2018年4月30日月曜日
谷さやん「黒葡萄濡れる憲法九条も」(『空にねる』)・・・
谷さやん俳句とエッセー『空にねる』(創風社)、帯文は坪内稔典。それには、
さやんさんの暮らしの中心に俳句生活がある。俳句を作り、吟行し、仲間と議論し、ときどき勉強する。(中略)失敗したり嫌なことがあっても、俳句生活が元気づけてくれるらしい。その証拠に、この本の俳句もエッセーもまさに淳熟している。
とあった。優雅といえばこれほど優雅な俳句生活もないが、エッセーのなかで、興味のありそうな俳人の名は、芝不器男、篠原鳳作、秋元不死男、三橋鷹女、三橋敏雄などのようだった。愚生からすれば、一般的ではないクセをもっている俳人たちである。
なかに愚生が最初に知った頃の東沙趙(英幸)を語った部分がある。
「愛大俳句会」から出発した東さんの句歴は、五十年。「三年浪人したもんだから、妹の方が先に大学を卒業した。一年も留年したしね」という驚きのエピソードを病室で話してくれた。なんだか嬉しくなった。俳句人生もまたゆったりとした歩みで、私を引っ張ってくれる。
〈アジビラを受け取る朝の底冷えに〉は、学生時代の安保闘争を背景とした東さんの俳句。〈少年が少年である夏の山〉のおおらかさ。〈ごみ箱に躓くバレンタインの日〉のトホホ感もいいなあ、と思う。
入院中の「言語」「手作業」「歩行」のリハビリのうち、言語の先生が一番に身を引いたと、誇らしげに言う。
近いうちに、また東社長の影が映る事務所を訪ねよう。更に磨きのかかった東流俳句論とダジャレを、心行くまで聞いていたい。(2016・10・10)
たぶん、東英幸は、もう元気になっていることだろうと思うが、愚生らは、どうやら、世間的に言うとリッパに晩年に属しているらしい。本復と自愛を祈るばかりだ。
ともあれ、本書よりいくつかの句を挙げておこう。
空にねる脚長蜂をおこしたか さやん
靴底の懐炉回送電車また
短日の本を出てくる手紙かな
冬青空すすみて「赤旗」をもらう
秋風や口の限りのあくびして
冬蜂もデモ行進も退路あり
よく晴れて船と蝶とがわかれ行く
本を読むとき退屈な金魚たち
撮影・葛城綾呂 ナガミヒナゲシ↑
2018年4月29日日曜日
久保田万太郎「時計屋の時計春の夜どれがほんと」(『どれがほんと?』より)・・
髙柳克弘『どれがほんと?-万太郎俳句の虚と実』(慶應義塾大学出版会)、久保田万太郎(1889~1963)は、劇団「文学座」を創設し、俳誌「春燈」を創刊するなど、大正・昭和の文壇・劇壇に一時代を築いた人物である。その万太郎俳句の特質とは、どのようなものであったか、それらをよく追及し明らかにして、新たに万太郎俳句の魅力を引き出していると思う。まとまった一本としてはかつて成瀬桜桃子『久保田万太郎の俳句』(ふらんす堂)があるが、それも万太郎の句と人を描いて、実に面白かった記憶がある。それとは別の魅力を髙柳克弘は開いてる。
また本著を執筆する契機を、ブログタイトルにした「時計屋」の句をあげ、「序論」で次のように記している。
この句を虚心坦懐にみれば、きわめてモダンで、時間という概念の不思議さに切り込んだ、普遍的な詩情の句といえるのではないだろうか。
下町に生まれ、その人情あふれる雰囲気を、衒いもなく書き取った俳人。-そんなレッテルを、剥がしたくなった。これが、本書を執筆するにあたっての動機である。
いまどき、万太郎の句を論じる人が出てきたのだ、しかも若い人に、と、愚生はすこし驚いた。また、「時計屋」の句については第一章の結びに、
