと想いながら俳句形式に臨んできた世代でもあると思う。
そして今、真に新しい俳句をめざし書けるのは(愚生の出る幕などなく)、後続世代のものだろうとも思っている。
それにしても、「群青」今号に「創刊によせて」が再掲載されているのは、再掲載しなければならぬほどの何らかの事情でもあるのだろうかと、少しは気にかかるのである。
それはたぶん、愚生が「群青」という誌名を最初に見たときの切ない感受を思い起こすからにちがいない。
そして、もうすぐ、今年も21回目の「群青忌」がくる。
また、攝津幸彦「南風忌」「南国忌」の10月13日は、毎年、ハナミズキの赤い実があざやかだ。
ハナミズキの実↑
加藤郁乎「一満月一韃靼の一楕円」・・・
昨夜は旧暦上の十五夜ではなかったが(十六夜)、月暦では満月・大潮、さらに重陽の節句と重なった。
月の出の頃は赤く大きな満月だったが、やがて雲に覆われて無月に・・午後10時ころには、再び煌々とした満月となった。いわゆる仲秋の名月にちがいはない。俳句では、月光あまねき名月の夜を、特に良夜と呼んでいる。月と言えば秋だというのも、そのさやけさが秋のものだという、いわば俳人仲間だけに通じるある種の約束。俳句をたしなまない一般の人すべてに通じるわけではない。
月という言葉の純粋な意味は何かと、問うたのは三谷昭『現代の秀句』(1969年・大和書房)である。目次分類は、「季節と時候」「天象」「地象」「植物」「動物」「人と人生」「愛情」「生活」「職業」「文化と宗教」「国家と社会」「戦争と平和」の各項目に正岡子規以降の約3000句が分類され収められている(若干の鑑賞ノートあり)。
嗚呼!嗚呼!と井戸に吊され揺れる満月 恒行
ゴーヤの花↑
2014年9月9日火曜日
小宅容義「小鳥来る小鳥来ている間にも」・・・
去る5月17日、鬼籍に入った小宅容義句集『尺寸』(ウエップ)が刊行された。大崎紀夫「あとがき」によると、句集名『尺寸』のみは決まっていたという。奥附けの前ページには36名の句集『尺寸』刊行協力者の名がある。その中の一人、鈴木一行が懇切な跋文を書いている。それによると小宅容義の二十歳の作品(昭和19年)が記されている。句は、
雨さびしければ榾火をいたはれり 容義
その青春の初々しさを讃えている。
愚生が最初に小宅作品に接したのは句集『火男』(深夜叢書社)だったと思う。25,6年は前のことだろうか。その頃の深夜叢書社から出る句集、例えば、火渡周平や八田木枯などマイナーながら、魅力的な句集を出していたので、『火男』も書店で見るとすぐに買ったのだと思う。
後に愚生が現代俳句協会員になった頃、小宅容義は副会長だった。彼の店「ひょっとこ」に誰かに連れて行かれ、そこで波多野爽波に初めて会った。
ともあれ、小宅容義の訃がもたらされてから、日月を経ずに句集が刊行されるなど、人望もあったにちがいない。
そのお別れの会が来る9月21日(日)に行われるようだ。冥福を祈りたい。
ふりむけば後ろも雨や石蕗の花
元日のさざなみ我をちゃちゃくちゃに
山は陽を障子は山を消しにけり
銀杏降る辺り暮れ放題に暮れ
小鳥来る小鳥来ている間にも
象の鼻ときどき春の埃吹く
マルバルコウ↑
2014年9月6日土曜日
森山光章句集『実には在れども滅すと言ふ』・・・
『実には在れども滅すと言ふ』(不虚舎)は森山光章の8冊目の句集である。他の歌集、小説、詩集、批評集(政治的断章)を加えて、すでに15冊に及ぶ著作がある。個人誌「不虚」を発行。1952年生。第一句集は『眼球呪詛吊變容』(弘栄堂書店)。1990年3月、「俳句空間」新鋭作品欄・第三回新人賞準賞を受賞している。その折りの作品もすでに独特の世界を表現していた。以下に二句、
夜明(よあ)けの〈否(ひ)〉・首(くび)をしめ交感(やさしさ)に裂(さ)ける 神(かみ)
〈平和(ちゃばん)〉の血祭(ちまつ)りに勃起(ぼっき)する・生(せい)の余暇(よか)
今回の句集も森山光章の健在ぶりを示す句集だが、俳句というよりも箴言に近い、と言ってもいいかもしれない。それくらい一句一句の意志の明らかな言語のあしらいという意味である。
[一念三阡]、全ては終わりの言之葉(・・・・・・・傍点あり)諾(ダー)!
