2018年9月30日日曜日
妹尾健「コスモスのみだれのなかの昨日今日」(「コスモス通信」とりあえず6号より)・・
「コスモス通信」とりえあず6号(発行・妹尾健)、「大風とほうれん草」と題した文の中に妹尾健は、
千葉皓史氏の句集『郊外』の一句「大風やはふれん草が落ちてゐる」について前稿で「それはそれでいいのだが・・・」と言葉を濁してしまったのだが、いい、という意味は肯定しているといっているのではない。ぼくはこの句によって表現されたものをぼくなりに解説してみせただけである。
こう述べた後に、虚子の「川を見るバナナの皮は手より落ち」の句に言及しながら、
この句に関していえばそこに否定すべき「無」はどこにもない。強いていえばバナナの皮が滑り落ちたというだけだ。ここに法則を見るか、あるいはなんらかの因果関係をみるか。(中略)
その現実があるだけである。だからぼくらにその現実を開示して見せるのである。トリビアリズムというものはおそろしいものである。現実にそれが対象的な認知ではなくしてものとの一体感において表現しようとするものだからである。それはいいのだが、ぼくの内部の何かが叫ぶ。千葉氏の作品に感じたその内部の眼の不在である。その不在においてトリビアリズムは確固不動である。それは思想的には我が国の「近代」の尖端であると同時に「反近代」の尖端でもあるという絶好の位置をしめている。この「無」の核心性をつかもうとしたのが千葉氏の作品ではなかったかとぼくらは考えている。(中略)
ここにはそもそも問われるべき内部の眼というものが全く欠落している。それは対象とする世界との同一化であって異和ではない。むしろ異和感を排除しているともいえる世界なのである。ここまでくれば世界との異和感のなかで嘔吐した人物の実存などという問題はどこかへいってしまうだろう。(中略)
ぼくらはここまできてなお人間の内部にひそむ存在の根、いってみれば実存の眼というべきものに出会うのである。近代俳句から現代俳句の折り返し点はまさにここから発するのである。
最後に高屋窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」の句に、
これは主体即客体の世界に対するイマジネーションの世界であり、「無」を無化する試みといえるのである。あるのは世界に対するイマジネーションの世界であり、それをどう対象化していくという言語化の世界だったのである。(中略)
「現代性」とはあらゆる素材をイマジネーションすることであり、その現実を、その成り立ちを見つめ切ろうとすることにほかならない。これがいかに危険なことであり、人々の持つ俳句の観念に対する挑戦であったかということはいうまでもない。
愚生は、妹尾健の「ぼくら」という言い回しにいささか違和感(異和ではない)を覚えるゆえ、「ぼく」という一人称で、最後まで書き継いでもらいたいという希望がある。今後の論の展開を楽しみに待ちたい。
ともあれ、同時掲載の句からいくつか挙げておこう。
秋刀魚食う長き食卓夫と妻 健
秋あつし目の前にある探し物
野菊あるあたりに人を尋ね行く
雨また霧今朝鎌倉に人を見ず
マルクスを抱えて帰る秋の闇
男山霧の晴れ行く音を聞く
2018年9月29日土曜日
山﨑十生「もう誰もいない地球に望の月」(『続 現代の俳人像』)・・
『続 現代の俳人像』(東京四季出版)、前著『戦前戦中生れの 現代の俳人像』(平成24年刊)に続く第2弾の書。いずれも「俳句四季」〈今月の華〉に連載された俳人の代表句とエッセイと写真を収めた写真集である。続編の本書は、「俳句四季」平成19年1月号から30年7月号まで、173名を収載する。
ところで、ブログタイトルに挙げた山﨑十生「もう誰もいない地球に望の月」は、「この作者は長く『山﨑十死生』の名で俳句を発表していました。いつの頃からか、死の字を外し生のみになったのです〈誰もいない地球〉が見え始めたからではないか、それも一生ならぬ十生を生きるという覚悟です」(宇多喜代子)という、俳号「十死生」時代の句である。
ともあれ、収載された中から、以下に愚生好みの句を挙げておきたい。
岬からはじまる戦後秋つばめ 秋尾 敏
きよしこの夜の浴槽たたきける 浅沼 璞
知命なほ草莽の徒や麦青む 伊藤伊那男
金亀虫アッツに父を失ひき 榎本好宏
両翼は孤を愛しつつ鷹渡る 大高 翔
地下街の列柱五月来たりけり 奥坂まや
一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
蝶生まれまづ美しきものへ飛ぶ 河内静魚
貫くはわが道抒情南畦忌 河野 薫
また美術館行かうまた蝶と蝶 佐藤文香
絮蒲公英と戦争を乗せ自転せり すずき巴里
俳諧はほとんどことば少し虚子 筑紫磐井
天上にちちはは磯巾着ひらく 鳥居真里子
大空はきのふの虹を記憶せず 長谷川櫂
一枚の黄落を持ち帰る日よ 坊城俊樹
みとることなりはひとして冬の虹 細谷喨々
空冥の微塵となりて鷹渡る 正木ゆう子
日の丸のそよともできぬあたたかさ 横澤放川
されど雨されど暗綠 竹に降る 大井恒行
2018年9月28日金曜日
荒木かず枝「石となり遺る生物寒北斗」(『真埴』)・・
荒木かず枝第一句集『真埴』(邑書林)、序は小川軽舟、集名『真埴(まはに)』は、小川軽舟の命名による。それについて、
これは私の好きな次の句からとった。
鹿鳴くや埴に濁れる水たまり