この句を特徴づけるのは、まず第一に、口語文体であり、俳句にしばしば期待される風格や品格とは遠いこと。第二に、嬉戯する調子が強いということ。(中略)
だが、あらためて、この句は万太郎の自在さの成果であり、まぎれもない名句だと言っておきたい。虚実のはざまに言葉を紡いだ万太郎の、一つのことあげでもあり、絶対的に揺るがせないはずの時間すらが、春の夜の朧に呑まれて歪みだすという、「型破り」で奇妙な幻想の一句だからである。
と述べる。さらに「結論」では、現代俳人・鴇田智哉(1969年生)と比較して、
鴇田は、単純な現実を、複雑に書いている。そのために、中心的な価値観の見えない今という時代の気分に、肉迫している。
一方、万太郎は、複雑な現実を、単純に書いてる。そのために普遍性を持ち得ている。
鴇田の句は「実」から出発して「虚」に至っている。対照的に、万太郎の言葉は、「虚」から始まって「実」に着地している。そのように言い換えることも出来るだろう。
鴇田の世代にとっては、万太郎の句は、縁遠いものになっていくのだろうか。(中略)
はっきりしない空気感を書くという点で、冒頭に挙げた鴇田の句と、万太郎の句は、時代を超えて符号を果たす。(中略)
確かなものなど何一つないというシニカルな認識の果てに、不確かで感覚的な記憶こそが唯一の真実であることに辿りついたのは、逆説的ともいえよう。そして、不確かなものを不確かなものとして読み手に伝えるという、刃の上を渡るような危うい試みを表現することができたのは、引き出した定型の力と、自身の¨芸¨の力をあわせもった、久保田万太郎という俳人であるからこそ、はじめて可能だったのだ。
という。ともあれ、本書の中からいくつか万太郎の句を以下に・・
あきかぜのとかくの音をたてにけり 万太郎
春浅し空また月をそだてそめ
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
生豆腐いのちの冬をおもへとや
竹馬やいろはにほへとちりぢりに
がてんゆく暑さとなりぬきうりもみ
さびしさは木をつむあそびつもる雪
神田川祭の中をながれけり
短日やされどあかるき水の上
水中花咲かせしまひし淋しさよ
したゝかに水をうちたる夕ざくら
ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪
風鈴のつひにかなしき音つたへ
終戦
何もかもあつけらかんと西日中
髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)、1980年、静岡県浜松市生まれ。
撮影・葛城綾呂 ハルジョオン↑
2018年4月28日土曜日
石飛公也「薄闇に再びの華落椿」(「前田勝己 アート・花浪漫Ⅲ」より)・・・
前田勝己氏↑
前田勝己展「深雪アートフラワー/アート。花浪漫Ⅲ」、東京交通会館ギャラリー「パールルーム」(4月23日~28日)、本日最終日にやっとうかがうことができた。その見事さは、遊句会の仲間から知らされていたのだが、愚生の想像をはるかにしのいでいた。リアルを超えた美しさがあった。案内状に協賛・遊句会とあるが、それは、それぞれの花の題に、それぞれ句をつけさせていただいたことによる。「華やかに、麗しく、凛として。布花」とあるように、全ては布に彩色されて創造されている。すべての絵は紹介しきれないが、花に添えられた遊句会の一人一句を以下に挙げておこう。
