2022年8月30日火曜日

近藤萠「いま表現の自由とはかなかなかな」(『鐘』Campanella)・・


  近藤萠句集『鐘 Campanella』(龍書房)、栞文は鳥居真里子、その中に、


 萠さんはどこか不思議な個性につつまれた女性である。それ故か作品もまた明るく、どこか不思議な余情を漂わせる。気がつくと、彼女の童話的世界に迷い込んでしまった私がいる。(中略)

   春よ来い辺野古のジュゴン珊瑚にも

   おりいぶの花国家とは自由とは

   沖縄忌少女の声が鳩になる

 句集『鐘』は絵のない絵本のような趣の一書である。その「鐘」のを大空高く鳴り響かせるのは、私たち読者の想像力の翼に他ならない。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


 この句集は夢から生まれました。病床の麻酔の効いた眠りの中で、カラフルでリアルな夢を見ました。思ってもみなかったことが導き出された感じでした。それは、退院後も小さな鐘の音のように胸の中で響いていました。(中略)

 この句集を通して夢の続きの鐘の音に耳を傾けていただけましたら幸いです。


 ともあった。集名に因む句は、


   真夜中の驟雨かの日のラ・カンパネラ    萠


では、なかろうか。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  神無月絶滅危惧種黒電話

  詩の神はいつも留守がち時雨月

    悼 小林星子姉

  読経春雨どきやうはるさめラブレター

  亀も鳴け木もなけ君を送らむよ

  春泥やはないちもんめ一人消え

  あぢさゐにあぢさゐのゐてあぢさゐは罪

  あげは蝶あくびしたときあが落ちた

  夏のバス次の停車は異次元です

  黄落の亀かつてます金曜日

  メメント・モリいよいよ炎(も)ゆる緋衣草


 近藤萠(こんどう・もえ) 1945年、埼玉県生まれ。



    撮影・鈴木純一「ビンボウでヘクソで初心忘れずに」↑

2022年8月29日月曜日

藤原龍一郎「聖火台へはしるランナーその背後死霊悪霊悪霊死霊」(『抒情が目にしみる』より・・


  藤原龍一郎著『抒情が目にしみるー現代短歌の危機(クライシス)』(六花書林)、帯の惹句に、


 現代短歌に魅入られて半世紀、時代と向き合い、果敢に状況に切り込んできた。

 短歌形式を選択した自負、塚本邦雄、福島泰樹たち、敬愛する歌人への思いを情熱をもって描き取る。


 とある。巻末に、藤原龍一郎の志向、思考を語った「時代の文学という意識を強く持つ歌を」(聞き手:大和志保/2021年1月21日 於:晧星社)、歌誌「月光」67号・2021年3月が再録、入集されている。藤原龍一郎歌集『202X』になどに触れた中に、


藤原 短歌に時代が投影されるのは当然ですが、時代の本質的なところや政治的な状況はあまり歌う必要はないと僕は思っていました。

 その時代の人の名前を入れて、時代の表層をうまくピックアップすれば、時代の雰囲気が出せると思っていたのですが、ここ十年くらい詩歌はやはり状況に対して物申すことも必要ではないかと段々思うようになって。この一冊を見ると、そういうものばかりになりました。(中略)

藤原 歌い方は変わってきています。これをメッセージ性と言っていいのかわかりませんが、強くはなってきています。

歌人が詩歌に託す言葉は何らかの形でエネルギーを持っているので、それがどこかへ向かうのは当然です。自分に向けて歌を作るという方法論もあると思いますが、今回は、外の時代状況に対して何か言う形になりました。(中略)

藤原 短歌の役割は、大げさに言えば「一人の人間の生の証明」ということです。「人間の記録」ではなく「生の証明」です。

 一人の人間の生は、時代状況の中で、様々な陰影を持ちます。その陰影を、、これからも表現し続けて行くつもりです。


 とあった。Ⅱ章中の、追悼・高瀬一誌「プロデューサーの矜持」、追悼・蒔田さくら子「『短歌人』の支柱」、追悼・永井陽子「きらめきという矛盾」も心に沁みた。ともあれ、集中に引用された歌人の歌をいくつか挙げておきたい(旧字は新字にした)。