ことさら想像力の飛躍を交えず。眼に見えるもの、耳に聞こえるものをそのまま詠んでいるが、それだけに荒木さんの心が大和の地に深く根を下ろしたことを感じさせる。このような句が増えれば増えるほど、荒木さんの作品世界は揺るぎないものになるに違いない。
埴とは粘土質の赤土である。真埴はその美称。
と記している。跋は、宮木登美江。それには、平成15年に「鷹新葉集」を受賞し、「湘子先生に、今年一番伸びた人と評された」としるされている。その中の句に、「月明のふくろふ骨を吐きにけり」の句があり、その句について、
月明のふくろふの句は、本当に見たのよとかず枝さんは強調する。夜行性で、梟なら、月夜に食った鼠の骨を吐くだろうと。
それはこの句を読んだ後に思うことで、とても思い及ばない場面だ。月明も、とても鮮やかだ。
と述べ、その句があったこともあリ、東大寺の森に飛翔するむささびを一緒に見に行くことになったという。顛末は本書をご覧あれ・・・。
ともあれ、いくつかの句を本集より挙げておこう。
走らねば消ゆる野焼きの炎かな かず枝
山焼や魑魅(すだま)おさへの塩を盛る
父よひまはりの種とりくれし父よ
途上忌の枯野に眼鏡拭ひけり
春暁の鳧鳴きわたる寝覚かな
水母浮く砂嘴の内なる海冥し
後朝やワイパーに霜払ひたる
甕棺に土中の時間冬の草
久延毘古(くえびこ)を抜き口笛のごとき風
白光の打掛の鶴冬座敷
荒木かず枝(あらき・かずえ)、1948年、京都市生まれ。
2018年9月27日木曜日
中上健次「あきゆきが聴くまぼろしの声夏ふよう」(『熊野概論』より)・・
谷口智行著『熊野概論』(書肆アルス)は、前著『熊野、魂の系譜』の第二弾である。前著の副題が「歌びとたちに描かれた熊野」で、いわば、多くを文学的なものに費やされていたが、本著は、民俗的なものを多くふくんでいるし、政治的な状況にも触れた、よりより深く犀利な内容となっている。もっとも愚生には手に余る内容であって、賢明な読者は本著に直接当たられるのが良い。5章に分かれているが、茨木和生主宰「運河」に連載された文章を多く収載している。Ⅱ章の「満蒙開拓団」のことなど、最近ではようやく少しづつ論じられることが多くなったものもある。高屋窓秋も新興俳句弾圧事件直前に満州に逃れて、検挙を免れているが、その時のことを本人はあまり語っていない(窓秋の生前、愚生もまだそこまで聞くという興味を持っていなかった。惜しかったと思う。その地で長女を亡くしている)。愚生は山室信一著『キメラー満州国の肖像』くらいしか読んでいないので、興味深く読ませてもらった。その他、書き下ろしの力作「神仏習合と廃仏毀釈」、「農」が目を引く。
また、日本の農業の効率を悪くしている原因の一つに農協の存在がある。葬儀場の運営管理にまで仕事が拡大され、否応なくそれらをこなしている農協職員には何の罪もないが、現在の農家の数に対し職員の数が多すぎる。これは全国的な傾向であり、国政レベルの課題である。
と、政治家が取り組まなければ解決しない課題でもあり、手厳しい。とはいえ、愚生は俳人のはしくれだから自然に俳句関係に興味が向く。「中上健次と俳句ー受け継がれゆく熊野大学俳句部」の項で、久しぶりに松根久雄の句に出会った(二昔ほど以前に、たしか書肆山田から句集を出していた)。整理が悪い上に、断捨離、散逸しているが、たしか坪内稔典「現代俳句」(南方社)に、拙い中上健次論を書いた覚えがある。
余計なことだが、今は昔、三鷹駅前の一階は本屋(第九書房)、上の二階は名曲喫茶だった第九茶房に中上健次はよく来ていた。40年以上も前のことだ。谷口智行も書いているが、中上健次は、じつに細かい文字でノートにびっしりと書く人だったという記憶がある。それにしても、これも大部の前著に、
筆者は紛れもなく、地域に浸り、かつて母系一族の食に与(あずか)った芋畑に小さな診療所を建て、地域医療に従事し、日々現実的でストレスフルな課題を背負う一生活者である。
と記している。結社誌「運河」の編集などもあり、多忙を極めているはずの著者が、前著刊行後4年にして、またしても大部の本著を上梓するなど、その膂力は並みではない。余談だが、本著は最近では珍しい造本(コデックス装幀・装幀者は間村俊一)で、糸でかがられた開きのすこぶる良い本(ノリがとれてバラバラにならない)である。
ともあれ、本著より、アトランダムにいくつかの句を挙げておきたい。
速玉の巫女ら並びて夕立見る 谷口智行
八月の路地に戻りしことせめて 松根久雄
蓬来の栄螺を取りて食せといふ 茨木和生
炎天を歩いて来たと褒めらるる 宇多喜代子
大根をひつさげ一日詣かな 藤本安騎生
撮影・葛城綾呂 何これ?コスモス↑
2018年9月26日水曜日
金子兜太「河より掛け声さすらいの終るその日」(「兜太」VOL.1より)・・