山茶花や子規臥せし庭小さかり 渡辺呆人
薄闇に再びの華落椿 石飛公也
白木槿昼間の君ははしゃぎ過ぎ 山田浩明
地母神の乳房千尋や藤の花 石川耕治
花菖蒲が自慢もせずに咲いている 村上直樹
あじさいの海を見下ろす海のいろ 植松隆一郎
火の酒でカサブランカの蝶となり たなべきよみ
日に二便シャトルバス来る花野かな 加藤智也
鉄線花一生治らぬ浮気癖 石原友夫
向日葵や天日さんさんVACATiON 川島紘一
葛咲くや北のホテルも雨の中 武藤 幹
曼珠沙華此岸に映ろふ母の紅 橋本 明
残照に宝石のごと山葡萄 中山よしこ
幼子の笑顔手を振る実南天 春風亭昇吉
蓮の花ほのかや老人に少年に 大井恒行
撮影・葛城綾呂 ハゴロモジャスミン↑
2018年4月26日木曜日
大井恒行「栲(たく)よまた吹かれる風に吊り上ぐ椿」(首くくり栲象・庭劇場にて)・・
本日26日、15時、国立駅南口で書肆山田・鈴木一民氏ら5人と待ち合わせて、庭劇場に行き、栲(たく)さんに線香を上げ、献杯をした。久しぶりの国立駅はすっかり様変わりして改札口でそこから南口も北口も一緒になっていた。
庭劇場では、勝手知ったる何とかで、勝手に上がり込んで、想い出話や、忘れていたことを、改めて思い出したり・・・。その間も来客があったりして、部屋は7~8人にはなったであろうか。初めてそこで会う人たちの話を聞きながら、どんなに首くくり栲象に刺激をうけ、かつ改めて日々を生きようととするエネルギーを得ていたかが分かった。そこでは、たぶん見事に豊かな精神的な気脈が通じる場があったのだろう。
部屋の壁には公演チラシや写真などが無造作に貼られていたが、その中に、愚生の古い写真を発見した時は、流石に胸に来た。合掌。
以下にはアトランダムにその写真を付しておきたい。
パートナーだった黒沢美香と首くくり栲象の遺骨↑
首くくり栲象のパフォーマンスが行われた庭劇場・乙女椿の木↑
愚生とのツーショット・撮影日不明↑
新藤兼人シナリオ講座修了証書↑
タクさんの盟友だった・故風倉匠↑
首くくり栲象(くびくくり・たくぞう)、本名(古澤守)、群馬県安中市生まれ。肺癌にて死去。享年71。
撮影・葛城綾呂 ムスカリ↑
2018年4月25日水曜日
酒井弘司「天命という言葉ふと二月尽く」(「朱夏」138号)・・・
「朱夏」138号(朱夏俳句会)、「朱夏の俳句鑑賞」に、中上哲夫「金子兜太の精神ー『朱夏』137号を読む」の冒頭部分に、
社会性と土着性ー『金子兜太の100句を読む』の名著もある酒井弘司主宰にも「朱夏」の皆さんにも金子兜太の精神が脈々と流れているような気がするのだ。
とあって、「朱夏」の句の鑑賞に入っている。他に、酒井弘司「兜太俳句断章ー思い出すことなど」には、「海程」の初期の編集長であり、かつ金子兜太の在り様についても、傍に居た者でなければ、わからないだろう貴重な指摘がここかしこになされてる。例えば、
わたしは、俳誌「俳壇」(平成21年9月号)で「金子兜太100句」を選句、掲載したときにも「今は亡き皆子夫人の慧眼については、何度でも口をすっぱくして言いたい」とその功を書いた。熊谷の一戸建て、庭のある新居に入ることがなかったら、後半生のアニミズムを取り入れ産土の秩父へ思いを込めた作品も、存在の基本は土にあるということを主張することもなかったのではないか。
兜太先生の願望は、「今日の俳句」(光文社 昭和40年)の表紙に添えらえた「古池の『わび』よりダムの『感動』へ」というキャッチフレーズのように、現代的なマンションだった。