 豹変といふにあまりにはるけくて夜の肋木のうへをあゆむ父     塚本邦雄

 春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状         〃

 六月の雨は切なく翠(みどり)なす樺美智子の名は知らねども    福島泰樹

 さなり十年、そして十年ゆやゆよん咽喉(のみど)のほかに鳴るものも無き 〃

 階段をころげ落ちるのも定型であればやっぱりつまらないのだ    高瀬一誌 

 全身火ダルマを想定して宮城前のくんれんである           〃

 宝石はきらめき居たりおのづから光る術(すべ)などわれは知らぬに 蒔田さく子

 毀誉褒貶の埒外にもう出たりと覚悟の自在か歌に毒あり        〃 

 公害の町に大きな陽が落ちてあしたのことはたれも言わない     永井陽子

 アンモナイトの化石に耳をあててみるだれかにあげたい恋慕がひとつ  〃

 大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋        俵 万智

 夕照はしづかに展くこの谷のPARKO三基を墓碑となすまで     仙波龍英

 不況でもにぎやかですがなんにせよ日本のなかはがらんどうです   荻原裕幸

 題名をつけるとすれば無題だが名札をつければ渡辺のわたし     斉藤斎藤

 それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした 笹井宏之

 白塗りの殿さまさえも罹患する志村けんの死 嗚呼というまに    佐伯裕子

 消毒薬しゅっと手指に吹き付けて食品売り場の結界に入る      松平盟子

 すり抜けてクラクション浴びてゐるものはウーバーイーツの黒き自転車 梅内美華子

 持続化の〈持続〉うたがい洗いたての指で給付の申請をする     江戸 雪


 藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年、福岡生まれ。


     撮影・中西ひろ美「新秋の膝つやつやに恥じらへる」↑

2022年8月25日木曜日

山川桂子「胸底に暗き塊(くれ)あり夜の雷」(第8回きすげ句会)・・

 


 本日、8月25日(木)は、第8回きすげ句会(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題の「盆」を含む3句の持ち寄りである。 以下に一人一句を紹介しておきたい。


   人生の火薬をこめて花火かな      久保田和代

   盆飾りさげて今宵の送り酒        高野芳一

   令和なる日傘男子や薄化粧        山川桂子

   人ありて笛吹く空や赤とんぼ       寺地千穂

   盆踊少女のわたし輪の中に        井上芳子

   かなかなと鳴き声数え急ぎ足       杦森松一

   流星群さゞ波を立て海の果て       井上治男

   公園を掃いて数える蝉の穴       壬生みつ子

   夏バテに焼き茄子の香り腸に効く    大庭久美子

   湧き立ちて朝霧の招ぶ郷の盆       濱 筆治

   盂蘭盆会胡瓜と茄子のお供なり      清水正之

   ひゅうひゅうと山川を来て風の盆     大井恒行


 その他の句で、愚生のみが採った句に、


   日付入り時計にかへて今朝の秋      高野芳一


 があった。次回は9月8日(木)、兼題は「野草」。

 


       撮影・芽夢野うのき「秋草にほどよきぬくさあり抜けり」↑ 

   

2022年8月24日水曜日

魚住陽子「雨鷽のゐてたましひの端つつく」(『透きとほるわたし』)・・


  魚住陽子遺句集・鳥居真里子編『透きとほるわたし』(深夜叢書社)、跋は正木ゆう子「『透きとほるわたし』に寄せて」、鳥居真里子「編集にあたって」、「あとがき」は、夫君の加藤閑。その中に、