「兜太」VOL,1(藤原書店・年2回刊)、本日の午後は朝日ホールで「兜太」創刊イベントが行われたが、愚生は「豈」61号の出張校正と重なり、失礼した。たぶん盛会だったと確信している。その「兜太」創刊号の創刊のことばは、黒田杏子(編集主幹)、筑紫磐井(編集長).創刊に寄せては、編集顧問の瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、芳賀徹、藤原作弥。藤原作弥は、ほかにも、エッセイ「日銀と金子兜太」を書いている。さすがに金子兜太の勤務先であった日銀元副総裁だけあって、愚生の知らない兜太像が描かれていて、面白い。他の論も力作ぞろいで興味は尽きないが、愚生の思うに、筑紫磐井の「誰にも見えなかった近・現代俳句史ー虚子の時代と兜太の時代」は、およそ教科書で語られてきた近・現代俳句史(俳壇史)ではない筑紫磐井による卓見がいくつも披歴されている。しかも説得力のある納得できる内容であった。出色の論というべきだろう(贔屓でなくそう思う)。またコラムには、金子兜太の後を襲った朝日俳壇新選者の高山れおなが早速「火星と国土と野糞ー金子兜太三句鑑賞」を寄稿していて、これも彼の独特な眼差しが感じられるものであった。その結びを引用すると、
流離(さすら)うや太行山脈の嶺嶺(みね)に糞(まり)し
『金子兜太集』で初めて読んだ『詩経國風』にはいたく感銘したものの、じつはその後、筆者の中での評価は下がってしまったところがある。というのも、筆者自身が兜太及び一茶に倣い、詩経の俳句化を試み、その過程で兜太作品と詩経原典をつき合わせ、分析的に読んでしまったためだ。そうするとどうしても詩経の方が良いじゃないかということになってしまうのは仕方がない。そうした興覚めな分析の網にかからない傑作がこの太行山脈の句だ。詩経からの直接の詩句のとりこみがない一方で、体感的に捉えられた詩経的空間が、そのまま金子兜太的主人公のみごとな背景となって間然するところがない。兜太の数ある糞尿俳句の中でも、壮大悲壮の点で随一としてよいのではあるまいか。
と冷静に述べている。本書にはいろいろ引用したい論があるが(橋本榮治「詞に寄せてー井昔紅、そして兜太」、井口時男「三本のマッチー前衛・兜太」など)、ここでは筑紫磐井にととどめる。興味のある向きは直接本誌に当たられたい。一例を以下に挙げる。
最もその差がはっきり現れるのは前衛と伝統だ。従来の俳句史の見方は、近現代俳句を伝統俳句と前衛俳句(あるいは反伝統俳句)にわけ、「伝統派」の名の下に虚子の花鳥諷詠と草田男の人間探求派を括って対立させていたのであるが、(中略)
実はそうではない歴史観を提示した点である。反伝統の下に人間探求派も新興俳句も前衛俳句も括って、虚子の花鳥諷詠の伝統に対峙させてしまったということなのである。季語の有無のような枝葉末節の問題ではなく、表現態度(風詠対表現)で俳句史を描いてみようというまっとうな態度であった。
こうして、「『詞』の詩学と『辞』の詩学」による分析にすすみ、(辞の詩学)に高浜虚子、石田波郷、高柳重信、阿部完市を挙げ、一方(詞の詩学)に正岡子規、山口誓子、中村草田男、金子兜太を挙げているのである。そして、結論を、
ただ、兜太が虚子と違うのは、晩年に虚子の影響力がもはや俳壇や文芸の世界に全く及ばなかったのに対し、兜太はその最晩年に完全に復活したことである。それは他の文芸ジャンルからみても、伝統俳句が(芸だけは十分に持っても)良心を持たない偏狭な文学となっていると見なされていたのに対し、兜太のみは良心を持つ文学と考えられたからである。
と示している.。また、本文中に幾葉も挟まれたモノクロの市毛實の写真は見ごたえがあった。ともあれ、本誌より、アトランダムに歌句を拾って紹介しておこう。
湾曲し火傷し爆心地のマラソン『金子兜太句集』
春の日を兜太と竜太がのぼりゆく被曝十三年の長崎の坂 佐佐木幸綱
大花火金子兜太と名付けたり 下重暁子
花札(はな)を賭(う)つ畳にふくの燗ざまし 藤原作弥
兜太先生春を吐き尽して笑う 夏井いつき
撮影・葛城綾呂 風媒花↑
2018年9月25日火曜日
堀切克洋「コスモスの倒れしままといふことも」(『尺蠖の道』)・・
堀切克洋句集『尺蠖の道』(文學の森)、第8回北斗賞受賞の作品を基にした第一句集である。跋は伊藤伊那男、それには、
(前略)私にとっての集中の白眉は次の二句である。
ワインの名刻まれてある巣箱かな
シャンパンの函は柩に似て晩夏
ワインの運搬に使った木箱が形を変えて巣箱になる。ワイン名や産地の表示の焼印の残っている箱が命を育む巣箱に再生するという意外性のある着眼点が新鮮である。二句目も酒の箱なのだが、シャンパンの化粧箱を「柩」のようだと見立てた感覚は只事ではない。「晩夏」の季語の斡旋も見事である。パリ留学時代の俳句の面での成果である。フランスの文化や生活が身に付いた上で、根本のところでは俳句的表現を遵守しており、氏の座標軸は微動だにしていないところが心強い。
と賛辞を惜しまない。集名に因む句は、
尺蠖の道ひろびろと使ひけり 克洋
である。ともあれ、愚生好みのいくつかのを挙げておきたい。
さんずいのものことごとく凍返る
耕牛の一歩に変はる土の色
紅梅を絵筆の先にふくらます
空鋏して春光の満ちてきし
フランスのポストは黄色夏近し
手箒といふ文机の初掃除
蛇口みな運動会の空を向く
背の高き父に抱かれ雛の市
行先を食べはじめたる蝸牛
抱きあぐる子の重さにも去年今年
堀切克洋(ほりきり・かつひろ) 1983年、福島市生まれ。
☆閑話休題・・・
大谷清・津のだとも子 展 ↓
大谷清「孔雀シリーズ」↑
津のだとも子「ソラリスの空」↑
昨日は、大谷清・津のだとも子夫妻の個展(於:羅針盤・~9月29日、17時まで開催中)に出かけた。彼らが小淵沢に住まいを移してから、久しぶりの再会である。両人とも、俳人としては、今は無き「海程」において、阿部完市の薫陶を受け「現代定型詩の会」を運営してきた。聞けば土井英一が夕刻に関西より馳せ参ずると聞いたが、愚生は別件のために会えなかったが、お蔭て電話で話をすることができた(もし、彼に会えたとしたら、実に半世紀ぶり・・)。