と記されている。たぶんそうに違いないと思う。そして、結びには、
霧の村石を投(ほ)うらば父母散らん 昭和37
かつて、こう書いた秩父の村に兜太先生は還られた。
この句をつぶさに見ていくと、故郷への母体憧憬の思いと、故郷を撃つ形姿とが二重写しに見え隠れしている。
人間探求派に連なる兜太先生は、今ごろ楸邨と褥を同じにしていることであろう。
同号より、兜太を偲ぶ句を少し挙げておこう。
春の山鬼かえりゆく朝の道 酒井弘司
兜太臥し春一番を遠ざける 鈴木淑子
水脈の果て兜太秩父の地に還る 村上 司
胸底にたった一点兜太痕 辻 升人
冬鵙や「戦よあるな」兜太の死 中岡昌太
雪の朝兜太何処の水脈の旅 和田義盛
2018年4月24日火曜日
野木桃花「火に仕へ水に仕へて昭和の日」(『飛鳥』)・・
野木桃花句集『飛鳥』(深夜叢書社)、著者「あとがき」に、
俳句結社「あすか」は創刊主宰名取思郷先生のお住まいに近い東京都北区の飛鳥山から命名されました。この句集は先師に捧げる思いから句集名を『飛鳥』と致しました。
とある。その思いもあってか飛鳥山を詠んだ句も多い。
料峭や松の樹影のあすか山 桃花
先師ふと脳裏に花の飛鳥山
はつなつの大地の鼓動飛鳥山
師の忌来る飛鳥の山の初桜
因みに、先師・名取思郷創刊の「あすか」は、今年4月号で、創刊55周年を迎えている。
句集の栞文は投げ込みで、齋藤愼爾「吉野幻視行ー芭蕉・野木桃花・前登志夫」と武良竜彦「漣の美学」である。まず、齋藤愼爾は、
芭蕉、桃花、登志夫の三作品に共通しているのは、「桜の森の満開の下」の「冷たい虚空がはりつめているばかり」の場所に、人間の「孤独」を凝視していることだろう。三人が見せる人間存在の切なさ、かなしさ、澄み切った美、虚無の極限。なかでも野木桃花氏のように満開の桜の、目も眩むような異界に分け入ることを、「花びらの扉が開いて」と具象化してみせた文学者はかつていただろうか。
と述べ、武良は、
(前略)この「一日」「一歩」が平穏な日常を育む平和の最重要元素である。平常心であることの「冴え」である。声高に反戦を叫ぶ沸騰型言語と精神はその対極にある。そこでは言葉が表層化し、命と暮らしの実感的実体と遊離して、空疎化するばかりである。平和の真の敵はそんなスローガン言語と精神である。
『飛鳥』に収録された野木桃花俳句は、そんな社会的な流通言語と荒廃した精神とは正反対の、太古より自然物の芯の辺りで育まれてきたような静謐な世界に満ちている。
と賛辞を惜しまない。ともあれ、以下に愚生好みの、いくつかの句を挙げさせていただこうと思う。
ちちよははよ冬の花火が見えますか
新涼や素肌になじむ母のもの
心身の眠りたりなき返り花
白線の内側に立つ初時雨
結界やしつらひ終えし流し雛
野木桃花(のぎ・とうか) 1946年、神奈川県生まれ。
2018年4月23日月曜日
川名つぎお「フロイトや死の本能は土を恋う」(「俳句界」5月号より)・・・
「俳句界」5月号(文學の森・4月25日発売)、の姜琪東の「編集後記」には、
ことし六月で創立15周年を迎える。これは奇跡だ。四月六日付けで林誠司編集長が退職。(中略)小生もこの機会に社長職を辞任、寺田敬子に譲った。
とあった。突然のことで少し驚いたが、愚生は、60歳から4年半、顧問として世話になった会社なので、いくばくかの感懐はある。在職の折り、堅めの企画は多く姜琪東から出されていた。後記に、毎月赤字続きと言いながら、「会社には経営資金はたっぷりある」とうらやましいことが書かれていたが、会社自体は姜琪東が健在であるかぎり大丈夫だろうと推測する。
