2022年7月29日金曜日

武藤幹「二階から素足が降りて来る夕餉」(第39回「ことごと句会」)・・・

 


 第39回(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2022年7月16日・土・付け)。雑詠3句+兼題「抱」1句。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


   風にまだ重さの残る梅雨の明け       武藤 幹

   戻り梅雨出せぬ手紙の二つ三つ       渡邊樹音

   熱帯夜魑魅魍魎を抱いている        江良純雄

   舟虫の緊張走る岩の上           杦森松一

   忍冬一夜一世(ひとよひとよ)を並び割く  金田一剛

   鬼灯の抱いて抱いてと種百個       らふ亜沙弥

   夏雲を抱く蒼穹へマスク擲げ        渡辺信子

   豈図らんや抱擁など宵の待草        照井三余

   朱夏の天極まる青のなかりけり       大井恒行 


【寸評】・・

・「二階から素足が降りて・・」ー素足が着眼点。日常生活が美しく詠まれている(樹音)。ー素足と夕餉の生活感に色気を感じさせます(松一)。鈴木鷹夫に「二階より下りくる素足桜鍋」があるが、鷹夫句の季語は桜鍋、幹氏の句の季語は素足である(失名氏)。

・「風にまだ・・」ー今年の梅雨は、はっきりしませんでしたネ・・(三余)。

・「戻り梅雨・・」ー季節の逡巡と決められていない心は重なるが、「二つ三つ」の強調の味を評価(純雄)。

・「熱帯夜・・」ー発想自体は普通だが、それでも《言い得て妙》である!熱帯夜そのものだ!!(幹)。

・「舟虫の・・」ー次の瞬間、一斉に走り出す、その直前の感じが活写されている(信子)。

・「忍冬・・」ー「忍冬」すいかずら、にんとう、の一点に焦点を詠む力強さは不動(三余)。

・「鬼灯の・・」ー俳句におけるリフレインの効果。「忍冬・・」の句はリフレイン?(剛)。

・「夏雲を・・」ー「マスク擲げ」は、美しくはないが、蒼穹に免じて・・・(恒行)。

・「豈図らんや・・」ーどうしてそんなことが予測できるだろうか?宵の待草は哀しかるべし(恒行)。

・「朱夏の天・・」ー朱夏に極まる青が無いなんて、さすが・・・(失名氏)。



★閑話休題・・福島菊次郎「みんな戦争なんて始まらないって、頭のどこかでそう思ってるだろ。でも、もう始まるよ。」(那須圭子『福島菊次郎 あざなえる記憶』より)・・・


  那須圭子『福島菊次郎 あざなえる記憶』(かもがわ出版)、そのエピローグの中に、

 

 福島さんが防衛庁を欺いて自衛隊と兵器産業の内側を潜入取材した直後、暴漢に襲われて鼻を折られた話を聞いたとき、私は福島さんに尋ねた。

「なぜそこまでして国と闘い続けるのですか?こんなに長い間、福島さんにそうさせるものは何ですか?」

 すると、福島さんはこう答えた。

「僕のは私怨なの。政治的にどうとかっていうんじゃなくて、ごく私的な怨念。ヒロヒトとこの国に対するさ」

 とあった。また、プロローグの中には、


 福島さんは、被爆者、学生運動、自衛隊、兵器産業、ウーマンリブなどとともに、成田闘争の取材では三里塚の農民たちを、そして水俣病の取材では患者となった漁師と家族を撮り、その写真を発表することで彼らの戦力になろうとした。九十四歳で亡くなるまで日本という国家の嘘(うそ)を告発し続けた、その力は何だったのか。福島さん自身の口から返ってきた答えは、「国家(くに)」への私怨(しえん)という言葉だった。重要なキーワードだが、それと表裏一体ともいえる国への温かな思い、言い換えれば「故郷(くに)」への思慕のようなものが、福島さんの報道写真家としての活動を支え続けたのではなかったか。私にはそんな気がしてならない。


 とも記されていた。愚生は、かなり以前になるが、確か横浜の新聞博物館、また、府中の写真展に出かけたことがある。愚生と同じ山口県生まれ、というので、わけもない親近感があったように思う。


 ・那須圭子(なす・けいこ) 1960年、東京生まれ。フリージャーナリスト、大学卒業御に山口に移り住み、報道写真家。福島菊次郎からバトンを渡される形で中国電力・上関原発反対運動の撮影を続ける。

 ・福島菊次郎(ふくsま・きくじろう) 1921年山口県下松市生まれ、本名菊治郎。2015年すべてのネガと全作品の権利を共同通信イメージスに託す。9月、愛娘に看取られ永眠。享年94。



    撮影・鈴木純一「萎んでもオシロイバナはちょっと紅」↑

2022年7月28日木曜日

工藤進「戦塵も混じりてゐたる霾ぐもり」(『羽化』)・・・


  工藤進第二句集『羽化』(飯塚書店)、跋は、中尾公彦「句集『羽化』に寄せて」、その中に、


   生も死もこの樹と決めて蟬の羽化

 Ⅲ章ほ句でタイトル句である。くぢら創刊後の作品で、氏の力強い息遣いや覚悟だ感じられる。俳句指導、周年行事、吟行計画等々多岐に亘る結社運営と氏の詩の飛翔に多忙な片鱗も窺える。その過程での本質に肉迫する様な自己意識の改革も見られる。(夢高く血潮吹き上ぐくぢらかな)の高揚感、(鷹匠の拳を鷹の地軸とす)の透徹した心意気、(白雨浴ぶ身の錆剥がれ落つるまで)の自戒と自愛、(一誌持ち一志つらぬく天狼星)の情熱とエネルギー、(白地着てこころの着てんどこに置く)の精気と心情の揺れ等の葛藤も見える。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