2018年9月24日月曜日
川島紘一「天変(ぺん)に秋の思ひの調(ととの)はず」(第183回遊句会)・・・
過日、20日(木)は、第183回遊句会(於:たい乃家)だった。ブログタイトルにした句には、今年の天変地異への思いが込められ、連衆の共感を多く得て、圧倒的多数の票が入った。いわば時事的な句だが、愚生はかつて「俳句はなべて機会詩である」という主張を某雑誌に書いたことがあるが、機会詩として、時事的なことがらがたくまず詠み込まれていた。今月の兼題は、菊・露・秋思・当季雑詠。
ともあれ以下に一人一句を挙げておきたい。
主逝きて部屋の寒さや菊香る 前田勝己
当分は菊の移り香その鋏 村上直樹
クモの巣の美しきを知る朝の露 天畠良光
そり返る爺の眉毛や菊自慢 石原友夫
ウチナーの記憶(おもい)の菊に棘(とげ)なきや 山田浩明
背伸びして幼児別れの菊一輪 橋本 明
葉脈をすべって遊ぶ露の玉 中山よしこ
埴輪(はにわ)にも秋思の面(おもて)ケセラセラ たなべきよみ
菊三輪ガードレールの事故の跡 植松隆一郎
大小の空回転す露の玉 川島紘一
観音の指より落つる秋思かな 山口美々子
猫ひたひ白黄赤あり菊日和 石飛公也
白河の関越へ吹き初(そ)む秋の風 渡辺 保
ふるふると内緒話や風と露 原島なほみ
菊の花ただの花では済まぬ國 武藤 幹
白き菊母を包みし楠緒子のごと 横山眞弓
お地蔵の赤き頭巾や露の朝 石川耕治
一本の指に悲鳴の秋思かな 大井恒行
☆欠席投句者・・・
味無きもの味はふをかし秋思かな 林 桂子
鉢裏に迷い込んだり菊花展 春風亭昇吉
光陰や昭和平成秋思う 加藤哲也
次回の兼題は、秋晴れ・墓参・渡り鳥と当季雑詠。また、次回の句会当日10月18日は、遊句会創設者の孫太郎宗匠の祥月命日にあたるそうで、有縁の方の墓参もある。
2018年9月23日日曜日
飯田晴「落葉踏むあひたき鳥が空にゐて」(『ゆめの変り目』)・・
飯田晴第三句集『ゆめの変り目』(ふらんす堂)、集名に因む句は、
噴水にゆめの変り目ありにけり 晴
である。また、2010年から2018年春までの300句を収めたともあった。また、夫君の急逝には以下の句がある。
鳥居三郎急逝
秋風の野を脱ぎ捨てるやう逝けり
鳥居三郎とは、まだ鳥居三太と名乗っていた「童子」の時代に遡る。そんなに深い付き合いをしたわではないが、けっこう気が合っていたかもしれない。なかなかに男気のある人だった。愚生が前の会社を退職(偶然に定年退職日が、会社解散日だった)したのちに、文學の森「俳句界」で働き始めたころ、これも偶然に東京駅で出くわしたことがある。そのとき、すかさず月刊「俳句界」を「大井さんがいる間は定期購読する」と言って、早速、購読を申し込まれたことを思い出す。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
ひとへやにこぞりし手足はつむかし
水といふ水ひつぱつて氷けり
かぞへてはいけない曼珠沙華だらう
秋蝶をひかりの中に見失ふ
地下室の夏や展翅の蝶あをし
沼に来て冬のひぐれを促せり
木の雨に浮いて茸の肉白し
干潟夕づくいよいよ鳥のこゑ
鳴き龍をたんと鳴かせて春惜しむ
飯田晴(いいだ・はれ) 昭和29年、千葉県生まれ。
2018年9月22日土曜日
千原櫻子「秋天に写す静脈の走り方」(第144回「豈」東京句会)・・
本日は第144回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)、午前中の雨も上がり、夕刻には秋の陽射しが戻っていた。初参加の方も交えて、「豈」の句会には珍しく、ブログタイトルの句に点が集中した。愚生はもちろんいつものように低空飛行である。
次回は恒例の「豈」忘年句会だが、11月最終土曜日ではなく、都合により12月1日(土)(場所はインドール・白金高輪駅1分)に日時が変更されている。是非、多くの方々の参加をお待ちしている。
ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。
月に閃く一本の白曼珠沙華 吉田香津代
にも拘はわらず振りむいて見る蛇の穴 笠原タカ子
大夕焼振る手の先が暮れ残る 羽村美和子
蜩や深い齢の樹に語る 小湊こぎく
幻聴から秋蝶の逃れがたくあり 杉本青三郎
樹液さだまり夏はぼくと遠のき 川名つぎお
露ひとつ陰と陽とを含み落つ 山本敏倖
星の道ブラックビートの葡萄かな 早瀬恵子
辻占やころころのつぎもころころ 千原櫻子
顔認証拒むアイフォーン秋の朝 伊藤左知子
幽霊の寝言華麗なプロポーズ 小町 圭
大怒(だいど)いま祖国にありや平成尽く 大井恒行
2018年9月20日木曜日
津久井紀代「一身の混沌としてなめくじり」(『神のいたづら』)・・
津久井紀代第四句集『神のいたづら』(ふらんす堂)、集名は以下の句に因んでいる。
蝌蚪の紐神のいたづらかも知れず 紀代
集中、蝌蚪の句は他にもある。
蝌蚪の紐アインシュタインなら解けさう
蝌蚪の紐整理整頓してみたし
その蝌蚪の紐にからんで、著者「あとがき」には、
題名の「神のいたづら」は集中に収めてある蝌蚪の紐の不思議からの発想であるが、地球上のすべて、今私がここに存在することも、詩を書くこともすべて神のいたづらのように思えるのである。