 ここで魚住陽子が四〇年近くにわたって闘い続けた病気のことを書いておきたい。小説にせよ、俳句にせよ、彼女には、病気があったからこういう表現を選んだと考えられる部分が少なくない。(中略)

 透析から一五年近く経った二〇〇四年、わたしをドナーとして腎臓移植に踏み切った。医学は血液型の違う腎臓を移植できるまでに進歩していたが、免疫抑制剤による副作用の苦しさは想像以上のものだった。それでもこれによって、あれほど辛かった透析から解放されたのは事実だった。

 わたしたちは移植された腎臓に「ジンタロウ」と名付けて大切にすることにした。(中略)しかし移植腎には寿命があり、ジンタロウも徐々に徐々に数置を悪化させていった。(中略)

 透析に戻ってしばらくすると、新型コロナウィルスの流行により、外出がままならなくなった。特に透析で定期的に病院に行く身としては、感染は絶対避けなければならない。それでも彼女は、流行が治まったら出かけたいと、ブルーのコートを買い、白いリュックを買い、グレーの帽子を買った。しかし、それは叶わぬまま、彼女は死を迎えた。リュックと揃えて注文した靴が届いたのは死の翌日だった。


 また、正木ゆう子の跋の終り近くに、次のような箇所がある。


 『水の出会う場所』(愚生注:魚住陽子の小説名)に主人公が思いを寄せる泉という女性の俳句観が述べられた箇所がある。美しいその一文は魚住自身の俳句観でもあるだろう。


 五・七・五という透き通った言葉の器ならば、もしかして水の模様をすくい取れるのではないか、そんな気がした。なんでもない日常語がカットの仕方で鋭く光る。想像を縒り合わせ、イメージを研磨すると妖しい輝きを放つ。記憶の水底を覗くと見たこともない異界の景色が写っていたりする。私にとって俳句は、ずっと以前に諦めていた水の模様を写し取る魔法のようだ。


 集中には、句集名に直接、因む句はなさそうである。ただ、透き通るをモチーフにした句は、


   透き通るものみな好きで蕪煮る     陽子

   枇杷包む和紙透けている卒哭忌

   冥界の戸の透き通るまで月鈴子

   胡桃の木あちこち透けてくる世界


 などがあった。また、遺句を編纂した鳥居真里子は、


(前略)新旧の仮名遣いしかり、有季無季しかり。窮屈そうなそうした境からしばし解放することで、魚住陽子独自の表現が動き始める。奇抜な比喩や特異な漢字の斡旋も、却って一句に落ち着きをもたらしている。小説家魚住陽子が紡ぎ出す十七音。それは死の影を忍ばせながらも、生きる刹那の真摯な眼差しに溢れていた。作者の魂が宿る一句、一句はまさしく自身の生そのものであった。


 と記されている。ともあれ、愚性好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  夜濯ぎや頭なきもの濡れてをり 

  冬落葉なにかと言うとすぐ眠る

  抱卵やこの世に生きぬもの動く

  目を入れて雛はさまよう人となり

  泣き虫が生まれかわって草雲雀

  冬の日の丸ごとありて腐りたる

  小説と火を焚く時間終りけり

  枯蔓を引く今生のしつけ糸

  ぎしぎしの土手に父ゐる昼の月

  手をついてこの世に戻る草滑り

  翻る国旗の裏の露無限

  早世の露の世というカルタ切る

  蓮の実の飛ぶ音耳に入れて老う

  遠雷の轟轟(とどろとどろ)と死の準備  

  

 魚住陽子(うおずみ・ようこ) 1951年、埼玉県生まれ。


  