 (前略)未曽有の天変地異、東日本大震災から今年は十一年が経過し今なおその爪痕が深い。また三年前よりコロナ感染症のパンデミックに世界中が苛まされている。この様な困難な状況に出会う度、命とは、生きるとは、戦争とは、俳句とは、日々考えさせられました。そして改めてこの震災や疫病に負けず屈せず、俳句の存在意義を痛感しました。句集を編むのに纏めた句群は色褪せて見える事も多々ありましたが、その時代を己なりに懸命に生きた証と納得いています。


 ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  朧夜のフレスコ画より櫂の音       進

  生きて知る水の重さや原爆忌

  朝日といふ光の先へ接木せり

  蟬声の渦に底なし原爆忌

  山の日の鳥語が応ふ鳥語かな

  天水にひと世さすらふかたつむり

  十年の被爆の海に雁供養

  惑星へ電波を放つかたつむり

  水の譜の楽となりゆく春の川

  遺骨無き人なほ探す桜東風


 工藤進(くどう・すすむ) 1953年、北海道室蘭市生まれ。



    撮影・中西ひろ美「日に灼けた七夕なれど秋の季語」↑

2022年7月26日火曜日

高山れおな「駅ごとに妻佇(た)つてゐる旱(ひでり)かな」(「NHK俳句」8月号より)・・

          

 

  高山れおな「わたしの第一句集『ウルトラ』」(「NHK俳句」8月号)での冒頭と結びに、


 三十歳で第一句集を出して数年後、『現代俳句一〇〇人二〇句』というアンソロジーに参加した。作句信条を求められたから、〈和歌に師匠なし、只(ただ)旧歌を以(もつ)て師と為(な)す〉という藤原定家の言葉を掲げておいた。別に格好をつけたわけではなく(いや、格好もつけているが)、事実そう思っていたし、今もそれは変わらない。つまり攝津幸彦は私の師ではないけれど、彼のグループである「豈(あに)」に加わったことは私にとってはやり決定的な選択だったようだ。(中略)

 むしろ没後にこそ、攝津の句風の摂取に意識的になったように思う。また、攝津が五十にも足りずに早世したこと自体にも影響を受けた。人は死ぬのだと実感したのだ。私はとにかく急がねばならないと考えた。そして、それから一年と少しの間に大車輪で句を作り、ストックを倍以上に増やして第一句集を出したのである。


 と記されている。自句自解が付されているので、それを3句ほどあげて、その余は句のみをいくつか挙げておきたい。


  日の春をさすがいづこも野は厠(かわや) 

    本書から次の『荒東雑詩』にかけての方法的な柱の一つは本歌取り。掲句の

    本歌は、其角の〈日の春をさすがに鶴の歩み哉〉。

  祖父二人を曾祖父四人が殴る夏

    本書は若気の至り句集という性格が強いが、これくらいナンセンスに突き抜け

    ると、若気の至りなりに、今でも面白く読める。

  蜂の巣になりたかつたの少女の頃

    実体としての蜂の巣と、銃撃であなだらけになるという比喩の蜂の巣。

    ダブルミーニングで季語を脱臼させることを狙っている。


  為人(ひととなり)ほぼ鬼畜にて謡初(うたいぞめ)

  雛壇を旅立つ雛もなくしづか

  花散るや阿鼻叫喚の箸あまた

  芹摘むや姫の悲鳴はそれとして

  麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き

  どの蚊にも絶景見えて柱なす

  駅前の蚯蚓(みみず)鳴くこと市史にあり

  失恋や御飯の奥にいなびかり

  陽の裏の光いづこへ浮寝鳥

  恋文(ふみ)焼けど烏賊(いか)の水気もなかりけり


 高山れおな(たかやま・れおな)1968年、茨城県日立市生まれ。



    芽夢野うのき「鬼百合の峠で風に吹かれし母永遠に」↑

2022年7月25日月曜日

重信房子「刑務作業終えたひとときを刺激してシモーヌ・ヴェイユの硬き論読む」(「週刊読書人」7月15日号より)


  藤原龍一郎書評・重信房子歌集『暁の星』(「週刊読書人」7月15日号)の中に、


 五月末満期出所した重信房子は、獄中で短歌をつくり、すでに二〇〇六年には歌集『ジャスミンを銃口に』を上梓している。この『暁の星』は第一歌集以後の十六年間につくられた五千六百余首の歌群の中から、歌人の福島泰樹が選んだ九百余首によって構成されている。巻末に福島による四八頁にわたる重厚な跋が付され、読者への熱いメッセージとなっている。

 大寒の獄舎の隅にはこべらと黄のかたばみの春をみつけし  (以下略)


 とある。ブログタイトルにした短歌は、藤原龍一郎が「重信房子らしいと最も心に響いて来た一首」だという。因みに『暁の星』(晧星社)(下の写真)の48ページに及ぶ跋文は福島泰樹「戦士らはわが胸に棲み」、栞文は、足立正生「革命の言霊を詠!」、田中綾「愛のゆくたて」、四方田犬彦「死と再生の歌」。


  そして、著者「あとがき」の中には、


 私は獄に囚われて初めて短歌を詠むようになりました。二〇〇〇年の逮捕以来、文通も面会も「接見禁止」の状態が約七年続き、監視と規則の中で自由に向かって弁護士に手紙を書く日々。獄という緊張の包囲の中、心に抱いたもどかしい本音や記憶のなかの情景が、自然にことばとなって零れはじめました。三十一文字が一番自由に記憶や問題意識を形象(かたち)にしてくれるような気がして、二〇〇一年から短歌を詠み始めたのです。