とある。「天為」主宰・有馬研究会を立ち上げて6冊の本を刊行したり、あるいはまた大木あまり、村上喜代子、中西夕紀らとの勉強会は三十年を超えているという。なかなか積極的な人生を送られている様子である。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
あめんばう水輪いくつ作れば死
薔薇の文字まはりだすかも知れぬなり
鉦叩百叩いても父還らず
ふゆざくら息がこんなにさみしいとは
鶯餅泣き出さぬやうつまみけり
修司の忌即ち澤田和弥の忌
そういえば、若くして逝った澤田和弥は寺山修司にぞっこんだった。愚生は一度だけだったと思うが会ったことがある。その頃は、浜松あたりだったか、役所に勤務されていたのではなかろうか。有為の青年が逝くのは、ことさら無念に思ったことを覚えている。
銀漢や母よ・神よ・ラマ・サバクタニ
津久井紀代(つくい・きよ) 1943年、岡山県生まれ。
2018年9月18日火曜日
二ノ宮一雄「囀りや恋うても空は遥かなる」(『終の家』)・・
二ノ宮一雄第4句集『終の家』(文學の森)、集名に因む句は以下の句からであろう。
木の葉髪書に埋もれたる終の家 一雄
巻尾の句は、上掲の句と対をなす、
数へ日や万巻の書の深き黙
「深き黙」は、次の誕生日に関する句にも照応しているように思えてならない。
わが誕生は昭和十三年四月五日
深きかな生誕の日の春の闇
誕生する生こそは闇を深く背負っているのだ。著者「あとがき」に、
平成三十年四月五日、私は満八十歳となりました。本書の内容は、そこまでの十年間の、丸々七十代の私自身の生活体験に他なりません。しかし、前述したように単に吐露するのではなく、その体験の中から、七十代という人生の晩年を迎えた人間の、自然や人間に対する普遍的な姿を描き出したいという思いで、この一書を編みました。
と記されている。また、懇切を極める跋文は坂口昌弘「檸檬一果の宇宙」、それには、
(前略)句集の特徴の一つは光のポエジーである。
今までの句集にも光をテーマとした句が少なくない。詩人・歌人は、写生を突き詰めると最後は光りに出会う。写生という行為を可能にしているのは光である。光がないと物が見えない。森羅万象の物の影は光の姿である。物をよく見て写生するということは、光の働きをよく感じるということである。
作者はよく光の動き・働きを見ている。この世に生物の命が存在しているのはすべて光のおかげである。
とある。ともあれ、他にも、愚生の感銘した句の中から、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
さすりつつはは冬月へ送りたり
風鶴院波郷居士秋風裡
水うつてかの世の風のきたりけり
雪の暮飛礫となりて何の鳥
寒雷を夢より引きて覚めにけり
ふるさとは霧の底なる小盆地
草いきれ若き日の雲あふれゐて
二ノ宮一雄(にのみや・かずお) 昭和十三年、八王子市生まれ。
2018年9月17日月曜日
岡田一実「火蛾は火に裸婦は素描に影となる」(『記憶における沼とその他の在処』)・・
岡田一実第三句集『記憶における沼とその他の在処』(青磁社)、金原瑞人の帯の惹句に、
これは俳句の掟破りなのか、革命なのか、/それとも俳句について自分が最初から思い違いをしていたのか。
読み終えて、これまで遠のいていた足が/いきなり俳句の世界に引き寄せられるのを感じた。
とある。また、跋の青木亮人は、
蝋燭を灯しつ売りつ石蕗の花
蟻のぼる蕊を花弁の沿ふ乱れつ
最も伝えたい出来事を季節感や言外の余情に委ねるほど、氏の高揚感は弱くない。「灯しつ売りつ」「沿ふ乱れつ」は現場性の濃さを伝えるものとして吟味された措辞だ。
と記している。「あとがき」を読むと、本句集への協力者に、多くの謝辞が述べられているが、愚生に興味があるのは冒頭の部分である。それには、以下のように語られている。
これは確かにどこかで〈見た〉景色です。
現実に、想念に〈見た〉景色です。
記憶の景色は日々分裂し統合を欠きながらモザイク化します。
もはやモザイクになった記憶もまた愛おしい。
その果てしなさをお伝えできたらなら幸甚に存じます。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
暗渠より開渠へ落葉浮き届く 一実
灯さずに踊りて暗きとは違ふ
明るさに目の開く昼の姫始
玻璃越しに雨粒越しに虹立つよ
かたつむり焼けば水焼く音すなり
文様のあやしき亀を賀状に書く
★閑話休題・・・
本句集の版元の青磁社が発行している「青磁社通信」29の表紙に、巻頭7句として、「豈」同人の一枚看板の池田澄子の句が掲載されているので、一句を挙げておきたい。
名残惜しや送り火の灰うつくしや 澄子
先だって、夫君を亡くされた澄子姉さんの作品とあれば、なお、ひたすら胸に滲みてくる。
2018年9月15日土曜日
高尾早弓「海原へなだるる夜の鰯雲」(「星合集」Vol.12)・・
「星合集」Vol.12(俳句座☆シーズンズ)は、黛まどかが主宰した女性だけの俳句結社誌「東京ヘップバーン」が平成18(2006)年、100号をもって終刊したのちに、その仲間たちで引継ぎ、結成した。やはりこれも女性だけのグループの俳句誌である。一年に一度の刊行ペースらしい。ホームページによると、全国に5つの支部(東京・湘南・名古屋・三重・九州)があり、毎月の句会の他、黛まどかを招いての講演や、イベントも開催しているらしい。
