第39回(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2022年7月16日・土・付け)。雑詠3句+兼題「抱」1句。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。
風にまだ重さの残る梅雨の明け 武藤 幹
戻り梅雨出せぬ手紙の二つ三つ 渡邊樹音
熱帯夜魑魅魍魎を抱いている 江良純雄
舟虫の緊張走る岩の上 杦森松一
忍冬一夜一世(ひとよひとよ)を並び割く 金田一剛
鬼灯の抱いて抱いてと種百個 らふ亜沙弥
夏雲を抱く蒼穹へマスク擲げ 渡辺信子
豈図らんや抱擁など宵の待草 照井三余
朱夏の天極まる青のなかりけり 大井恒行
【寸評】・・
・「二階から素足が降りて・・」ー素足が着眼点。日常生活が美しく詠まれている(樹音)。ー素足と夕餉の生活感に色気を感じさせます(松一)。鈴木鷹夫に「二階より下りくる素足桜鍋」があるが、鷹夫句の季語は桜鍋、幹氏の句の季語は素足である(失名氏)。
・「風にまだ・・」ー今年の梅雨は、はっきりしませんでしたネ・・(三余)。
・「戻り梅雨・・」ー季節の逡巡と決められていない心は重なるが、「二つ三つ」の強調の味を評価(純雄)。
・「熱帯夜・・」ー発想自体は普通だが、それでも《言い得て妙》である!熱帯夜そのものだ!!(幹)。
・「舟虫の・・」ー次の瞬間、一斉に走り出す、その直前の感じが活写されている(信子)。
・「忍冬・・」ー「忍冬」すいかずら、にんとう、の一点に焦点を詠む力強さは不動(三余)。
・「鬼灯の・・」ー俳句におけるリフレインの効果。「忍冬・・」の句はリフレイン?(剛)。
・「夏雲を・・」ー「マスク擲げ」は、美しくはないが、蒼穹に免じて・・・(恒行)。
・「豈図らんや・・」ーどうしてそんなことが予測できるだろうか?宵の待草は哀しかるべし(恒行)。
・「朱夏の天・・」ー朱夏に極まる青が無いなんて、さすが・・・(失名氏)。
★閑話休題・・福島菊次郎「みんな戦争なんて始まらないって、頭のどこかでそう思ってるだろ。でも、もう始まるよ。」(那須圭子『福島菊次郎 あざなえる記憶』より)・・・
那須圭子『福島菊次郎 あざなえる記憶』(かもがわ出版)、そのエピローグの中に、
福島さんが防衛庁を欺いて自衛隊と兵器産業の内側を潜入取材した直後、暴漢に襲われて鼻を折られた話を聞いたとき、私は福島さんに尋ねた。
「なぜそこまでして国と闘い続けるのですか?こんなに長い間、福島さんにそうさせるものは何ですか?」
すると、福島さんはこう答えた。
「僕のは私怨なの。政治的にどうとかっていうんじゃなくて、ごく私的な怨念。ヒロヒトとこの国に対するさ」
とあった。また、プロローグの中には、
福島さんは、被爆者、学生運動、自衛隊、兵器産業、ウーマンリブなどとともに、成田闘争の取材では三里塚の農民たちを、そして水俣病の取材では患者となった漁師と家族を撮り、その写真を発表することで彼らの戦力になろうとした。九十四歳で亡くなるまで日本という国家の嘘(うそ)を告発し続けた、その力は何だったのか。福島さん自身の口から返ってきた答えは、「国家(くに)」への私怨(しえん)という言葉だった。重要なキーワードだが、それと表裏一体ともいえる国への温かな思い、言い換えれば「故郷(くに)」への思慕のようなものが、福島さんの報道写真家としての活動を支え続けたのではなかったか。私にはそんな気がしてならない。
とも記されていた。愚生は、かなり以前になるが、確か横浜の新聞博物館、また、府中の写真展に出かけたことがある。愚生と同じ山口県生まれ、というので、わけもない親近感があったように思う。
・那須圭子(なす・けいこ) 1960年、東京生まれ。フリージャーナリスト、大学卒業御に山口に移り住み、報道写真家。福島菊次郎からバトンを渡される形で中国電力・上関原発反対運動の撮影を続ける。
・福島菊次郎(ふくsま・きくじろう) 1921年山口県下松市生まれ、本名菊治郎。2015年すべてのネガと全作品の権利を共同通信イメージスに託す。9月、愛娘に看取られ永眠。享年94。
撮影・鈴木純一「萎んでもオシロイバナはちょっと紅」↑