 とあった。また、福島泰樹の跋の部分に、


 書籍のもちこみにも限界がある獄舎で、史実に基づく大著(愚生注:『日本赤軍私史パレスチナと共に』)を重信はどのように書き上げたのであろうか。その記憶に、負うところが多かったのであろう。短歌作品で「日月」に敏感に反応できたのも記億を研ぎ続けてきたためでろう。証拠となるものは身につけない習慣が、身体の機能を作りかえていったのであろう。重信の歌の秘密はそこにある。

 五句三十一(五・七・五・七・七)音を基本律とする短歌は、記憶を再生させる装置をうちに秘めている、というのが私の歌論の一つである。重信房子の短歌は、私の歌論を実証してくれている。


と記している。ともあれ、藤原龍一郎の書評中と歌集中より、いくつかの歌を以下に挙げておきたい。


 秋匂う九月になったそれだけで雲の形が変わりはじめる     房子

 カラシニコフ抱きて砂漠に寝転びて流れる星の多さを知りぬ

 死も知らず母の乳房にしがみつく赤子に集(たか)る蝿の恐ろし

 パレスチナの民と重なるウクライナの母と子供の哀しい眼に遭う

 暁の群青に残る星一つ父のハモニカ聴こゆる命日 

 雪の褥兵士に抱かれ生き延びし嬰児ライラ五十如何にあるらん

 再会の約束果たせず獄中でインター歌えり君の命日

 五十回忌もう哀しみで弔わぬ若さのままの君の命日

 判決は終わりにあらず始まりと服わぬ意志ふつふつと湧く

 革命に道義的批判はしないという七四年の父の記事読む

 連帯せよ!御茶ノ水から市街戦 砦の友らに向けて進撃

 ナクバの民の燃える憤怒を総身に人を殺せし人の真心

 戦士らはわが胸に棲み死んだのは彼らの中の私のいのち

 憧れのクールジャパンの結末は未必の故意の入管殺人

 妻の努力ついに実りて「赤木ファイル」抗議の死と知る国家の犯罪

 「森友」に始まり「桜」に暮れる国世界の良心嘲笑っておりぬ


 重信房子(しげのぶ・ふさこ)1945年、東京都世田谷生まれ。



      撮影・鈴木純一「夕涼みスパイが軍旗手にしたる」↑

2022年7月24日日曜日

小林たけし「ヤングケアラーちいちゃんは汗っかき」(『裂帛』)・・


 小林たけし第一句集『裂帛』(本阿弥書店)、序は、塩野谷仁「端正のさまざま」、その結びに、


   一陽来復ここを底ぞと思いきる

 冬至のやわらかい日差しの中で、万感の来し方を思いやっている作者がここにはいる。「ここを底ぞと思いきる」とは決して諦念ではない。「思いきる」ことによって、明日への活力を見出しているのだ。作者の人生がそうであったように。そう、ここには作者の生き様が鮮やかに反映されているにちがいないのだ。


とある。また、著者「あとがき」の中には、


  社会に出た十五歳からリタイアまで、トライ&トライ、転地(神奈川・東京・静岡・北海道・栃木)転職(三〇余)の連続でした。俳句との出会いは人生観を百八十度変えるほどの衝撃でした。「直よりは曲、陽よりは陰、急よりは緩」これまでの性急さから救われた思いです。

 俳句は「古壺新酒」「終生の文芸」ともいわれます。

 晩生のこれからを一人の俳徒として「晩学の愉悦」を味わえたらと願っています。


 とあった。「あとがき」も中には、集名の由来について「来し方の、煩悶、混濁、消沈、慚愧の所収句を包含してのもの」とあったが、直接、集名に因む句は、


  裂帛の少女の声や寒稽古


 であろう。ともあれ、以下に集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

  

  身の内に居座る百鬼鬼やらい      たけし

  春の雷停戦という戦時あり

  蛇の衣昨日をすてる容かな

  語り部の太き静脈八月来

  川べりのおでんの屋台「Wi-Fi可」

  白夜の被災地結界の入り乱る

  流氷の行きつくところ死にどころ

  秋天やキリンは餌を横に噛む

  冬日向顔も戦う指相撲

  春雷や通夜の遺影の笑いすぎ

  甚平や定年のない脛二本

  健忘症なれど物知り生身魂

  絶筆の「延命無用」花カンナ

  殺める手合掌する手懐手

  

 小林たけし(こばやし・たけし) 1943年、神奈川県横浜市生れ。



     撮影・中西ひろ美「北大に晩夏の穴が開いていて」↑

2022年7月23日土曜日

橋閒石「春雪へ庇をのばす女の部屋」(『沖積舎の50年』より)・・

 

 『沖積舎の50年』(沖積舎)、沖山隆久は、巻末の「五十年に」と題して、


 学藝出版として、小出版社として、沖積舎は昭和49年2月個人会社として創業以来五十年になる。その間、二千点近い書物を出版した。(中略)

 尚、本書『沖積舎の五十年』は先に出版した『沖積舎の四十三年』『沖積舎の四十五年 総出版目録』と共に、三部作を成すものである。


 記している。ブログタイトルにした句は、和田悟朗「『橋閒石全句集』の刊行にについて」の中で、


 後日、遅れていた栞について最後の校正をしたが、そのとき、栞の中に引用されていた閒石句「春雪へ庇をのばす女の部屋」の「庇」が「屁」になっていることに気付いて驚いた。校正は何と恐ろしいことだ。もし気付いていなかったら、まことにはずかしいことだったであろう。


 とあったことによる。また、ここでは、愚生にとっても、沖積舎時代の林あまりについて、わずかながら思い出があるので、高柳蕗子「季節が変わる」から、部分を引用紹介しておきたい。


 まっ赤なワンピースにまっ白なGジャンをはおって、チュリーップが立っていた。

 私の第一歌集『ユモレスク』(1985)が沖積舎さんから刊行される少し前のこと、打合せで神保町の事務所を訪ねたら、そこに若い林あまりさんがそこにいたのだ。

 季節が変わる。ーーあのころ言語中枢でそう感じていた。新しい季節が景色を塗り替えるように、短歌の言葉の世界は変貌しつつあった。その空気のなかで、新しい季節をもたらす新人の歌集をせっせと刊行していたのが沖積舎だ。