とはいえ、いずこも世代交代の嵐が吹いているのは間違いなさそうである。
今月号の「特別作品21句」には、偶然だろうが「豈」同人2名が起用されている。もっとも川名つぎおは「頂点」代表、山﨑十生は「紫」主宰でもある。あと一人の和田華凛は、「諷詠」の若き主宰で期待の人と言ってよいのだろう。他にも田中陽が特別作品50句を寄せている。それらの句を以下に挙げておきたい。
さわやかに徴兵なし基地を賜わり 川名つぎお
宇宙と祭りは膨張している
限界地球をなお耕している
同時代のアウシュビィッツを出られない
これ以上ない後腐れつばくらめ 山﨑十生
もうゐない人ほど恋し青き踏む
竹皮を脱ぐに万全たる禊
青鮫忌とどのつまりの原発忌
たまきはる宇智野遥遥夏霞 和田華凛
大坂屋長兵衛冷酒父所望
夏蝶や甍の上の空の色
憲法変えて空母をつくる花が散る 田中 陽
爆弾が落ち蝉でない肉片樹の幹に
「ヒト」の檻に入って・出てかんがえる
天皇も焼跡世代 おわっていく
あと一つ、興味のあった記事は、大輪靖宏・坂口昌弘・角谷昌子の鼎談「現代評論の問題点」。評論とは何かについて、大輪「『俳句とは何か』は、研究を踏まないと出て来ない」、坂口「突き詰めれば結局は観想なんだと。作品の良さを説明する良い感想が良い批評だと思います」、角谷「私は評論を書く姿勢として村上護さんの現場主義を、現場取材を参考にしています。確かに文献だけでは人物像が見えていない」と、三者三様ながら、真っ当な在り様と指摘をしている。
2018年4月22日日曜日
植松隆一郎「弘前にジャズ喫茶あり遅桜」(第178回遊句会)・・・
先日4月19日(木)は第178回遊句会だったが、愚生はよんどころない事情があって出席できず、欠席投句をした。その句会報の便りに、「今、目黒あたりではツツジとサツキが一緒に咲いています」とあった。当日の兼題は「朧」「遅桜」「草餅」。以下に一人一句を挙げておこう。
不機嫌な右脳で見てる朧月 植松隆一郎
早足の春をとどめる遅桜 武藤 幹
草餅の強き緑や鄙(ひな)の色 石川耕治
草餅の笑くぼに溢(あふ)る小さき春 橋本 明
杵(きね)を染め臼(うす)を染めたるよもぎ餅 村上直樹
ふうわりと朧の月を抱きしめて 渡辺 保
私小説にハッピーエンド遅桜 たなべきよみ
特攻の機なく長らふ遅桜 川島紘一
遅桜湖面の富士に散り急ぎ 石飛公也
早喰いの癖が悲しやよもぎ餅 春風亭昇吉
待ったぁっていつもの手だろ遅桜 山田浩明
番外欠席投句・・・
妹(いも)に先越されしも今遅桜 林 佳子
振り向けば街は朧よ男坂 中山よしこ
ああそうか、取り残されて遅桜 原島なほみ
たこ焼屋出ていた辺り遅桜 加藤智也
双葉とて濡れたることもおぼろかな 大井恒行
次回は5月17日(木)、179回遊句会、兼題は「立夏」「走り梅雨」「母の日」と当季雑詠。
★閑話休題・・・
で、愚生はといえば、翌日4月20日(金)は「港」創刊30周年記念祝賀会、於*グランドプリンスホテル高輪に出かけた。久しぶりで多くの方々にお会いした。木遣り(日本火消し保存会)で幕が開き、副主宰・衣川次郎の開会の挨拶に続き、主宰・大牧広の挨拶、来賓祝辞、乾杯のための鏡割り(写真上)と続いた。中央に大牧広を囲んで、左から大久保白村、宮坂静生、大牧広、有馬朗人、高野ムツオ、中村和弘。