         芽夢野うのき「蓮の花陰はひかりをつつむ嘘」↑

2022年8月23日火曜日

岸本尚毅「戦争を知らぬ老人青芒」(『雲は友』)・・・


  岸本尚毅句集『雲は友』(ふらんす堂)、「あとがき」は短いので、すべて引用しよう。


  還暦を過ぎた。遠からず「高齢者」となる。

 「老人」という言葉がある。何となく突き放したような感じがする。そのため、これまではその言葉を避けてきた。

 今回の句集では、自分が老人に近づいたので、いくばくかの親しみを込めて「老人」という言葉を使ってみた。

 この句集及び収録句の制作にあたっては、多くに人々のお世話になった。また、多くの物事から恩恵を受けた。その一切に感謝申し上げる。


とあった。集名に因む句は、


   風は歌雲は友なる墓洗ふ      尚毅


であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   顔焦げしこの鯛焼きに消費税 

   石鹸玉寝そべる人に当たりもし

   なめくぢに添ふなめくぢや梅雨菌

   牛蛙大かるべしブーボーと

   くつきりと黒々と皆秋の暮     

   行く道は帰る道なり芋嵐

   とまらんとする冬蜂や風の菊

   はじめから無かりしごとく水涸るる

   大綿の小さきつばさ見えて飛ぶ

   富士ぬつと黒く憂国忌なりけり

   海荒れてゐる日もここで日向ぼこ

   黒き蝶赤きところを見せにけり

   ふるへゐる花また一つ風に飛び

   何屋とも知れざる家や夏柳

   緑蔭や音が聞こえて風が来る

   雨吸ひし茅の輪といふはすさまじき

   犬猫に無く我にある夏休

   明易やもの置けさうな凪の海

   風鈴の下に老人牛乳屋


  岸本尚毅(きしもと・なおき)1961年、岡山県生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「槐見るみんな老婆や雨上がる」↑

2022年8月22日月曜日

星野高士「川沿いを行く行年の靴の音」(『渾沌』)・・


  星野高士第6句集『渾沌』(深夜叢書社)、その帯には、


   海市たつ辺りに波の音もなし

 第五句集『残響』から八年、清新な抒情を鮮やかに掬う俳人・星野高士が円熟を深めながら拓く新境地ーー。

 〈渾沌〉は可能性の揺籃ともいえる。然り、私たちは渾沌の世に、明晰かつ洒脱な精神で紡がれた三八七句と出会うだろう。


 とある。また、集名に因む句は、


  渾沌の世も平然とサングラス      高士


 であろう。そして、著者「あとがき」には、


 令和二年に「玉藻」は創刊九十周年を迎えることができた。折しも新型コロナウイルスのパンデミックの影響で、予定していた行事も中止や延期を余儀なくなれた。(中略)

 そして令和四年は「玉藻」創刊千四百号を控えている。

 何とかこの渾沌とした世の中を乗り越え、元の日常が戻ることを願うと同時に、この句集を少しでもお読みいただければ、私にとって最高の幸せである。


と記されている。ともあれ、以下に愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。


  寒鯉や水の重さを見せる底 

  春の野の端は果てとは思はざる 

  草笛の天与の音色とぎれざる

  春泥に落日の幅ありにけり

  中天に近づく孕雀かな

  仮小屋に仮の土間あり神の留守

  初夢を見たくて枕新しく

  熊穴に入る山脈をなさぬ山

  摘草の帰りの電車よく揺るる

  砂浜に踏まぬ砂ある余寒かな

  晩涼やバス待つときも山仰ぐ

  メーデーに令和の夜明けなどはなく

  箱庭にあるかなきかの昼の翳

  紅葉且つ散る月山はどこも神

  オリンピック玉藻九十年今年


 星野高士(ほしの・たかし) 昭和27年、鎌倉市生まれ。



       撮影・鈴木純一「なつあかね夏への扉あかねども」↑

2022年8月21日日曜日

川名つぎお「東京の蟬の爆死と歩むなり」(『焉』)・・


 川名つぎお第4句集『焉』(現代俳句協会)、あとがきの「所思」には、


 平成四年「程」を皮切りに「尋」同十年、「豈」同二十六年につづく、この句集は第四句集になる。ここ数年コロナ禍にあり地上のすべてと同様に家に居るかマスクして隠れ家へ数日置きに。ついに来たか「ハーメルンの笛吹き男」や「ペスト」の人類滅亡への走りかと。まるで第三次世界大戦、勃発の死の不安が地球規模でアジアを含む新型コロナ禍の甚大さ。(中略)