[生死即涅槃]の現在(とき)、「狗殺し」の喜悦(・・)に痙(そ)る
[詩]とは、[落ちこぼれながら落とし前をつける]ことである
註・・詩人、平敏功氏の言葉である([]内の落ちこぼれながら・・・)。
後記に言う。「[一念に億劫の心勞を尽せば]、「魔」は改變し、「諸天」として守護するであろう(・・・・…傍点あり)。そこには、[死]のみがある」。
余談ながら森山光章の実兄は小説家、精神科医の帚木蓬生。
2014年9月4日木曜日
齋藤愼爾編『俳句殺人事件 巻頭句の女』・・・
齋藤愼爾編『俳句殺人事件』(2001年、光文社文庫)は12編のミステリーを収めた文庫本のアンソロジーだ。この文庫を、久しぶりに手に取ったのにはわけがある。
今や、図書館で読める本はすべて処分するように!という山の神の命令が昨年秋あたりから、下り続けているので、それを実現にするに、強制執行されているのである。
愚生のように蔵書らしい蔵書もなく、稀覯本など収集する趣味も持ち合わせていない輩ですら、こうだから、「豈」の事務局長・酒巻英一郎殿は、改築した書庫にも収まりきらず、ついに離れにも蔵書が侵食しつくして、こちらも山の神から、もう先も長くないので、すべてを片付けてからあの世とやらへ行ってほしいと言われているらしい。それでも、きっと隠れて数えきれないホンコちゃんを住まわせ続けているにちがいないのだが、さすが引導を渡しはじめたらしく、先ずは知人や若い俳人など目当てものがあったら、どうぞ家に来てお持ち帰り下さいという、あるホンコさんを望んでいる者にとっては、垂涎の行為に及んでいるらしい。
ともあれ、本文庫に収められているミステリーは12編、題名と作者を挙げておくと、
・「巻頭句の女」松本清張、・「句会の短冊」戸板康二、・「さかしまに」五木寛之、
・「紺の彼方」結城昌治、・「紙の扉」佐野洋、・「恋路吟行」泡坂妻夫、・「虻は一匹なり」笹沢佐保、
・「殺すとは知らで肥えたり」高橋義夫、・「旅の笈」新宮正春、・囀りのしばらく前後なかりけり」塚本邦雄、・「目をとぢて・・・・・」中井英夫、・「死の肖像」勝目梓。解説はもちろん齋藤愼爾。
その解説に、
この文庫にはユニークな仕掛け(トリック)がある。偶数ページ下段に横組で夏目漱石から対馬康子、黛まどかまでの「現代名句」が象嵌されている。読者は推理小説の珠玉を読了したあと、もう一度、名句味読の愉悦にひたれる。「推理小説」プラス「現代名句辞典」。それが本書だ。これは絶対に買いである。是非とも座右に置いていただきたい。
とある。愚生はこれまで、その言を守り、座右に置いてきたが、無念だが、どうやらお別れの時が来たようだ。いずれにしてあの世までは持って行けないのだから、お許しあれ。全部の句を挙げるのは無理があるから、「豈」同人(冥界同人をふくむ)の収録された俳句作品のみを以下に挙げておく。
女狐に賜はる位扇かな 筑紫磐井
国境が蛇の衣なら一列に 堀本 吟
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦
じゃんけんで負けて螢に生まれたの 池田澄子
春愁の血は睡れずに佇っている 大井恒行
2014年9月3日水曜日
和田悟朗「天上のたましい帯びて純夫来る」・・・
「儒艮」(JUGON)8号(2014.9)は、すごい!と言おう。
久保純夫の個人誌だから、何をしてもかまわないし、何をしようと、久保純夫の自由である。