 その翌年、沖積舎から刊行された林さんの第一歌集『MARS☆ANGEL』(1986)は、鮮やかな赤い本で「生理中のFUCKは熱し/血の海をふたりつくづく眺めてしまう」など、当時としては刺激的な内容を含んでいたために、ずいぶん物議を醸したものだ。折しも俵万智さんが角川短歌賞を受賞、翌年には『サラダ記念日』(河出書房新社1987)が大ベストセラーになって、若い女性歌人として、カンチューハイの俵万智、ファックの林あまり、と対極のように取りざたされもしたが、共通しているのは、それまで短歌で見かけなかった言葉や言い回しをいっぱい使っていたことだ。(中略)

 早速「かばん」に入会し、八五年六月号では『ユモレスク』評もいただいたが、それにも増して忘れられないのは「かばん」八六年一一月号の林さんの歌壇時評、「スゴイ新人が登場した!である。さっき俵万智さんの角川短歌賞に触れたが、そのときの次席が穂村弘さんだったのだ。林さんは次席作「シンジケート」から十二首も紹介し、「話題フット―と思ったがいっこうその気配がないのはおかしい。穂村弘をものがせば必ずや現代短歌の大損失となる」と、時評一ページまるごと使って、その魅力や新しさを褒めちぎったのだ。穂村さんもやがて「かばん」に入会。そして第一歌集『シンジケート』(1990)も沖積舎から刊行されたのである。(中略)

 沖積舎さんの功績は新人発掘だけではない。歌人の業績の集大成のような全集なども多く手掛けられている。もう出版業から退いてsまわれたようなので、私の集大成はお願いできないが、まだ自分の最前線にたどりついていない私には、そのことを嘆く資格がないのである。


 とあった。愚生といえば、沖積舎の創業時は、吉祥寺・弘栄堂書店員だったので、時代の流れもあって、詩の棚の充実期にお付き言い合いさせていただいた、と思う。後年、沖山隆久に会うたびに、もう、出版社は辞めるとよく漏らし嘆いていたが、どうやら本当にそうなってまった。それにしても、沖積舎が咽頭癌で、声を失い、その後も再発を繰り返し、闘病していた大本義幸の句集『硝子器に春の影満ち』(2008)を全句集として、栞文に池田澄子「まぼろしの『八甲田』、攝津資子「笑うスナフキン」、坪内稔典「海光と闇ー大本義幸の原風景」、永田和宏「黄金海岸の頃、仁平勝「泣きたいような抒情」を得て、企画出版されたのは、何より、沖積舎創業時からの彼との熱い友情によるものだったろう。


   朝顔にありがとうを云う朝であった。     大本義幸

   硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ

   月へ向かう姿勢で射たれた鴨落ちる


     

       芽夢野うのき「一息つくまもなく紫の風がふく」↑ 

2022年7月20日水曜日

永田耕衣「かたつむりつるめば肉の食い入るや」(『永田耕衣の百句』)・・・

  


 仁平勝『永田耕衣の百句』(ふらんす堂)、その巻末の解説「『俳句的』なパラダイムを離れて」に、


 (前略)ところで、耕衣のは句が難解といわれたのは別の理由もある。いま独自な俳句論と書いたが、そもそもその理論が難しいのである。もっともそういう理論は、耕衣の俳句を読むためには必要ない。たとえば耕衣は禅に傾倒し、その思想についてしばしば語ってきたが、耕衣の愛読者は、俳句から禅の思想を享受しているわけではない。耕衣の句が読む者を魅了するのは、五七五の言葉がときにその意図を超えて飛躍するからだ。そこには定型の力学を感知する先天的な言語感覚があるのだが、それは理屈で論じることができない。(中略)

 耕衣は、俳句をすなわち俳諧と考えていた。芭蕉の確立した蕉風ではなく、それ以前の談林俳諧を指針としている。談林について書いた文章はいろいろあるが、「談林の志あれ」(『鬼貫のすすき』所収)から引用してみたい。(中略)

 これを私なりに敷衍すれば、滑稽とはみずからの「卑俗性」を対象化するということだ。ことさら「惜しくも詩的高邁さに至らず」と書くところが耕衣らしいが、ようは、「高邁さ」よりも「卑俗性」が大事なのである。そういう信念のもとに、「放屁」や「放尿」や「肛門」が一句のモチーフになってくる。(中略)

 擬人法は、耕衣の得意技である。一般的に俳人はこれを通俗な手法として嫌うが、耕衣によれば、擬人法には「人間感情の不易な卑俗性」が関わっている。人間と同じように笑ってみせる「鯰」も「元来孤独な人間性」を引き受けているわけだ。先に述べたことに重ねていえば、擬人法もまた、みずからの「卑俗性」を対象化する方法にほかならない。

 

 とある。本書は、右ページに耕衣の句、左ページに、仁平勝の句にまつわる鑑賞

・エッセイがレイアウトされている。その一例を一つ上げよう。


    少年や六十年後の春の如し    『蘭位』

 「晩年や」の後は「少年や」である。晩年の作者が「少年」の時代を回顧しているのではない。作者は「少年」にタイムスリップして、晩年を回顧しているのだ。奇妙な言い方になるが、この句はそう読むしかない

 人は老いて子供に還るという。けれども、老人の内に「少年」がいるなら、「少年」の内に老人がいるといった論法は成り立たない。これはいわば言葉の騙し絵として、読者は「少年」に「六十年後の春」を見ればいい。「少年」にとって「春」は、将来の希望が芽生える季節だが、それがどこかで恍惚の老境にすり替わっている。 