 「焉(えん)」は意味的には「どうして」「なぜ」の漢文による助字で期待はできない。忽焉、終焉に尾骶骨風に残っているという感覚こそ韓国の女子像であり、私の記憶と同行した、

チョセンジン チョセンジン トパカスルナ オナジママクッテ トコチガウ」と訴えた日本語調の心情への揶揄は何だったのか。国民学校から八十六歳の今に口ずさめるのは環境という日本的風土が教えこんだもの。中国人のいう反面教師は私には同族や他民族への教訓として映っている。


 とあった。ともあれ、以下に、愚生好みになるがいくつかの句を挙げておきたい。


  それとなくディスタンス木は凍らない     つぎお

  ポケットを街のどこかに落しけり

  さわやかに徴兵なし基地を授かり

  青枯れし少年のままの「気をつけ」

    ソ連初の核実験場。現カザフスタンのセメイ(旧・セミパラチンスク)にて

  核実験ドストエフスキー流刑地

    昭和二十四年から平成二年まで四六五回、五十万人被爆

  セミパラチンスクを刻む世界時間

  燕見た日の不安か誤嚥の兜太

  空襲や母死ねばその飯おぼろ

  「現代」とは原爆を呼んだ日から

  鳥も二本足おれに翼がない

  戦死は明治大正生まれ桜灘


 川名つぎお(かわな・つぎお) 昭和10年、東京市蒲田区生まれ。



    撮影・中西ひろ美「旧盆やシャリシャリと食べ思はるる」↑

2022年8月20日土曜日

林ひとみ「多数決という乱暴油蟬」(第3回「現代俳句講座・金曜教室」8月19日)・・


  昨日、8月19日(金)は現代俳句講座・金曜教室(於:現代俳句協会事務所)だった。参加者14名。今回は雑詠2句の持ち寄り句会。以下に一人一句を挙げておきたい。


  背景を丸ごと抱いて来る西瓜             森須 蘭

  物陰でかまきりがするスクワット           川崎果連

  春惜しむ集ひに一人リアリスト            武藤 幹

  雷鳴や沸き立つ雲は殴りあい             多田一正

  尾道を一網打尽の大夕焼け              村上直樹

  熱帯夜隣の家のナポリタン              林ひとみ    

  野音晩夏乳房で唱うカンツォーネ           赤崎冬生

  迷宮のカフカの窓辺カンナ咲く            石川夏山

  宇宙への架け橋のぼる鷹柱              宮川 夏

  かりゆしの青にぴたりと銀やんま           白石正人

  やちむんとゴーヤ噛(か)みしめ半世紀(はんせいき) 岩田残雪

  空蟬を昆虫食の初めかな               山﨑百花

  星一つ命燃えつつ流れけり              高辻敦子

  陽の陰のクルスに巻ける秋の蛇            大井恒行


上掲の句に挙げられていないが、愚生が選んだ他の佳句に、


  まんじゅしゃげ一つの旗は燃えやすい        武藤幹


 がある。次回、9月16日(金)第4回金曜教室は、当季雑詠2句持ち寄り。と加えて、白石正人の最新句集『泉番』(晧星社)によ俳句絶叫が演じられるようお願いしたので、乞うご期待!!