大牧広著『俳句の味方』(東京四季出版)↑
2018年4月21日土曜日
宮入聖「噴水とまりあらがねの鶴歩み出す」(「つぐみ」NO.177号より)・・
「つぐみ」2018.4月号、NO.177(俳句集団つぐみ)の「風のあんない(73)-わたしの好きな句ー」に関朱門が宮入聖の句について書いている。その句がブログタイトルにあげた「噴水とまり」の句である。そのエッセイの末尾近くに、
あくまでもフィクション。しかし、噴水の止まった世界の奥にあるものが何かを言い当てている。四十歳になりたての俳句初心者の私は、シュールレアリズムの世界へのあこがれもあり、いっぺんに魅了されてしまった。「本当っぽい嘘、嘘っぽい本当」が本質に迫ることを教えてくれた一句。
ほかに『聖母帖』より
蜀葵母があの世に懸けしもの
月の姦日の嬲や蓮枯れて後
もう一つ、葉書一枚に記されいる通信、山内将史の「宮入聖という俳句」60/2018年4月18日を以下に紹介しておきたい。それには、
涼しさの入墨を出る白狐かな 宮入聖『鐘馗沼』
名人の描いた動物が絵から抜け出るという話はよくある。宮入聖にも他に「襖絵を獅子が出てゆく死後の月(『千年』)がある。「死後の月」なんて書いてみたい時期が宮入聖にもあった。(中略)掲句は白い色とか血とかいった生々しい描写ではなく空想的な世界だろう。一陣の風のように入墨から白狐が抜け出てゆく。水墨画か、水墨画風のアニメーションのような味わいがある。
宮入聖にはいまだに隠れたファンがいるようである。
話題を「つぐみ」誌にもどして、同号には外山一機の連載「『歩行』の俳句史(3)ー飯田蛇笏の「歩く」、龍太の「歩く」」、鶴巻ちしろの連載「鶴巻ちしろの折文箱(32)」と興味深い論とエッセイが掲載されいる。
そういえば、宮入聖に『飯田蛇笏』の一本があった。
ともあれ、「つぐみ」同号よりいくつかの作品を挙げておこう。
まんさくや風のマントの透きとほり 司 雪絵
先生の死後と花粉とくしゃみです 谷 佳紀
兜太睡る秩父の里に繭こぼれ 寺口成美
巨星墜つ春一番を待たずして 津野丘陽
土に生れ土愛でし翁よ青鮫来たぞ 井上広美
撮影・葛城綾呂 ↑
2018年4月19日木曜日
川嶋健佑「金魚放つ水槽広すぎて悲し」(『Hello world』)・・・
川嶋健佑句集『Hello world』(私家版)、著者「あとがき」には、
ハローワールドでは、大学時代から会社を辞めるまでの約5年間の俳句をまとめた。大学時代、私は自分の文体を作り上げたいと言っていた。いま振り返ってみて自分の文体を得ることができたのだろうか。(中略)
とても悲しく荒野をただひとり歩いてゆくような作業だったと言いたいが、この表現は陳腐かも知れない。いまから表現の旅に出たい。
とあった。思えば愚生は二十代の初めころ、一句を書いたらこれを最後に俳句を止めようととばかり考えていた。実際に愚生は書きたくなるまで句作を中断した時期がある。ともかく川嶋健佑は「新たな表現の旅に出たい」という。つまり、これまでのものは捨て去って、新たな挑戦ということだろう。その覚悟を祝福したい。まさに誰にも紛れることのない自身の文体のために・・・。いくつかの句を以下に挙げておこう。
テヘという案山子アハンという案山子 健佑
メタファーでないハチミツをなめている
桜散る造幣局に君と僕
月面は風船ガムで行く夜長
向日葵へララ行けばキキ追いかける