今号は第12回シーズンズ俳句賞の発表で、静岡・緒方恵美が受賞している。選考方法は、2017年4月から翌年3月までの会員投句より、各白百合衆(いかにも、女性グループらしい命名だが)による選を受け、かつ、欠詠がなく、会の運営に積極的に関わる、将来指導者としての資質を審査して行われるという。愚生のような怠惰な者には、到底、候補などになりようのない厳しさである。以下、受賞作より、
路地裏に醤の匂ふ夕薄暑 緒方恵美
酔芙蓉今生の紅つくしけり
風よりも光に揺れて猫柳
雑誌は、瀟洒、シンプルであり好感この上ない印象である(健康な俳句精神を思う)。俳句作品、ミニエッセイ、英語俳句に写真、吟行報告など充実の誌面である。白百合衆・鈴蘭衆の一人一句を以下に挙げておこう。
月を得てよりの二声青葉木菟 菅野奈都子
弁天の紅の剥げたる余寒かな 松下美奈子
昇降機星の涼しきところまで 高尾早弓
手枕にガラスの風鈴ひとつ鳴る 石井優美子
目借時尖り続けるシャープペン 堤亜由美
黙禱や雨の真中に百日紅 降矢とも子
大川の風を百基の神輿かな 美智子
いかなご煮母の背筋の伸びにけり 山本ゆうこ
遺されし日記の余白青嵐 角田智子
2018年9月14日金曜日
久保純夫「水洟を舐めているなり国歌かな」(『HIDEAWAY』)・・
表紙写真は、水茄子で久保彩作↑
久保純夫第11句集『HIDEAWAY(ハイダウエイ)』(儒艮の会)、「ハイダ・ウエイ」とは隠れ場所のことらしい。「あとがき」には、「ある時期、条件が揃えば(・・・・・・)ホテルに籠って俳句を書いていた」とある。また、
私のお気に入りはバリ。そのホテルの敷地は広く、椰子の林もあった。芝生が敷き詰められ、デッキチェアも適当な間隔で、そこかしこに置かれていた。転寝と句作を繰り返していたその椅子がハイダ・ウェイのひとつであったといえよう。またレストランやバーの片隅で眼前の光景に身を浸しながら、五官を自在にする方法もここで獲得した。もう少し言えば、その光景に直面している五感、手にしている歳時記のなかの言葉、これまで蓄積してきたものやことの記憶。それらが三位一体となる情況こそが、私の中のハイダ・ウェイであった。
そういえば、亡くなった阿部鬼九男もバリが好きだった。何度もたずね、時には一ヶ月以上も滞在した。料理が好きだった彼は、現地の人と一緒に台所に立つと、誰でも気に入られ、仲良くなれる、とも言っていた。日本のカップ麺は特に人気だったとも言って、お土産にしていた。愚生の娘にと、ガムランに使う竹製の楽器をいただいたこともあった。もっとも、阿部鬼九男はバリの舞踊に、より魅せられていたフシがある。
話を元に戻すと、本句集は、久保純夫の個人誌「儒艮」創刊号(2013年5月)から25号(2018年8月)までの掲載した作品からの精選とあり、この間の久保純夫の多作ぶりかして、数千句のなから、ほぼ400句ほどの厳選にもかかわらず、「儒艮」に掲載されていた句と変わる事のない句のレベルで、本句集がそれらからの、改めての精選といわれても、少し困る感じがした。
ただ、ブログタイトルに挙げた「水洟を舐めているなり国歌かな」は、同じ国歌を詠んでも、高屋窓秋「花の悲歌つひに国歌を奏でをり」の句と比すと、国歌に対する久保純夫と高屋窓秋の違い、思考の距離の違いが浮かび上がって興味深く思った。かつて、久保純夫は「水際に兵器性器の夥し」「湯豆腐の真ん中にある国家かな」など、言葉の密度の濃い作品もあり、その思考と面影を残していたのが「水洟の」の句であった。その密度が薄くなっているのは、多作によるものか、年令による(円熟?)ものであるかは、いまのところ、愚生には不明である。あるいは、少し無残な美しい光景を「その五感それぞれ、美味しいと感じるものが存在すれば、それこそ至高の経験」(「あとがき」)と言ってみせているのかもしれない。本集の各章は、滞在したホテル名が20、句も各20ほどの収載で構成されている。
ともあれ、久保純夫には、昔からこだわりの言葉がいくつかある。そうした片鱗をうかがわせる傾向の句を、集中より幾つか挙げておきたい。
アイムゲイ鹿尾菜の好きな人といて 純夫
ちあきなおみから出てくる鹿尾菜
鹿尾菜から紛れ込みたる縁起かな
撫でてから乳首を抓む分葱かな
落ちている乳首を拾い潮干狩
不貞寝する乳首のいくつ油蟲
また、他の句を少し挙げておこう。
葱坊主地上の鬱を占めており
文身(いれずみ)の上で尺蠖遊びけり
いつまでどこまでいつからどこから冬木
尽くされし手足を厭う霜柱
久保純夫(くぼ・すみお)1949年、大阪府生まれ。
2018年9月11日火曜日
白戸麻奈「ダリア咲き明日を白紙にもどしたる」(『東京(バビロン)の地下鉄』)・・
白戸麻奈第一句集『東京(バビロン)の地下鉄』(ふらんす堂)、序文は山﨑十生。それには、
このシリーズに、どのような俳人が加わっているのか知る由もないが、私が唯一声を大にして言えるのは、白戸麻奈の句集は、本シリーズ参加の他の句集とは異質と云うことである。(中略)
オンリーワンの詩を、世界で一番短い詩形式である俳句で表現することに白戸麻奈は身を削っているのである。俳句はたった十七音であるけれども、言語宇宙を構築するには、これ以上ないエネルギーを内蔵している形式である。言葉が長くなればなるほど、反比例して減ってゆくのである。そういう矛盾が、俳句の核であり、諧謔を生み出すのに適しているのである。