★閑話休題・・大井恒行「殺すな!と教えし晶子ウクライナ」(「俳句人」8月号)・・


 「俳句人」8月号(新俳句人連盟)の特集は「ストップ ウクライナ侵略」、その特別寄稿(俳句+エッセイ)に、愚生も含め5名、他に同人の方々10名、評論に金子勝「ストップ ウクライナ! ロシアの核使用は許さない!」がある。ここでは、特別寄稿の一人一句を挙げておきたい。


  転がれる遺体四十九春の雷        石 寒太

  地下地獄啓蟄の日に死者多し      鈴木八駛郎 

  新樹たち火のしずむ夜を祈るしかない  中村加津彦

  武器商人ほほえむ人工滝の裏       衣川次郎

  いつも人は白き小さき鶴折るや      大井恒行  


  芽夢野うのき「へくそかずらですアンティックなブローチです」↑

2022年8月19日金曜日

井口時男「秋出水かけ橋いくつ途絶えたる」(『その前夜』)・・


 井口時男第3句集『その前夜』(深夜叢書社)、帯には、


 その前夜(いまも前夜か)雪しきる

 世界やはらげよ雨の花あやめ


 微かに聞えるエコーを掬い、共振しつつ紡がれた十七音ー—

 〈俳句と自句自解によって織りなす作家論〉という画期のスタイルで、

 室井光広、河林満という2人の作家を見事に描出したエッセイも収載、

俳句表現の新たな可能性を開く第三句集


とある。また「あとがき」には、


 三部仕立てて構成した。第一部は単独句、第二部は連作句、第三部は旅の句。それぞれ句作の意識が少しずつ異なる。各部内の句はほぼ作成順に配列した。(中略)

 私自身の俳句観でいえば、『をどり字』の帯に書き、「わが俳句ーあとがきを兼ねて」で敷衍した「俳は詩であり批評である」という信念の特殊な実践の一例である。

 文章の全体は、主として自句自解(時に戯解)のつづれ織りの形をしているが、私にとっては新たな俳文の試みである。私は、例えば芭蕉が旅をしつつ文章を書き句を詠んだように、室井光広(そして河林満)という作家の作品を旅しつつ句を詠んだのだ。


 ともあった。


             「東京新聞」8月17日(水)夕刊↑

  また、東京新聞夕刊「大波小波」には、(喉仏)氏によって、「その前夜」の句には、「あたかも、ウクライナの悲劇を見据えて詠まれたかおようだ」とあり、その結び近くから、


 それ以上に本書で異彩を放つのは、俳句を交えたエッセー「追悼句におる室井光広論のためのエスキース」だ。二〇一九年に亡くなった室井は井口の二歳下。「あんにゃ」と慕った井口に倣うように彼も「隠遁」した。畏敬の念で結ばれた同志への、深い洞察と愛惜が伝わる。手応えがあったらしく「あとがき」で「前例のない画期的な試みだろう」と自負している。まだまだ批評家の野心は旺盛にたぎっているようだ。

 

と記されている。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


    〈広島や蛇の蛻(もぬけ)の目のドーム〉

      中川智正(元オウム真理教信徒。「ジャム・セッション」第13号より)