 とあった。ちなみに、永田耕衣は明治33年、兵庫県生まれ。平成9年、97歳で没した。ともあれ、以下には、耕衣の句のみなるが、いくつかを挙げておきたい。


  死近しとげらげら梅に笑ひけり    

  夢の世に葱を作りて寂しさよ

  恋猫の恋する猫で押し通す

  うつうつと最高を行く揚羽蝶  

  夏蜜柑いづこも遠く思はるる

  いづかたも水行く途中春の暮

  天心にして脇見せり春の雁

  近海に鯛睦み居る涅槃像

  後ろにも髪脱け落つる山河かな

  カットグラス布に包まれ木箱の中

  腸(はらわた)の先づ古び行く揚雲雀

  死螢に照らしをかける螢かな

  泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む

      コーヒ店永遠にあり秋の雨

  遺影妻春や雲公してくるよ

  大晩春泥ん泥泥どろ泥ん

  踏切のスベリヒユまで歩かれへん

  枯草の大孤独居士ここに居る


 仁平勝(にひら・まさる)1949年、東京都生まれ。



      撮影・鈴木純一「炎天に一つの影をつれまわす」↑

2022年7月19日火曜日

大田土男「哲学を習ひ始めて麦を踏む」(『田んぼの科学』)・・


  太田土男『田んぼの科学ー驚きの里山の生物多様性ー』(コールサック社)、帯の惹句に、


 日本の里山の季語をやさしく深く解説!

 長年農業研究機関に勤めた俳人が案内する、豊かなる田んぼの四季と動植物たちの世界


とある。著者「あとがき」には、


(前略)私は長く草地生態学に関わる仕事をしてきましたが、日本の自然の中での稲の凄さにはいつも関心を持ち続けてきました。特にここ十数年の間に、稲作技術は大きく変わりました。歳時記を見ると絶滅を危惧する沢山の季語を生じました。耕し、田植え、稲刈りなどは機械でするようになり、季語には新しい意味が加わりました。こんな時、田んぼに関わる季語を深耕し、科学することは大事なことと思えてきたのです。

 書き進むうちに、里山、田んぼの生物多様性の素晴らしさにも触れたくなりました。一方、稲作技術が大きく変わる中で、これらの生きものたちの悲鳴をも聞こえてきます。田んぼには生物多様性が凝縮しています。これはもう環境問題です。

 里山、田んぼを季節の折々に通い、俳句吟行のホームグラウンドにすることを提案しておきます。


  ともあった。内容は、「田んぼの四季」を、春夏秋冬でそれぞれ解説し、さらに「田んぼのさまざま」「田んぼの近くで」「機械化時代の田んぼを詠む」など、ページを開けば、どこからでも読めるように、なっている。ともあれ、文中に挿入された句のいくつかを以下に挙げておこう。


   げんげ田に泣く弟を姉が抱く      太田土男

   落し水鯰も落ちてゆきにけり       〃

   稗飯といふものも出て秋収め       〃

   籾殻焼母に呼ばれて日暮れなり      〃

   田起しの山の谺の機嫌よし        〃

   生きかはり死にかはりして打つ田かな  村上鬼城

   漣のなせるままなり浮早苗       若井新一

   小水葱咲く畦やはき大和かな     山田みづえ

   刈られたるものもはげしき草いきれ  遠藤若狭男

   こがらしや壁の中から藁がとぶ     三橋敏雄

   水の地球少し離れて春の月      正木ゆう子

   疑わしき草は抜かれて稲の国      池田澄子



      撮影・芽夢野うのき「雨の日の蓮花咲けり兄逝けり」↑

2022年7月18日月曜日

伊藤眠「みなと百年また百年の梅雨の空」(「楉(すはえ)」第20号)・・


  楉(すはえ)第20号(上智句会改め:すはえ句会句集)。発行人の根来久美子の「あとがき」に、


(前略)コロナ禍が一服していた十一月、久しぶりに対面句会を開き、今後のことを話し合いました。その席で、代表交代に伴う句会の名称変更の提案があり、新名称選定の作業に入りました。そもそも大輪先生が、上智の学生や卒業生を集めて始められた句会でしたから、「上智句会」という名前だったのです。(中略)泣く泣く諦めることになり、さらに議論を重ねて、最終的に「すはえ」と改名いたしました。

 新しい句会名を句集名と同じ「楉」にしてはどうかとご提案下さったのは、大輪先生でした。「楉」ではなく「すはえ」となったのは、「楉」という漢字が環境依存文字であるため、メールのやり取りの際に文字化けしてしまう可能性があるからです。平仮名でしたら、そういう心配はありません。表記は「すはえ」ですが、発音は「すわえ」。「楉」と同じ読みです。