と、白戸麻奈の句業が、他の誰にも紛れることがない、ということに太鼓判を押している。著者「あとがき」にもその片鱗は伺える。その冒頭を、
家には、体長一・五メートルで翼のある虹色のネズミがいます。
嘘です。冗談です。ただ、この広い大きな宇宙には、そうした生き物が存在するかも知れません。
と書きだしている。山﨑十生も序のなかで触れているが、第3章「東京(バビロン)のネズミ達」の、「ネズミ」をすべての句に詠み込んでみせた106句は圧巻で、先年、松下カロが句集全体を白鳥の句で覆いつくした方法に似て「どの『ネズミ』も作者の分身とか化身であるよかのようである。『ネズミ』に固執することで自らを慰撫している。」(同序文)とも思えるのである。
ともあれ、集中の幾つかの句を以下に挙げておきたい。
新涼が鏡のようにやって来る 麻奈
白桃や触れなば少年血がにじむ
白鳥をギュッと小さくしてみたい
マネキンの陽炎に濡れ並び立つ
バイオリンチェロコントラバス轡虫
山笑うすべてのネズミ笑ってる
月光に跳ねるネズミに跳ねる鮎
ネズミらとつくつく法師の好む木だ
ぼんやりと名の木の散るを見るネズミ
名もしらぬ野菊と名前なきネズミ
白戸麻奈(しらと・まな) 1969年、東京生まれ。
2018年9月9日日曜日
冬野虹「西の空くたくたすみれひきだせぬ」(「むしめがね」NO.4)・・・
四ッ谷龍氏↑
鎌倉ミルクホール(鎌倉駅より徒歩3分)↑
秋の良い天気になったので、思い切って冬野虹素描展〈於:ミルクホール鎌倉2Fギャラリー、9月8日(土)~9月17日(月)〉を訪ねた。久しぶりに四ツ谷龍にも会えた。冬野虹の素描の実物がじつに繊細な線で描かれているのに驚いた。案内にいただいたその葉書にも、その線の在り様は伺えるが、その実物の比ではない。四ツ谷龍は、印刷では、どうしてもその繊細さは出ないといっていた。
四ツ谷龍と亡くなった冬野虹は二人誌とでもいうべき「むしめがね」を発行していた。その「むしめがね」に表紙やカットに使用された素描にも出会えた。四ッ谷龍曰く、整理しきれていないが500点近くはあるという。
たまたま、手元に引き出した「むしめがね」4号(平成元年9月)の表紙に描かれた絵は、ミルクホールの一階の壁にかかっていた。そこで、愚生は昼食にカレーライスに紅茶を注文した(美味だった)。そのミルクホールは、かつて鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」の映画のロケが行われた店だということであった。
その「むしめがね」NO、4の特集は「80年代作家の課題」と「映画・美術・音楽エッセイ」だったが、冬野虹は「橇にのって」と題して60句(平成1月~6月)を発表している。その中から、当時、愚生が印を付けていた句を以下に記しておこう。
満月や地に粘りつくオートバイ 虹
慈悲心鳥十一十一(じゅういちじゅういち)ポテトかな
光州にもっとも遠く蟬きしみ
ふきのたうたらんとむらさき袴干す
死にいそぐ金色鯉よおまへとただよふ
ゆふやみは鉛のやうにきっちり鳩
伊勢の風橋の途中からどきどき
ブロッコリー言葉の釦だいじやうぶ
同号の四ッ谷龍の句(題は「緑のタオル」)も一句挙げたい。
大時計の下ぐにゃぐにゃの汽車となる 龍
冬野虹(ふゆの・にじ) 1943年1月1日~2002年2月11日。大阪生まれ、享年59。
2018年9月8日土曜日
池田瑠那「葉桜や鋲に閉ぢたる検死創」(『金輪際』)・・
池田瑠那第一句集『金輪際』(ふらんす堂)、集名に因む句は、
花散るや金輪際のそこひまで 瑠那
である。著者「あとがき」には、
金輪とは仏教的宇宙観において、我々が住まう大地の奥底にある黄金の輪のこと、〈金輪際のそこひ〉とはその金輪の最下端、即ち世の果てを意味します。風にきらめき、降りしきる眼前の花びらは、必ずや遥かな世の果て、人智を超越した境地へも届くことだろうという思いで詠んだ句です。
とある。序文は小澤實、ブログタイトルに挙げた句「葉桜や鋲に閉ぢたる検死創」について、
正視することができないような場面だが、しっかりと見開いて描いている。亡夫の最後の像をしかと俳句に刻みきっている。それもこの場面でもあくまでも非情に「もの」としての描写に徹しているのに、威儀を正さざるをえない。
と述べられている。池田瑠那のこうした句のなかにあって意外に酒に関する句が多いのは、アルコールの佳き愛飲者だなと思い、それも楽しそうで微笑ましい。
立飲に麦酒干したり明日も佳き日
注ぎくれてギネス麦酒や泡みつしり
ビアグラスGUINNESSの文字の白映ゆる
白耳義(ベルギー)麦酒壜底酵母の層
月光や火酒熱しゆく樽の内
カルヴァドスかをり深きを寝酒とす
万緑や球場に酌みハイボール
祭酒アルミのマグに注ぎ呉るる
随分以前のことになるが、池田瑠那と愚生は一度だけ、筑紫磐井が興行した「題詠句会」で句座を共にしたことがあるように思う(記憶違いであったら許されよ)。どんな句を選び、どんな句を出したかさえも忘れてしまったが、あらかじめ、筑紫磐井の用意した台本があって、虚子や東洋城の役を振り当てられて句評を言うという趣向で、なかなか有意義な句会だったように思う。
ともあれ、集中より、いくつか愚生好みの句を挙げておこう。
夕焼より戦地はとほしモバイル閉づ
春月にししむらの色ありにけり
葉桜に振れて放射能測定器(ガイガーカウンター)