  虚に殺し実に殺され夏の月

    二〇一八年七月六日、オウム真理教麻原彰晃ら7人死刑執行。中川智正もその一人

   だった。七月二十六日、残り六人執行。計十三人。地下鉄サリン事件の死者十三人。  

   彼らは虚誕の物語を信じて人を殺し物語を失って処刑された。では、我らはいかなる   

   虚誕の中にいるのか。


     己が名によるアナグラム

  まゝよ痴愚沖いと遠く霧(き)らふとも

  紅灯に吹き寄せられて寒の塵

  ふらこゝや首吊り男はいまも二十歳

  踵病み鬱々われは梅雨の象

  銀河流れよ廃墟も青き水の星

  匍匐して花野に斃れ帰らざる

  鵙の贄なほあざらかな耳と舌

  ひきがへる他人ばかりの死者の数

  シベリアの朽木焚かん魂迎へ

    父は四年三ヶ月シベリアの収容所に抑留された


    (前略)彼はまさしく「よく隠れよく生きた」。

  断腸花骨を拾いに行く朝の


 井口時男(いぐち・ときお) 1953年、新潟県(現南魚沼市)生まれ。



      撮影・鈴木純一「ぬけがらの中は明るい蟬しぐれ」↑

2022年8月16日火曜日

大井恒行「銀漢へ原動天はつつがなく」(「大井由美子〈救仁郷由美子〉告別式)・・


  昨日の15日(月)通夜、今日、16日(火)午前は、府中市府中の森市民聖苑で、家族親戚のみの告別式を行わせていただきました。愚生がコロナ宿泊療養満期退所までは延命できず、俳号・救仁郷(くにごう)由美子は、10日死去(享年72)、留守の愚生に代って、葬儀に関することは娘と息子が、すべての采配をしてくれました。お陰で愚生は、思わず楽をさせてもらいました。


  宿泊療養満期出所行き暮れて死化粧に     恒行


 無宗教でこれといった式もない通夜でしたが、思いがけず多くの方々に来ていただき、まことにありがとうございました。慎んで御礼申し上げます。

 そして、自宅療養中に、ほぼ毎日、絵葉書に言葉を添えて下さった山田千里句集『ミルク飲み人形』に由美子がラインで返信した句?に、


  そして、七月ミルク飲み人形に私もなりました  由美子


 とありました。愚生が留守にした最後の末期の介護は、相当に大変だったようですが、余命が解っての数カ月は従容としておりました。本人の希望通り、自宅で皆に囲まれて、幸せな最期だったと思います。愚生との死に目にはビデオコール、よりによって、愚生の携帯の調子はイマイチ良くなかったのですが、愚生の声で微笑んで逝ったと聞きました。皆さま、本当に有難うございました。合掌。






 
  未だ、実感のない愚生ですが、やはり、残された者は生きねばなりません。誰もが、そこに行かなければならないとすれば、これも人生・・というヤツでしょう。思えば、長ったようで短い人生。愚生も、残された月日を精一杯生きていこうと思います。皆さまも、お身体大切にご自愛下さい。


              今朝の府中市市民の森聖苑↑

 鈴木純一「良き娘善き婿好き孫さるすべり放蕩亭主ちょうどよろしい

2022年8月12日金曜日

大井恒行「秋暑し死に目はビデオコールにて」・・・


     (宿泊療養のホテルの窓から、これが外部との全風景)↑

 愚生は 8月2日(火)に発熱、翌3日の抗原検査でコロナ陽性。4日に府中市保健所に、介護もあり、隔離生活をしても家庭内に重病人がおり、感染させるリスクが高い。また、介護休業に入ってる娘にも、小生のこと、孫娘(5歳)の面倒などをすべてみるのは負担が大きすぎるなど、宿泊療養を相談。結果的には、重症化リスクの高い、愚生の高血圧・糖尿病、前立腺肥大などは薬でコントロ―ルできているかをかなり尋ねられた上で、翌日5日(金)にお迎えの患者専用タクシーが手配され、都内Aホテルに入所することができたのだった。

  守りたき一つのいのち夏の家     恒行

 ただ、その後の12日(金)までの宿泊療養満期までに、もしかしたら、妻の死に目に会えないのではないかということは脳裏を掠めた。結局10日(水)の夜中に亡くなるが、その朝の自宅訪問診療医によって、死亡診断書の時間は、10日10時51分と記載されている。子宮頸がんだった。俳号・救仁郷由美子、享年72.夜中に娘から携帯電話に、訪問診療医が早ければ一時間、もっても一日と言われたと・・。娘が携帯電話をビデオコールに変えてくれて、画面上で死に目に会えることにはなった。

 そして、娘と娘婿と息子夫妻が、葬儀社との連絡、葬式の打ち合わせなど、エンディングノートに記された妻の希望にそって(家族のみの告別式であったが、通夜はなかった)、結局、式のようなものは何もせず、通夜は、ゆかりある方々に開放し、お別れをしておもらうことになった(すべて娘の采配である)。