 とあった。ともあれ、以下に一人一句を紹介しておこう。


  寒鯉の動かざること只管打坐       大輪靖宏

  ジョーカーの一句あたため初の句座    加藤房子

  啓蟄や着信メール今日もなく       大島等閑

  秋蟬や夏痩せの声かも知れず       有馬五浪

  ひらひらと手話の指先花の昼       藤井綏子

  一段と色のきはまる花曇       吉迫まありい

  ふらここの高々と空平和なり       柳堀悦子

  親ばかリ下向き歩く海雲取り       堀場啓司

  寒の月いでて獣声統べるごと       伊藤 眠

  着ぶくれを吐いては吸うて発車ベル   根来久美子

  薄暗き切通しなる初音かな        平澤東山

  羽化すれば夢の大空しじみ蝶      蝋山葉流美

  出番くるまで船頭の片かげり       仲 栄司

  初夢や手には届かぬ北極星        向瀬美音

  おはじきにちよんと差し色秋の昼    山本ふぢな

  銘々に魔法を秘めてチューリップ     井上泰至

  蜃気楼うつつの鷗よぎりけり       纓片真王

  餡パンの匂ふ銀座の雪もよひ      長谷川槙子

  遠縁を訪ねて卯月曇かな         峯尾文世

  触るるもの青に変へゆく梅雨の蝶     栗原和子

  白梅の大空抜けて曲がりけり       高原沙織

  合格の字踊る子の日記果つ        川口華織

  雪の峰抱かむジェットコースター    岸本こずえ

  呆気なく終はる会議や初時雨       成瀬靖子

  終戦の日伝へることは学ぶこと     藻井友紀子

  柚子浮きて馴染まぬ風呂の馴染みけり   松尾 哲

  抜歯せし跡は筍飯で埋む         西苑実生

  夜には夜の朝には朝の百千鳥      今尾江美子

  臥して居て花瓶の春に凭れをり      鵜飼祐江

  嘘つきの嘘に聞き惚れソーダ水      諸星千綾 



       撮影・鈴木純一「ねじのはな無窮は真か悪徳か」↑

2022年7月15日金曜日

赤崎冬生「輪転機は沖の海鳴り世の地鳴り」(現代俳句「金曜教室」②)・・


  本日は、現代俳句「金曜教室」第2回(於:現代俳句協会会議室)だった。宿題は、無季俳句2句の持ち寄り。想像以上に佳句がそろった。無季だけに向きにならざるを得ない面もあったようだが、それはそれで有意義な句会となった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。


  階段の上にこの世の出口ある       石川夏山

  あおによし言葉は撃たれても死なず    鈴木砂紅

  時間の矢不老は淋し不死はなほ      山﨑百花

  原子雲ただ信号を待つてゐた       白石正人

  終わらないゲームに耽る真っ赤な夜    宮川 夏

  何故かくも蒼く深いか日本海       多田一正

  気が付けば形見となりしメールあり    武藤 幹

  波と粒束ね量子の貝と寝る        林ひとみ

  口もとを手でかくしつゝ目で話す     高辻敦子

  はみ出せるわが乳子への生命の水     赤崎冬生

  ネゴトデスヘイタイサンノオカゲデス   川崎果連

  おくれ毛に追いつく風のブィブラフォン  森須 蘭

  吾ただひとりその中にこそ我ひとり    植木紀子

  咎(とが)なくて死すやウクライナ人民  村上直樹

  独裁者英雄たらんときょうも撃つ     岩田残雪

  「朝玉子」ねだる孫連れ隣家行く     杦森松一

  一期一会ふいに来る影を思え       大井恒行


次回、金曜教室は、8月19日(金)午後1時半~4時。持ち寄り雑詠2句。



★閑話休題・・池澤夏樹「大泉文世さんを悼むーある編集者の仕事」(「毎日新聞」7月13日付け夕刊)・・

 書肆山田・大泉文世と鈴木一民について記されている。愚生のわずか二冊しかない単独句集は、鈴木一民の手によるもので、とりわけ、第二句集『風の銀漢』は大泉文世の手になるものだ。池澤夏樹の追悼文を少しだが紹介したい。それには、

 その出版社の名を知る人は多くないし、そこでたった一人で千点を超える本を作った編集者の名を知るのは友人知人のみと言っていい。
 出版社の名は書肆山田。編集者の名は大泉文世。もっぱら詩集と詩の周辺にある本を作ってきた。(中略)
 書き手と読み手の間を本でつなぐ、という出版の本義から離れることなく誠実に本を作ってきた。詩人にとってはここから本を出すことが誇りだった。できあがった本を手にして嬉しくおもった詩人は大家から新人まで数多い。(中略)
 ただ黙々と働いて着実に美本を出し続け、この五月十九日、闘病の果てに他界した。この後は本が出ることはない。会社に残った資産はゼロ。ぼくの最初の詩集が二人態勢で作った最初の本で、作る予定で作れないままに終わった最後の本がぼくの詩画集だった。
 サンテグジュペリが、ある僚友の死を「麦刈り男が、きちんと束に結わえあげてしまうと、自分の畑にごろんと寝転ぶようにして」と言っていた。(『人間の土地』)。
 彼女の死がまさにそれだとぼくは思う。

 とあった。愚生は50代の頃から、その鈴木一民に、次の句集をと慫慂されていたが、20年以上経っても、約束は果たせなかった。書肆山田で出して恥ずかしくない句が出来ていない、自分で納得のいく句ができていない、という、ただそれだけだった。それでも、次に出すときは,書肆山田から出せると思っているだけで、安心だったのだ。合掌。 

      芽夢野うのき「青信号ではねられている立葵」↑

2022年7月14日木曜日

井上治男「夏つばめ大海原を真っ二つ」(「きすげ句会」第7回)・・


 本日は、梅雨の戻りの気候ながら、第7回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「海」に関する句+2句。以下に一人一句を挙げておこう。


  青い海もっと生きたいと乙女ら散る          井上芳子

  日盛りの海若者は波を待つ              井上治男

  𠮟られて物言いたげな夏の犬             寺地千穂

  期待込め十八の夏初選挙               清水正之

  剃りあとのキッパリ清(すが)しパナマ帽       山川桂子

  潮風の砂に茣蓙敷く昼寝かな             杦森松一

  万緑や蟻の隊列土を這ふ              久保田和代

  風死して駅舎ホームに鳩蹲(うずくま)       濱 筆治

  掩体壕(えんたいごう)(かた)えに青桐平和の木 壬生みつ子

  リモートで今や避暑地がワーケーション       大庭久美子

  緑蔭の崖(はけ)化石の貝の海匂う          大井恒行


次回は、8月25日、兼題は「盆」。



     撮影・鈴木純一「山梔子やテロルのコツは近くから」↑

2022年7月13日水曜日

白石正人「非常事態宣言地球まるごと蜃気楼」(『泉番』)・・


 白石正人第二句集『泉番』(晧星社)、 跋は福島泰樹「よしや楼蘭遠くとも」、その中に、


   蠅生る寂しきものに洗面器

   艶本の耳のど小口冬の虹

   欄干に雨食うてをり蝸牛

   列島を麒麟の舌がねぶる梅雨

 これらは、俳句でしか表現できない「象」の妙味、名人技と言おう。

 二句目、結句の美しさ、「艶本」からだれが「冬の虹」を想像できよう。「耳/のど/小口」の連弾が「冬の虹」を引き出したのだ。四句目、「麒麟の舌」の句に、驚愕!このスケールを、字数にして十三字、音数にして十七音でやってのける。日本列島を麒麟の長い舌が舐めている像が、梅雨の気分とともに鮮やかに浮かびあがってくる。俳句芸術が生み出した勲功といおう。