また、同時に恵まれた誌は「つくえの部屋」第2号。川嶋健佑の個人誌だという。俳句甲子園のことや鬼貫青春俳句大賞のことなどが記事としてある。藤田亜未「俳句甲子園秘話」に、
「我々バンビ句会は次世代を担う俳句マンシップにのっとり心から俳句を楽しめるものよって結成される。(略)従来のいかなる俳句理念にも束縛されず、自由に句作に取り組みそれを鑑賞し、21世紀の俳句革新の礎となるべく精進することを旨とする」
とあった。心意気をよしとしよう。さらに、鬼貫青春俳句大賞にふれて、うにがわえりも「テニス選手によるバドミントン」では、
(前略)とにかくわたしは俳句によくある文語調の表現や、切れの概念、難しい季語になじむことができなかった。今は平成の世の中なのだ、口語で書けやと思う。「や」、「かな」なんて、字数の無駄じゃないかと思う。そして「われから」って何やねん。「相撲」に至っては、テレビで年中やっているのに季語としては秋になるのだという。「歳時記」つくった奴、出てこいや!と高田延彦のようなトーンでクレームをつけたくなる。(中略)鬼貫青春俳句大賞選考委員である坪内稔典氏は、そんなわたしの同賞受賞作を「楽観的で歯切れのよい口調が心地よい」と評した。つまるところ「おバカ」と紙一重なのだろうが、この坪内氏の評は私の作歌態度とも通じるところがあるように感じ、たいへんうれしく思った。
と記している。ともあれ、「つくえの部屋」第2号に掲載されている記事中の句からいくつかを以下に挙げておこう。
冬晴やアンテナ曲がり立つ襤褸屋 張沢碩
鳥居から吹く風を見る春の鹿 寒天
天高し直感が好きプリン好き 塩見惠介
将来を嘆く 流氷だからなに? 川嶋健佑
巨神団等 糞と哭びしが今吹雪くなり 八鍬爽風
春風みたいにしますねと美容師笑ふ 工藤玲音
花ひとひらふたひら君を忘れない 黛まどか
水温むイソジンのもわもわもわもわ うにがわえりも
撮影・葛城綾呂 ボタン↑
2018年4月17日火曜日
ふけとしこ「木の芽寒箸を入れれば濁るもの」(「ほたる通信Ⅱ」《68》)・・・
「ほたる通信Ⅱ」2018・4《68》は、ふけとしこが発行している一枚の葉書である。半分にふけとしこの句、あとの半分はエッセイ。今葉の題は「濁る」で6句が添えられ、エッセイには高野ムツオと坪内稔典の句を挙げてのもの。
以下のようにしるされている。
せりなずなごぎょうはこべら放射能 高野ムツオ
せりなずなごぎょうはこべら母縮む 坪内稔典
高野氏の句は先の東北大震災影響下の問題を書き止めたもの。草の名全てを仮名書きにした柔らかさにゆったりと読んできて、最後の「放射能」でドキンとさせられる。(中略)
かたや坪内作品の方は〈ほとけのざすずなすずしろ父ちびる〉と対になったもの。これで春の七草が揃う。(中略)二十数年前の作品である。当時、後に原発事故の問題が起きるとは誰も思いもしなかった。私達は人体に影響のない(ことになっている)空気の中で、人体に影響のない(はずの)物を食べて今日も過ごす。
句の出来としては、坪内稔典の句に軍配があがるだろう。なんと言っても母縮むにリアリティがある。それは多くの息子や娘が大人になって、母の老いを目の前で感じるときに抱く共通した感じ、抒情を表現しているからであろう。だがしかし、眼にはみえなくとも、逃れがたい「放射能」を座五に据えた高野ムツオの句の批評の眼差しも捨てがたい。それぞれ、いわば趣の違う、目指すところの違う句なのである。
ともあれ、以下に同通信の句を添えておこう(ブログタイトル以外の)。