★大井家・通夜:来たる15日(月)18時~21時。於:府中市府中の森市民

聖苑 。

 お別れに際しては、おもてなしの何もありませんが、お別れは自由にお越しください。

 思えば、妻が最初に手術をしてから、足掛け7年の闘病。再々発後の昨年5月からは、抗がん剤、放射線治療も出来ず、治療を断念して、痛みなどの緩和ケアに入った。一度はホスピスに入所したが、コロナ禍の面会制限もあり、面会できない実の弟妹もいたので、余命は、最短、昨年末から年始と言われ、退院し、訪問診療による自宅療養に切り替えた。その後、一時は歩けるまでになったが、最終的には家で看取りを行うことを本人も強く望んだ。孫娘の顔が生きがいのようで、その後の延命はその力が大きかっただろう。
 8月8日は孫娘の誕生日だった。その時に食べた(少しだが)ケーキが、ものを口にした最後だったらしい。愚生は、閉ざされた病棟から(名は「和來(わこ)」)、

  和(なご)み來る六歳の絵図なごやかな   恒行

とラインでコピー用紙に書いて送った。


            


 また、本ブログの救仁郷由美子「安井浩司自選句集『友よ』を読む」は、4月24日の浩司「廻りそむ原動天や山菫」の句を最後に、残る2句「消えるまで沙羅(シャーラ)を登りゆくや父」「草露や双手に掬えば瑠璃王女」の句を、ついに書くことは叶わなかった。
 不覚の愚生は、本日午前、満期出所で、我が家に帰った。死化粧の救仁郷由美子は、普通に眠っているようで、実に不思議な気分だった。娘たちはその周りを、好きな孫と一緒の写真や枕花や本で、よく飾り付けてくれていた。有難う!! 合掌。


   夢に由美子に不在の秋の陽がのぼる     恒行



                撮影・救仁郷由美子↑

2022年8月1日月曜日

三輪初子「戦争の終はらぬ星の星まつり」(『檸檬のかたち』)・・

 


 三輪初子第4句集『檸檬のかたち』(朔出版)、著者「あとがき」の中に、


  第三句集刊行の同年、夫と共に営んできた生業の居酒屋レストランが、地主の所見から立退きを要求され、閉店を余儀なくされた。四十三年間点し続けてきた灯が消える・・・。自己の存在する「かたち」の倒壊に譬えようのない喪失感を味わい、その儚さがあるものを思い浮かばせた。それは、切り裂かれる前の清しく美しい果実、レモンの「かたち」である。

 そこで、句集の表題は本編にある一句から「檸檬のかたち」と決めた。


とあった。その句は、


   切る前の檸檬のかたち愛しめり   初子


 である。三輪初子に最初にお会いしたのは、たぶん、辻桃子の「童子」の関連行事だったように思う。辻桃子がまだ現代俳句協会青年部に居た頃だから、随分前のことだ。実は、三輪という姓は、愚生の母方の姓と同じだったので、それはすぐに覚えた。愚生は山口県生まれだが、その後も、三輪という姓の方には、三輪初子以外にお会いしたことはないので、きっと、珍しく、かつ少ない姓なのだろう。 ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  見えぬふり聞えぬふりのかたつむり

  青バナナだれも触れずに熟しけり

  白鳥に少し悲しみあづけをり

  薄氷のなにも映さぬままこはれ

  バンザイのあとの双手や昭和の日

  雨粒の薔薇より落ちし涙色

  石になる夢の蹴られしひきがへる

  鬼の子もわれも太陽系に生まれ

  おとうと逝く途切れなく降る虫しぐれ

  黄の蝶は黄いろてふてふ追うてゐし

  

 三輪初子(みわ・はつこ) 1941年、北海道帯広市生まれ。



    撮影・芽夢野うのき「芭蕉の実きっと気分は飛んでをる」↑