しかし、今回は42ページの冊子のほぼすべてが久保純夫の作品と文章で覆われている。句は658句。さらに久保純夫が選ぶ林田紀音夫150句選と林田紀音夫論である。いつもの「儒艮」誌だと愚生は土井英一のエッセイを楽しみにして読むのだが、今号のようにほぼ久保純夫一色という方がすっきりしていて、愚生には好ましい(思い過ごしかも知れないが・・)。
久保純夫の658句は、「石垣島句日記2」と題されての約一週間ほどで書かれた作品だ。
最近の久保純夫の多作ぶりには、驚くほかはないが、どこからそうしたエネルギーが湧いて来るのか?一年に数句しか作らない怠惰な愚生とは大違いである。とりあえずは、以下にその一端の想いをみた。
病によって、自らの、あるいは身近な人の命にかかわる経験を重ねることは辛い。しかし、その中にも幾分かの光明が、俳句に視えることがある。その作者の透明な心情を垣間見るとき、「儒艮」の別の存在意義も想う。支えてくれている人は現世にのみ、いるわけではないと切に感じる。死と生が地続きと想いながら。
中庸を少し外れし松の芯 純夫
木蓮の開く加減の光かな
寺井谷子さんへ
立葵西から浄き聲届く
島に滞在中の久保純夫のパターンは、「朝ご飯、俳句。昼ご飯、俳句ときどきアーチェリー、たまにマウンテンバイクツアー。シャワー。夕ご飯、観劇?俳句、就寝」。だそうである。羨ましいと言えば羨ましい限りである。
今号の「儒艮」のもう一つ、すごい!のは和田悟朗特別作品61句である。
天上のたましい帯びて純夫来る 和田悟朗
この句には、当然ながら、久保純夫の師・鈴木六林男の「天上も淋しからんに燕子花」が踏まえられていよう。
夏至落暉瞬間に居りわだごろう 悟朗
睡りても日は暮れていずさるすべり
水中に水見えており水みえず
瞬間はあらゆる途中蓮ひらく
2014年9月1日月曜日
坪内稔典・中之島5編『池田澄子百句』(創風社)・・・
帯には、「表現されているままに読む/澄子を知らなくても読める 現代俳句の一翼を示す池田澄子の100句を鑑賞」とある。
澄子百句選の内容は、個々の鑑賞者の眼に任せておけばよい。それほど強く思っているわけではないが、最近の愚生は、鑑賞文はあまり読まないけれど、百句などつらつら眺めてその俳人の選句を楽しむことはある。
「表現されてるままに読む」という帯文も、少し皮肉なメッセージが込められているようだ。
つまり、現代俳句の多くが、一句に表現されていることを第一義に読むことをしていないのではないか、ということであろう。もちろん、その余は、読む側の勝手?。また句から想像するのも勝手?だが、少なくとも第一義に「表現されているままに読む」ことは大事だ、ということ。
ともあれ、下世話な愚生は、この本でどこが気に入ったかというと、表紙の少女の写真がまず池田澄子が体操少女だったころのものではないかということ。また口絵の写真には、プライベートな夫君との、あるいは三橋敏雄とのツーショットを嬉しそうな池田澄子の表情とともに掲載されていることだ。朗読する澄子の写真は澄ましていていい(愚生も一度、公演にお邪魔したことがある)。
インタビューでは、「夫の言葉の使い方は、既製品ぽくて、私は既成の言い方を先ず消して、自分の言葉を使おうとする、ということは、思います。例えば新聞の見出しなど既製品の言葉(夫は新聞の編集をして見出しを付けるのが上手だったようです)に、私には見える。私はそれを全部チャラにしてから書きたいんですよ」というのが、澄子の作句の原点にある。
「俳句を書く」と言っているところあたりには、「詠む」という作句意識とは少し違うものがみえた。
使い(つか)減(べ)りして可愛(かわい)いいのち養花天(ようかてん) 澄子
センニンソウ↑