初蝶の日を間違へたやうに来て としこ
四阿の隅に繭ある遠霞
野を焼いて法被の脇のほつれたる
にはとりの砂浴び長し夕永し
三月の橋にたむろの大鞄
撮影・葛城綾呂 竹の若葉↑
2018年4月16日月曜日
正岡子規「若鮎(わかあゆ)の二手になりて上りけり」(『日めくり子規・漱石』より)・・・
神野紗希『日めくり子規・漱石』(愛媛新聞社、1000円)、冒頭の「はじめにー子規・漱石と車座に」でこの本の成り立ちが記されている。
この本は、子規・漱石生誕150年の記念に、平成29年1月1日から12月31日までの1年間、「愛媛新聞」で連載した「ひめくり子規・漱石」をまとめたものである。子規と漱石、二人の俳句を中心に、柳原極堂や高浜虚子など、彼らを取り巻く俳人たちの句と毎日対話した。子規の声、漱石の声、にぎやかな句会の声が聞こえてくるようだ。新しい時代をみずみずしく生きた、彼らの声に耳を澄ませてみよう。きっと、十七音が語りかけてきてくれるはず。
車座の声の明るき蜜柑かな 紗希
従って1ページ2段組みの上下に組まれた句と解説を、どのページからでも読めばいいのだ。ブログタイトルに挙げた「若鮎(わかあゆ)」の句は、本日、4月16日のものだが、このページの上段には「『出合の渡し』。右重信川、左石手川」のキャプションが付けられた写真が掲載されている。その解説には、
春になると海から川をのぼってくる、若い小鮎たち。ある地点からは二手に分かれ、さらに川を溯(さかのぼ)る。前書きにある「石手川出合渡(であいのわたし)」とは、石手川と重信川の合流点。ここから鮎は、二つの川へ分かれたのだ。(中略)
この句を詠んだ明治25年、すでに病を得た子規は、己の行く末を見つめ、大学をやめて新聞記者となった。学友の進む道、子規の選んだ道。輝く若鮎に、自らの姿を重ねたか。
とある。ともあれ、以下に、本書に掲載されいる幾つかの一人一句を紹介しておこう。
詩を書かん君墨を磨(す)れ今朝の春 漱石(1月1日)
蒲団(ふとん)から首出せば年の明けて居る 子規(1月2日・以下日月略)
初暦好日三百六十五 村上霽月(せいげつ)
不生不滅明けて鴉(からす)の三羽かな 秋山真之(さねゆき)
のどかさは泥の中行く清水かな 藤野古白(こはく)
温泉に馬洗ひけり春の風 柳原極堂(きょくどう)
親の親も子の子もかくて田打(たうち)かな 安藤橡面坊(とちめんぼう)
螢火(ほたるび)にひかれてまよふ土手の道 清水則遠(のりとお)
夏服に汗のにじみや雲の形 原 抱琴(ほうきん)
とけやすきとはいひながら夏氷 大谷是空(ぜくう)
鵜(う)の濡れ羽(は)こぐや岩間の風薫(かぜかおる) 大原其戎(きじゅう)
二ッ来て互(たがい)に追はず秋のてふ 新海非風(にいのみひふう)
秋汐(あきしお)にやぶれガルタの女王かな 久保より江
句へしたしく萩(はぎ)の咲きそめてゐる 種田山頭火
秋雨に捨て猫けふも捨てかねし 坪内逍遥(しょうよう)
水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介
満州のいくさを語る巨燵(こたつ)哉 陸羯南(くがかつなん)
トビハゼは飛び廻(まわ)りつつ老ひにけり 南方熊楠
炬燵(こたつ)して或(ある)夜の壁の影法師 鈴木三重吉(みえきち)
無始無終山茶花(むしむじゅう)たゞに開落(かいらく)す
寒川鼠骨(さむかわそこつ)
神野紗希(こうの・さき) 1983年、松山市生まれ。
撮影・葛城綾呂 アガパンサス↑