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)句集名の『泉番』は、寺山修司全歌集にあった「森番」からメチエとしての泉の番人を夢想しタイトルとしました。(中略)

 最近、俳句について、シンプルな眼差しでシンプルに詠むのがいちばん「かっこいい」と思うに至りました。そして死ぬまで「かっこよく」詠みたいと願っています。五年後、どうなっているかは神のみが知っていることですが、生きている限り第三句集を出すだろうと確信しています。


 とあった。その寺山の短歌は、『われに五月を』の「ねむりてもわが内に棲む森番の少年と古きレコード一枚」であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  ひんがしの五穀の国やどんどの火     正人

  晩学は挫折を知らず松の芯

  心太先を急かせる艶ばなし

  諦めることの軽さや余り苗

  八月やマウスのなぞる爆心地

  ぶらんに飽きて隣のぶらんこに

  とはにあれ朗々の空柿の空

  行く秋やわが声にして父の声

  大凧のあがらんとして空が邪魔

  冥土へと一段倒す籐寝椅子

  爽籟や歩いて行ける船着場

  不時着の気球なないろ大花野

  荒星や足りないものに野菜と詩

  路線図の支線消えたる初桜

  紙風船三つも突けばそれだけの

    二代目吉右衛門丈逝く

  山茶花の飛び六方に散りにけり

  海鼠にも顔はありけり海の暮


 白石正人(しらいし・まさと) 1951年、東京都生まれ。



      撮影・中西ひろ美「白花のささやかなりし墓参り」↑

2022年7月9日土曜日

筑紫磐井「僕たちのオリムピックがなかつた夏」(「俳句新空間」第16号)・・


「俳句新空間」第16号(発売・実業公報社、発行人、筑紫磐井/佐藤りえ)、の特集は「コロナを生きて」。企画文・筑紫磐井「特集・コロナを生きて」に、 


 (前略)「俳句新空間」では、二年間のコロナ下での状況を伝える俳句、できれば「コロナ」の文字を使わないで分かるものを特集することとした。

 これに類似した過去の事件としてはスペイン風邪がある。一九一八年から始まり二〇年まで続いた大流行は、俳句にどのような影響を及ぼしたかあまり定かではない。(中略)大正七年一二月のホトトギスの「消息」では、青峰、虚子をはじめ編集部員が次々に斃れたと記録しているがあまり緊迫感は伝えられていない。昭和八年一〇月号の「座談会」の中で山本京童が外遊中のスペインで罹患した記録を語っているがこれは海外の見聞だ。唯一圧巻の例外は、本田一杉の写生文だ。昭和二年一二月号で大阪商船の船医として乗り合わせた大阪港~ボンベイの航海で船員・乗客がバタバタと倒れる惨状を目の当たりにした。死者はいなかったようだが、火夫が全員倒れ運航不能に陥る。(中略)しかしこれに対して、虚子は関東大震災程大きな関心は払っていなかった(ホトトギスは、震災直後写生文による大特集を行っている)ようなのは、死者数は大きかったものコロナほど社会を震撼させていなかったせではないかと思われる。現在の方が恐怖感は強いようだ。

 虚子がやり残した仕事として、この二年間の俳人たちの心情をリアルタイムで残してみることは意味があるのではないかと思った。いずれも明確にコロナと読める句でないかもしれないが、詠んだ作家が、「コロナを生きて」として申告したものであるから、コロナ俳句ということが出来るだろう。

 