ごきぶりの死してむらさきびかりかな
刻々水漬く地球にわれら暑くをり
ドリルに解(ばら)す選挙看板草いきれ
池田瑠那(いけだ・るな) 1976(昭和51)年生まれ。
2018年9月6日木曜日
夏木久「ブラスバンド雨に濡れをり星条旗」(『風典』)・・
夏木久俳句風曲集『風典』(風詠社)、夏木久には、これまでにも、私家版でごく少部数のパソコン入力による手作りの句集が二冊ある(『神器に薔薇を』『笠東クロニクル』、いずれも俳名をもじった書肆「夏気球舎」刊)。その意味では、本句集は第三句集にあたるのだが、市販される句集としては第一句集ということになろう。いずれ多作の人で、様々に、句に工夫を凝らす人だから、今回の句集『風典』もそれにたがわず、まず、その集名に「俳句風曲集」などと気取っているところがニクイところだ。夏木久は今のところ新味の追求に余念がないが、いずれオーソドックスな有季定型の見事な一句をなすのではないかと、ひそかに期待もしているのである。
本風曲集扉ウラには、Natsuki Q とあり、
-詩は音楽にならなかった言葉であり、
音楽は言葉にならなかった詩であるー (ヘルマン・ヘッセ)
とあり、奥付前のページには、
ー説明しなくてはそれがわからんというのは、
どれだけ説明してもわからんということだー
(村上春樹「1Q84内登場人物科白)
と、後のほうは、まるで虚子がつぶやきそうな科白が献詞されている。あるいはまた冒頭の見開き2ページ「前Q-早口のPrelude 風ー9句の下の文字揃えは、絵画でいうΛ形になり、最終ページの見開きページ「後Q-自惚れのEnkore 風ー」の9句では、逆に下の文字揃えはV字形である(たぶんそうした遊びを入れているのだと思う)。
こうしたところは虚子が「明治三十六年の俳句界」で碧梧桐について叙した「一句一句読過するに連れて作者得意の技巧を各句の上に弄して一句も平凡ならしめざらんとする工夫は充分に認識することが出来た。単に文字の斡旋上の技巧のみでは無い新しい材料を揃へて来て人の耳目を新たにするといふ得意の技倆も認識する事が出来た」ということに似ていなくもない。
愚生は夏木久の応募作品を、第3回攝津幸彦記念賞(2016年、大井恒行奨励賞)をもって顕彰したこともある。「豈」の有為の同人である。「あとがき」には、彼のマニフェストが以下のように記されている。
絵や音楽と違って、言葉はその映像や事象・状況をそれとして捉えた瞬間から枯れ始める。その枯れを少しでも遅くし、生き生きとした時間(時間が存在するものとして)の表情として留めたい。そんな思いを、詩・特に俳句(日本短詩)は叶えるのではないかと秘かに、痛切に信じる。
ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい(1000句ほども句があるので、各小題となった句だけでも26句挙げねばならないほどである)。
風曲る角に手洗ふ水の暮 久
長持を開けて前世の花衣
春ゆけり船中泊は漂泊に
海底より四輪駆動の乳母車
潰したるペットボトルの中に海
昨日今日明日案山子は「The sound of silence」
ポルとガルアリスとテレス栗と栗鼠
洗脳も夢の暴走止められず
水を汲む手児奈は風を傍らに
青薔薇を咥へ窓辺に真夜の鳥
くれぐれもくれてもろうかはしつてはならぬ
2018年9月4日火曜日
成澤ようこ「なんでなぜ問ふる子の目に入道雲」(第二回「ひらくかい」)・・
「本日は、第二回「ひらくかい」(於:府中市市民活動センター6F会議室)が行われた。台風21号が四国に上陸し、近畿地方を通過したあと北陸の沖合を北上中あたりに、「ひらくかい」は終り、愚生の乗った帰途のバスは途中、銀杏通り農工大農園のあたりで巨木が倒れ、道路上を蔽い、合わせて電線を切ったために、愚生の乗っていたバスの前を走っていたバスから、運行不能となった。そのうち、パトカーなどがやってきて、付近を通行止めにし、愚生はバスを降りて家まで歩くことになった。雨は降っていなかったが、強風が吹き荒れていた。青梅の鈴木純一や中西ひろ美は無事帰りついたかどうか、気にかかったが、JRが不通になった場合の策も事前に練っていたようだから、大丈夫だったろうと勝手に思い込んだ(愚生が家にたどり着いた頃、青梅線は止まっていると娘たちが言っていた)。
今回の句会は逆選を一句入れることにして行われた。いつも思うのだが、選ばれた句で、しかも良いと思われる句に、往々にして逆の選(✖)の点も入るものである。
ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
二枚めより飴なめて秋思の手紙 中西ひろ美
ゴム草履端に寄せられ夏の果て 武藤 幹
送り火のL・E・Dや心太 大熊秀夫
夕立や片下駄の子がかけてくる 成澤ようこ
うぶ衣の雲にくるまる朝の月 渡辺信明
ゆるんだる緒しめなほす残暑かな 鈴木純一
月山に月里に妻子の旅双六 救仁郷由美子
針千本の体温冷える明日は満月 大井恒行
以下は、逆選ありの句・・・
例えば、タカスナハチトリヲマツルヘシタ
鈴木純一↑
送り火のL・E・Dや心太 大熊秀夫
夕立や片下駄の子がけてくる 成澤ようこ
まことに遺憾でありますの鯖雲 中西ひろ美
丹生(にう)の寺ほとりは稲の花ざかり 渡辺信明
うぶ衣の雲にくるまる朝の月 〃
心太お前のような友がいて 武藤 幹