 というわけで、25名が参加している。一人一句を以下に挙げておきたい。


   つくし摘み手洗ひも消毒する      青木百舌鳥

   宿主とパンデミックとか亀の鳴く     神谷 波

   窓閉めて春一番をうち眺め        岸本尚毅

   目に見えぬ鬼こそ遣らへ年の豆      五島高資

   桜蕊降る緊急車輛出入り口        坂間恒子

   美容院歯科はためらふ春疫病       迫口あき

   花冷のアクリル板に浮く指紋       杉山久子

   ス―ス―ハッハ身体が冬にならぬやう   関根誠子

   霞つつ疫がしづかな街を得る       竹岡一郎

   ランナーの吐く息怖し暮の春       辻村麻乃

   窓だけが友となる日よ花は葉に     なつはづき

   黙読に黙食黙酒そして黙祷        夏木 久

   感染のショートメールや梅雨に入る    中村猛虎

   核兵器地震雷感染症           中島 進

   さうあれは春の風邪から始まつた     仲 寒蟬

   しゃべらずはヒトのクサさを花氷    浜脇不如帰

   マスクして会えざるままの樹が一本   ふけとしこ

   二度洗う三度洗うもマスク風流(ぶり)  堀本 吟

   マスクなしに歩けぬ街の大暑かな    前北かおる

   脱マスクバイオリズムの狂ひだす    眞矢ひろみ

     ショックドクトリン

   満開や惨事便乗資本主義        もてきまり

   冬青空酸素ボンベが引き出され      渡邊美保

   ひと近づいてからマスクする溽暑     渕上信子

   死んでゆくあまたの「数」は数ならず   筑紫磐井

   木耳になつてしまへば悔いもなし     佐藤りえ



    撮影・芽夢野うのき「のうぜんの花咲く下で待ってます」↑

2022年7月7日木曜日

山田千里「冷凍された時間に止まる黒揚羽」(『ミルク飲み人形』)・・


  山田千里第二句集『ミルク飲み人形』(ぶるうまりん俳句会・ぶるうまりん叢書01)、跋文は今泉康弘「童話と情念ー山田千里の世界」、その後半部分に、


ーー童話性

バッタとあいのりどこへ行こうか

ふわあふわあ綿雲のようなわたくし

ゆるゆると鼻のびていく日向ぼこ

ーー情念性

アマリリス最後のキスはいつですか

全身びしょぬれ夕立に会いたかった

何のために生きているのか時雨

 ただし、山田千里の世界について、「情念」という言葉を意外に思う人もいるかもしれない。彼女の句の世界は一見したところ、本人の人柄同様に、穏やかで暖かく、童話性の方の印象が強く感じられるからである。しかし、そうした外見の中には師・裕計の見抜いたように「情念」の世界が込められている。情念、とりわけ、女と男が魂と肉とで交わり合うところに生まれる情念である。彼女の文学的営みの根底には情念の追究がある。(中略)

 『ミルク飲み人形』という本句集の題名も、童話のような印象を醸し出しつつ、その底には、大切な人への情念が込められている。


 とあった。また、著者「あとがき」の中に、


 第一句集『ぶ・ら・ん・こ』をだしてから、二十年たった。いろんなことがあったと思う。本当にいろんなことがあった。とりわけ、母の介護との格闘は、心と体をすり減らすものだった。介護といっても、母は入院していたので、四六時中介護をしていたわけではない。ただ、食べることを拒否している母に食事を取らせたいと、そのために、毎日、病院に通うことになったのだ。(中略)

 三六五日、私に休みはなかった。何か用がある時だけ、家族や友人におねがいした。母が東京から沼津に来て七年、元気で過ごせたのは、一年だけだった。後の六年は、寝たきりで、口もきけない日々だった。そして、最後の五か月間は、ついに、何も食べなくなり、母は鼻から栄養を取る経管になってしまった。母は「ミルク飲み人形」になってしまったのだ。自然に任せればよかったと、今なら即答できる。しかし、あの時の私は、それができなかった。後悔の念を抱きつつ、今に至っている。


 ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


   雪雲におおわれている心臓        千里

   初日の出人さし指にはめたいわ

   ドライアイスの煙 くちびるだけは紅

   くたびれた五月光に母の椅子

   「二十億光年の孤独」に隠れている満月

   蛇穴を出る 死ぬことの好奇心

   アスファルトに鉄の椿が落ちている

   鳥の巣の家賃を払ってもらおうか

   鉄棒が鉄棒にもどっていく夕立

   枯れもせぬ散りもせぬ鉄の薔薇

   あの子はほしいこの子はいらぬと黒日傘

   

  山田千里(やまだ・ちさと)1951年、東京都生まれ。

   

           

     撮影・鈴木純一「額の花まもるは強き心にて」↑

2022年7月1日金曜日

金田一剛「茅の輪くぐり8の字8の字の向こう」(第38回ことごと句会)・・

 

 第38回(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2022年6月18日・土・付け)、雑詠3句+兼題一句「満」。早くも梅雨明け、猛暑到来で、愚生のような年寄りにはひときわこたえる。ともあれ、以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


  嫋やかに揺らす扇子の図り事       江良純雄

  守宮鳴く父の一字を引き継ぎて      渡邉樹音

  春の布うち拡げてや詩の山河       渡辺信子

  ことごとく夏の男はご満悦       らふ亜沙弥

  フィレンツェの黄昏ながき薄暑かな    武藤 幹

  忘却の時鳥今さら何を言われても     照井三余

  左腕のアップルウオッチアロハシャツ   金田一剛

  背筋伸び兵士のように歩く父       杦森松一

  アガパンサスその紫を風とせよ      大井恒行


★寸評

・「茅の輪くぐり・・」ー向こうにあるのは神の査定所。祈りの採用却下を一杯やりながら決めている。向こうに希望を見る不信心を嗤う(純雄)。

「嫋やかに・・」ー嫋やかにと図り事想像が膨らみます(松一)。ふふっと含み笑いをしてしまう。いいですね(樹音)。

・「守宮鳴く・・」ーふと眼をやると壁にへばりついている守宮、父の名を一字もつ我が名、なかなか超えられない父の存在をふと思う(恒行)。

・「春の布・・」ー春の布をうち拡げるのは、佐保姫と決まっているが、「詩」を言わなくても「山河あり」、「山河かな」でも詩情は十分。だが、あえて「詩」といわねば気のすまない作者がいる(恒行)。

・「ことごとく・・」ー作者が万一男なら自虐だが、まず女性だろうから、男を甘く見やがって・・だ!(幹)。

・「フィレンツェ・・」ー行ったことはないがフイレンツェと黄昏は相性がよさそう。加えて薄暑の淡白さがフィレンツェの空気を醸す(純雄)。

・「忘却の・・」ー不如帰と書いたらあまりにも・・・と作者は「時鳥」としたのだろう。その位筋の通った句?だ!(幹)。

・「左腕の・・」ー精悍なんだかチャラいんだか。夏!という感じが伝わってきます(樹音)。

・「背筋伸び・・」ー思い出の中の父はあたかも兵士のようであったか。かなしみをも湛えている(恒行)。

・「アガパンサス・・」ー上五、いろんな花で行けますね。私なら「つゆ草の~」とか(信子)。



      撮影・中西ひろ美「髪洗うあす何事もなけれども」↑